基準が低すぎる

山吹弓美

基準が低すぎる

「アマルテア・ロンダート! 貴様との婚約、今この場で破棄する!」


 不意に上がった声に、場内の視線が集中した。

 王立学園を卒業した多くの子女を祝うためのパーティ、その会場に設けられた演台の上からそう叫んだのは、この国の第二王子シャハル。彼もまた、祝われる側の一人である。

 その隣には、ひどく艶のある少女が寄り添っていた。彼女も此度学園を卒業した一人であり、ほんの数年前に子爵家の養女として貴族となったカーレラ・ハスル。第二王子が婚約者を差し置いて寵愛する、噂の令嬢である。


「……はい?」


 そして、王子に指を差された少女は、ぽかんと演台の上を見つめていた。どちらかと言えば美人というよりは愛らしいという表現が誰よりも似合う彼女を、王子は苛ついたように呼びつける。


「だから、貴様だ!」


「わたくし、ですか? …………ええと。あ、いけない」


 しばし目を瞬かせ、状況把握に努めていたらしい彼女はふと、何かを思い出したようにぽんと手を打った。そのまま演台の下まで進み出ると、スカートの端を摘み頭を低く下げる。


「王子殿下にはご機嫌麗しゅう存じます。ロンダート公爵家の二女、只今ご紹介に預かりました殿下の婚約者であるアマルテアの妹、ヒマーリアにございます」


「何を今更ご挨拶など………………ん?」


 その殊勝な態度が癇に障ったのか怒鳴りかけた王子であったが、名乗られた名前に気づいて目を丸くする。

 自身が呼びつけた名は、アマルテア・ロンダート。ロンダート公爵家の長女であり、シャハル王子の婚約者である。

 だが、演台の下にいる少女は……よく似た顔ではあるがアマルテアの妹、ヒマーリアだとたった今名乗った。言われてみればシャハルの知るアマルテアよりも柔らかい表情とおとなしめの声、のように思える。

 そして。


「殿下。せっかくの祝いの場で、何お馬鹿な宣言をなさっておいでなのでしょうか?」


 ヒマーリアと名乗った少女とよく似た、彼女よりも少しきつい目つきの少女……こちらが間違いなくアマルテアだ。その彼女が、ゆったりと歩み出てくる。その後ろについてきた精悍な表情の青年は、素早くヒマーリアのもとに歩み寄った。

 暖色のふんわりとしたドレスをまとうヒマーリアと、寒色のスレンダーなドレスをまとうアマルテア。ドレスの色も形も異なる姿の姉と妹を、なぜ姉の婚約者が見間違えたのだろうか。


「わたくしとヒマーリアがよく似ていることは、殿下もご存知でしょうに。少なくとも、宴の前にわたくしにお会いくだされば……このような愚かな間違いを犯すことはなかったのですが」


 目が笑っていない笑みを浮かべたアマルテアの言葉に、周囲からざわりとざわめきが広がった。

 パートナー、婚約者がいる者はパーティの入場時に共にいるものである。それが、少なくともこの国では慣習となっている。

 シャハル王子が婚約者ではない少女を従えて入場したとき、周囲の視線に温度はなかった。冷徹なものと生ぬるいもの、それらが入り混じっていたからだ。


「ま、待て! 大体アマルテア、なぜお前の妹がここにいるのだ! この場は卒業生とその親、招待状をもった客人しか入れないはずだぞ!」


「これもご存知のはずなのですが、わたくしどもの同級生……つまり此度の卒業生の中に、妹の婚約者がおりますの。そのつてで、正式に招待状が出ておりますわ。ねえ、クランド様」


「ええ、アマルテア嬢。……卒業後もどうかよろしく、と挨拶をしている間に変なことになって済まないね。ヒマーリア」


「いいえ、クランド様。わたくしは大丈夫ですわ」


 王子の慌てた怒鳴り声に、アマルテアはあくまでも淡々と答える。そうして呼ばれた名前に答えたのは、ヒマーリアに寄り添う青年。

 クランド、という名前にシャハルも含め周囲がざわつく。留学生として在籍していた隣国の第三王子、その名であるからだ。確かに婚約者がいる、という話は誰も彼も……同級生であるシャハルですら聞いてはいたのだが。


「それと、カーレラ様でしたか? わたくし、その方とたった今が初対面なのですが」


「馬鹿なことを言うな! 貴様はこのカーレラの存在を疎み、様々に嫌がらせをしていただろう!」


「そうです、謝ってくださいませアマルテア様! わたしがどれだけ、怖い思いをしたか!」


 もっとも、本題に戻ったアマルテアの言葉に周囲の意識はそちらへと惹きつけられた。そうして、激高した第二王子と子爵令嬢の叫びにそれぞれ、様々な表情を顔に浮かべる。

 好意的なもの、批判的なもの、どうでもいいから早く終わらせろという諦念などなど。


「今のお言葉、最初の方のみお返しさせていただきますわね。馬鹿なことをおっしゃらないでくださいませ、お二方とも」


 周囲の者の意向などを気にすることもなく、アマルテアは平然と答える。まるで王子よりも、こちらのほうが立場が上であるかのように。


「だってわたくし、公爵家当主としてのお仕事が大変忙しくて学園には来ておりませんもの。この一年」


「は」


「殿下。よもや、わたくしの両親のことをお忘れではございませんよね?」


 にっこり微笑んだアマルテアの答えに、シャハル王子はぽかんと口を丸く開いた。姉妹の容姿が酷似していることや妹の婚約者のことも合わせて……すっかり忘れていた、と表情が語っている。

 一年と少し前、アマルテアとヒマーリアの両親である先代ランダート公爵夫妻は不慮の事故により大怪我を負った。当主たる公爵はほぼ寝たきりの状態となり、夫人は回復が早かったものの夫の介護に専念したい、と王家に申し出た。

