「正義の味方ではない」

 犬飼は2、3分してから通話に応答した。

「飯食ってた」

「私もだ」

「で、通話の話なんだがねぇ」

「どうした」

「青葉くんをどうやって通話に入れようかって……」

「通話に招待って……ないのか?」

 私はDM通話の画面を見る。「招待」の文字はなかった。

「DMグループ作るけど実験するからちょっと待って」

 犬飼はそう言うと通話を切る。しばらくすると「塩の上に飛ぶ佐藤、犬飼拓海、古井論理」という名がついたDMグループからの着信があった。応答すると、通話はすぐに切れる。

「よし」

 犬飼は通話に戻ってきた。

「で、さゆさんはどこにいたの」

「さっき言ったとおり公園」

「周囲の状況は?あと徒歩何分?」

 予測が外れていたのだとすれば謝らなければいけない。私の口はこの日で二番目に速く言葉を吐き出した。犬飼は対照的にゆっくり答えた。

「徒歩……だいたい2分くらい。周辺にはフェンスがあるけど、公園を出てすぐの道のガードレールの向こうに高低差5メートルくらいの場所があって、下は墓地」

 予想は意外と当たっていたようだ。安堵に似た感情が湧き上がってきたのを抑えて、青葉との話に向け方針を固める。戦いの準備をするような気分で内容をまとめていると、21時35分になっていた。

「そろそろか?」

「あと25分」

 犬飼は心なしか緊張が感じられる声で言うと、キーボードで何か打ち込み始めた。どうやら青葉と連絡を取っているらしい。

「10時は少し過ぎるらしい」

 犬飼はそう言ってスクショを送った。

あおば ――10時は少し過ぎるかもしれないけど、大丈夫そうだよ

    ――出来るかな?

犬飼拓海――できますね

    ――少し待っていてください。

あおば ――出来る時にかけてね

犬飼拓海――わかりました。

あおば ――あ、いや、やっぱ声かけて

犬飼拓海――あ、了解しました

    ――あらかじめ『私方』と申し上げました通り、当方二人での対応とさせていただきます

    ――私の家庭の関係により、あまり声を張ることができませんのでそれの為の代替措置です

 犬飼は少し黙って、今度は私とのDMに入力し始めた。

犬飼拓海――とりあえず国家らは文字で説明します

    ――ごじったぁぁぁぁあ

    ――わぁぁぁぁぁ

    ――とりあえず、状況説明のやつは声に出して読める内情じゃなかったので

    ――内情ってなんだよ()

    ――それに関して

    ――当方がLibreofficeで作成したものを元に説明していただければ幸い

 なかなか文書が送られてこないので、私は自己紹介と説明の練習を始めた。

「お初にお目にかかります、今回さゆさんから調停を承った古井論理です。今回の調停についていくつかお話をさせていただきます。まず、我々はさゆさんの委任を受けた代理人として来ております。我々との通話を放棄したり聞かれなかったり切られたりするのはご自由ですが仮にそうされた場合その行動はさゆさんとの交渉の放棄、ひいてはさゆさんとの関係一切の放棄を意味します。予めご了承ください」

 しばらくすると、犬飼は文書を送ってよこした。今日聞いた通りの内容が書かれている。

「これを読めばいいのね?」

「そうだよ」

「でもこれは見た人の口から説明するべきものじゃないかな」

「……」

「犬飼くんが小声で説明したほうがいい。聞こえなかったら私が読むことにすればいいから」

「まあ……そうか」

 私は犬飼との打ち合わせを再開した。

「あ、法律系の話を出すならきっちり調べてからにしろよって佐藤が」

「一応ポケット六法をうちの妹から借りて調べるという手はある」

 犬飼は驚きを隠せないといった声で聞く。

「まじか」

「ああ。うちの妹は裁判官になって、退職後は弁護士になることを目指してるんだ。私より優秀な“自慢の妹”ってやつだな」

 私は最後の一文を吐き捨てるように言った。妹が生まれて以来ずっと彼女と比較され卑下されてきたのだから、私より彼女の方が優秀なのは自明の理だろう。そう言いたかったがかろうじてこらえる。

「……なるほど」

 犬飼は少し引いていた。私は言葉を続ける。

「まあそこまで優秀な妹が即座に答えられないし辞書みたいにページを引けないんだから素人の私には無理だ。というわけで法律系はなしで行こう」

「せやな」

「あとは……何を打ち合わせしようか」

 そのとき私は、エナジードリンクが手元にないことに気づいた。どうやら私は持って上がる準備をしておきながら階段の横に置いてきたらしい。

「ごめん、ちょっとエナドリ取ってくるわ」

 私はそう言ってマイクをミュートにした。そして階段を駆け下り、エナジードリンクとコーヒーを小脇に抱える。私はそうして、また階段を駆け上がった。マイクミュートを解除すると、犬飼は緊張した声で言った。

「さて、そろそろ55分か……青葉くんに正義の鉄槌を下さないとね」

 私は慌てて言った。

「ちょっと待て、私たちは正義の味方なんかじゃない。紛争調停の使者だぞ。正義のために何かをしてはならん、反論が下手くそになる」

「わかった」

「青葉くんからの連絡は?」

「ない」

 私は少し待って、犬飼にDMを送るよう指示した。


犬飼拓海――当方準備完了いたしましたので通話の方始めさせていただきます。


 10時を3分過ぎたときだった。犬飼の音声に着信音が入った。

「どうだ」

 犬飼は無言でスクショを送った。


あおば――おっけーだよ、はじめるね


 犬飼と青葉、そして私が入ったグループが画面に現れ、通話のボイスチャットが開く。私は少し緊張に震える手でエナジードリンクの栓を開け、プシューという炭酸の音とともに通話のボイスチャットに入った。

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