第一章 花ある君の白い手をとりて
第1話 憂いの花嫁
その日、森と湖の王国と呼ばれるサルバセ国の王都チュイは歓喜に包まれていた。
澄んだ青い空は雲一つなく晴れ渡り、柔らかい陽光を受けた森と湖はいつも以上にキラキラと輝く。その様はまるで国民の喜びを示しているかのように。
穏やかな現女王ウィリスが、慈愛を浮かべて次期女王の婚姻を発表したのは半年前。王族の婚姻としては異例の短さではあるものの、彼女が婚約者候補を定めたのは十年以上前になるので、国民はこの善き日を心待ちにしていたのだ。
なぜなら、次期女王は建国の祖である『魔女王』の後継者であり、その膨大な魔力は彼女の想い人の加護にしか使えない。そのための生涯の伴侶は彼女が五歳の時には婚約者候補として『箱庭』に集められていた。
『箱庭』は王城の東に建てられた離宮の総称であり、二階建ての可愛らしい建物と小さな庭を有する次期女王が暮らす場所だ。
婚約者候補はそれぞれ魔法に最も秀でた『魔道王』の後継者、知恵に最も秀でた『大賢者』の後継者、剣術に最も秀でた『剣闘王』の後継者であり、五歳の少年であるにもかかわらず、それぞれの分野において優秀であったのだから。
古の英傑と呼ばれるその三人であれば誰が次期女王の伴侶に選ばれても王国の繁栄は約束されているようなものだ。
そうして幼き頃から共に次期女王とその伴侶として学んできた彼らのうちの一人とこの度、盛大な結婚式が行われるのだから、国民の喜びはいかばかりか。
なにせ、少年たちといえども一人の少女の愛を取り合うのだ。きっと物語のような美しくも悲しい恋を乗り越えて、今日という日を迎えたに違いない。いや、それとも漏れ聞いていた熱愛の噂の彼と数多くの障害を乗り越えて、ようやく今日という日を迎えたのかもしれない。
とにかく、十六歳になったういういしい花嫁と、その隣に立つ古の英傑の後継者の二人の結婚式を一目見ようと、中央大聖堂前の広場には多くの人が詰めかけている。人々は笑顔に満ちて、歓声をあげている。
――そんな中、大聖堂の片隅にある花嫁の控室は重苦しい空気に包まれていた。
本日の主役であるラナウィ・サルバセ・ビジャは支度を終えて、部屋の中央の姿鏡の前に立っていた。
『魔女王』の後継者の証である翠銀色の髪を複雑に結いあげ、ヴェールをつけている。頭には銀色に輝くティアラ。純白の花嫁衣裳は光輝くほどにまぶしい。十六歳という乙女らしい可憐さと相まって輝くばかりだ。
本人は周りの派手な顔立ちをした人たちのせいで地味な平凡顔だと信じて疑っていないけれど、清楚で愛らしい少女は花がほころぶ前のつぼみのような美しさがある。
けれど、本日の主役の一人でもあるというのに、その表情はどこまでも暗い。
「ラーナ、そんな顔しないで。せっかくの晴れの日でしょうに」
澄んだ高い声音でヌイトゥーラが穏やかに告げる。美しい顔立ちをした中性的な少年で、彼が微笑むだけで周囲の人間は彼のあらゆる願いを叶えるのではないかと言われている。黄金色の艶やかな髪を緩く三つ編みにして横に長し、新緑を思わせる若草色の瞳ははっするほどに美しい弧を描く。
そんな美少年の横では、ハウテンスがやれやれと肩を竦めた。こちらはすでに声変りが終わっているので、少年特有のやや低い声だけれど、呆れを含んでいるためますます低く聞こえる。凛々しいと言える顔立ちは少年特有の生意気さを滲ませているけれど、整った容姿は間違いがない。燃え盛る炎のような紅蓮の髪に、同じく紅玉の瞳を持つ十人中が十人とも格好いいと瞳を輝かせるだろう将来有望な少年である。頬に刻まれた智の紋章ですら彼のエキゾチックな魅力の一つだ。
「いや、ラナウィの気持ちもわかるなあ。僕の頭脳をもってしても、まさかこんなことになるなんて思わなかったんだから」
花嫁の控え室にはそれぞれ美形の元婚約者候補の二人がいる。
だというのに、肝心の夫になるはずの男がいない。式前に会ってはならないなんて決まりはない。むしろ、自分の花嫁の美しい姿を早く見たいと詰めかけるべきだというのに。
「花嫁よりも支度が遅いどころか、まさかここに来てないだなんて思わなかったよ。寝坊とかならなんとかなったけどねぇ。らしいといえばらしいんだけど…なにもこんな日にまで仕事熱心にならなくてもいいんじゃないかなあ」
「あの人は、どうしても遅れたいのよ!」
ハウテンスの後にラナウィが憤懣やるかたなしと告げれば、二人の幼馴染みはそれぞれの美しい顔をゆがませた。
「そもそも、私との婚姻なんて煩わしいとしか思ってないんだから」
「まあ、そこはバルスだし」
「そうだよ、バルス兄は昔からそんな感じだよね」
「「「――なんせ三英傑の名乗りだって上げなかったんだから……」」」
三人の声は重なって、重い沈黙が場を支配した。
彼がラナウィの正式な婚約者になったのは半年前だ。そして、大急ぎで結婚式までこぎつける破目になった。
それもこれもどれも、この度、ラナウィの夫になることが決まったバルセロンダ・カタデ・ルーニャのせいである。
元平民の男は、自由と仕事をこよなく愛する無法人だ。
常識破りの型破り。
剣の腕だけは一流どころか天才的な才能をもっているけれど、それ以外のことはからっきしダメときている。
そんなバルセロンダは、自身が三英傑の一人だと知っていたくせに、名乗りをあげなかった。
王族が血眼になって探し回っていたというのに、十年以上もひた隠し、半年前に偶然、発覚したときにはあっさりと三英傑だの王女との婚約だのは興味がないと言い放ったほどだった。
彼を王国につなぎとめるために、女王は娘を差し出した。つまり、ラナウィである。
女王陛下の命令であれば、男も従わざるを得ない。
けれど、何度も本当に結婚していいのか、とラナウィに確認してきた。
挙句の果てには結婚式当日ですら、仕事だと言って戻ってこない。
一国の王女の自尊心などズタズタだ。悔し涙など何度流したことだろう。
無礼で傍若無人で、どこまでも人をコケにする男――それがバルセロンダだ。
サルバセ王国の最強騎士団、黄色の鷲獅子を率いる若き団長だ。
そして、ラナウィの恋した相手でもあるのだった。
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