第2話 遅れてきた花婿
「ああ、そうだ。忘れないうちに渡しておくよ」
憤っていたラナウィに向かって、ヌイトゥーラがスラックスのポケットから出してきたのは手にひらに簡単に収まる小瓶だ。茶色の小瓶の中身はわからないけれど、液体が入っているのはわかった。
途端に、ラナウィは瞳を輝かせた。
「できたの!? さすが、ヌイトだわ。天才ね!」
「正直、心をどうにかする魔法なんて気分のいいものじゃないけど、君の幸せのためだからね。わかってると思うけど、効果が長いんだから気を付けて使うんだよ?」
「なんの薬なんだい? ヌイトが作るんだから魔法薬なんだろうけど。心ってことは精神干渉系の魔法だろう」
探ろうとするハウテンスに、ラナウィは慌てて告げる。
「それは秘密!」
「ええ? 僕にも教えてもくれないのかい」
「だってテンスに言ったら絶対にバカにするもの」
「僕が無知だって君たちをバカにしたことないだろう?」
「そういうことじゃないわ。絶対に呆れると思うのよ」
「なるほど、ラナウィ自身が愚かな行為だと思ってるということか。わざわざそんな魔法薬を使うってことは絶対にバルス絡みなんだろう」
ラナウィは小瓶を受け取って、すぐに鏡台に置かれた小箱にしまった。これ以上ハウテンスの目に触れさせていては根掘り葉掘り聞かれかねない。それには、とても黙秘を貫けそうになかった。頭脳明晰なハウテンスの口車に乗って白状させられたことなど数えきれないほどあるのだから。
「そろいもそろって、花嫁の控室に閉じこもってどうしたんだ?」
不意に扉が乱暴に開かれて、長身の男が入ってきた。
大股で歩くだけでマントが風を切るように翻る。その下の衣装は討伐隊の隊服であり、長身の彼の見惚れるほどのしなやかな動きを邪魔することのない作りになっていた。脇に履いた剣も縁どられた柄もどれも実用一辺倒であるというのに、男はどこか優雅さがあった。目立つのは男の溢れんばかりの自信と、その堂々とした立居振舞のせいだろう。
次期女王と次期宰相と次期魔法局長の立場を約束されている三人のことなど、彼にとってみればただの年下の幼馴染みという感覚でしかない。
透けるように白いラナウィの肌とは違って、褐色の肌は艶やかで色っぽい。やや長めの艶のある漆黒の髪といい、どこまでもこの男の美しさを際立たせる演出のようでさえある。
男は三人の前までやってくると、不思議そうに首を傾げた。
文句を言いたいのに、見とれてしまって思考すら奪われる。指先一つ、眉一つだって動かすことは叶わない。
「なんだ、調子が悪いのか?」
返事のない彼女を訝しんで長身の男が身を屈めるようにラナウィの瞳を覗き込んだ。灰色の瞳は光の加減で、ガラス玉のような煌めきを放つ。
その形のよい唇が、ラナウィと動くのを見つめてからはっとする。
そのまま片手を振りかぶって、男の頬にめがけて盛大に平手打ちをお見舞いする。
部屋に、ばちーんと乾いた音が響いた。
「いってえ! 何するんだ!!」
「のこのこやってきて、悪いの一言でもなく、反省するでもなく!」
「仕方ないだろう、仕事が入ったって説明しただろう?」
「あやうく、一人で結婚式を挙げて、一人でパレードに出るところでしたけれど!」
「こうして間に合ってるだろうが!」
「マントには魔獣の血がべったりついてますけれど!? 髪だって土埃で漆黒じゃなくて白っぽくなってますけれど!?? その格好を見れるくらいにマシにするのに、どれほどのお時間が必要なのかしら!!??」
矢継ぎ早に言い切れば、自覚があるのかバルセロンダは押し黙った。
一騎士団長が、か弱い婦女子にあっさりと頬を叩かれるはずもない。甘んじて受け入れてくれたのだとわかっているけれど、それでもこの怒りを抑えることはできなかった。
結局、結婚式に浮かれているのなんてラナウィだけなんだと思い知らされているようで。
それをあっさりと解決したのはヌイトゥーラである。
「僕の魔法があれば、一瞬で綺麗にできるよ?」
「ヌイトは黙っていてちょうだい。そういう問題ではないのよ!」
「でも残念ながら言い合いをしている時間はないんだよねえ」
ハウテンスが冷静に告げる。
確かに、外ではいつでも部屋に踏み込めるように人が控えている気配がする。
今すぐにでも中に入りたいのに、ラナウィが癇癪を起しているせいで、様子をうかがっているのだろう。
「お前らが控室に閉じこもって出てこないから、様子を見てこいって送り出されたんだよ。三人集まって何やってたんだ」
「貴方の到着を待っていたんでしょうがああああ!!!!」
叩かれた頬を抑えながら顔を顰めるバルセロンダに、ラナウィは心からの叫びをぶつけるのだった。
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