 実務は夫人が嫁ぐ前より公爵家で働いていた者たちがいるため問題はないが、最終決定を下すのはあくまでも当主。公爵家の血を持たない夫人はその地位を、我が子に継がせることにしたのだ。

 先代夫妻の子は二人……長女アマルテア、二女ヒマーリア。そのうちアマルテアは、学園卒業後にシャハル第二王子を婿として迎え、ランダート公爵家を継ぐことが内定していた。それを一年早め、婿を取る前にアマルテアはランダート公爵家当主に就任した。


「殿下はまだまだ学ばねばならぬ、と国王陛下のお言葉をいただきました。ですからわたくしはひとまず独り身のまま公爵家を継ぎ、領地に戻りました」


 そのことをシャハルは、自身の両親たる国王夫妻も同席の場で聞いたではないか。今になって彼は、そのことを記憶の片隅から引っ張り出すことができた。


「……あ」


「思い出していただけたのであれば、何よりですわ」


 思わず口に手を当てたシャハルに、アマルテアはほっとしたように微笑む。そうして、妹に視線を向けた。


「帰郷したわたくしと入れ替わるように、ヒマーリアは入学しました。ですが……殿下とお話する機会は、なかったわよね?」


「はい、姉さま。学年ごとに教室が違いますし、わたくしはタウンハウスに住まっておりましたから。イベントなどでお顔を拝見するくらいしか、お会いする機会はありませんでした。クランド様は時々、わたくしの顔を見にきてくださいましたけど」


「すぐ側に愛しい婚約者がいるんだ、機会を作って会いに行くのは当然だろう?」


 婚約者の帰郷をすっかり忘れていたシャハルと、婚約者にこまめに会いに行っていたというクランド。

 同じ王子である二人の違いを、周囲の者たちはしっかりと心に刻みつけた。少なくとも、シャハルがこの国を率いる可能性の低さには感謝しているようだ。


「だったらアマルテア、家を継いだのならなんでここにいるんだ! 学園をやめたんだろうが、卒業生でも何でもないはずだ!」


「卒業に値する単位は一年前に全て修めておりますので、卒業資格はございます。学園の方には、先日まで休学の手続きを取らせていただいておりました」


 あわあわと反撃をぶつけたシャハル王子に対し、アマルテアは悠然と答える。ギリギリのところでどうにか単位数を間に合わせた王子は、ぐっと息を呑み込んだ。どうもこの王子、全体的に記憶力が低いか興味のないことは覚えないたちと見える。

 父親たる国王が『まだまだ学ばねばならぬ』と言ったその意味は……どうやら、このあたりにあるようで。


「ですのでせっかくの卒業パーティ、学園の友人たちにもお会いしたかったことですので仕事を調整しましてね。婚約者様に招待されたかわいいかわいいヒマーリアと共に一年ぶりに学園に参ったところの、この次第」


 じろり。

 呆れ果てたアマルテアの視線が、シャハルに突き刺さる。おろおろしているヒマーリアの隣で、同じような感情を乗せたクランドの視線も。


「そもそも、こちらからお手紙を差し上げてもお返事の一つもございませんでしたわね。大まかなところは、クランド様やヒマーリアからのお手紙で存じ上げておりましたからよかったものの」


 やれやれ、と言った感じで肩をすくめるアマルテアの言葉に続き、クランドが口を開く。


「さすがに、義姉上となる方の名誉に関わることでもあるしね。何度か注意したはずなのだけれど、覚えているかな?」


「あれは注意だったのか? 婚約者以外の女性と必要以上に仲良くするな、なんて……ここは学園だぞ。他人の人付き合いに干渉するなど」


 シャハルがぽかんと目を丸くしたことに、クランドやアマルテアを始めとして皆が彼の顔に視線を集中させる。

 クランドがシャハルに注意したことは、さすがに覚えていたようだ。だが、その内容と理由を理解できていないことに呆れ果てている……ということも、シャハルは気づいていない。


「その結果、第二王子ともあろうお方が己の婚約者たる公爵令嬢をないがしろにしたわけだからね。もっと強く干渉すべきとも思ったけれど、他国の者がやかましいって言ったの誰だっけ」


 シャハルとクランドは、共に王位を継ぐ可能性の低い王子である。それなのに、同じ教室で共に学んだというのに、この差は何だ。

 周囲で見ている多くの同級生とその関係者たちは、一様にそう考えた。口に出さないのはひとえに、二人が王子だからであろう。


「それに、ヒマーリアも話は知っていたんだよね?」


「はい。別棟にまで噂が流れてくる時点で、わたくしどうしようと思ってしまいました……幸い、同級生の方々はわたくしと姉さまのことを案じてくださいましたから、きちんとお話した上で姉さまにもお伝えしました」


 クランドのいたわるような口調で紡がれた問いに、ヒマーリアは小さく頷いて答える。彼女の同級生は第二王子の愚かさに呆れ、ヒマーリアの立場を慮ってくれていたようだ。

 そもそも、自分の身の振り方を考えていない暴挙、とも言える愚行であるわけだし。そのことをアマルテアは指摘して、そして。


「殿下は第二王子でいらっしゃいます。王太子殿下の補佐を務めるために、我がロンダート家に婿として入るはずだったわけですが……さてどういたしましょう? 陛下」


「放っておくわけにはいかんな。もちろん」


 アマルテアが軽く小首をかしげ、問うた相手の顔を見た宴の参加者たちは一斉に膝を落とし、礼を捧げた。この国の国王が、既にその場にいたからである。

 ……どうやら、卒業を迎えた二人目の息子が愚かしい発言をしていることに気づき、こっそり入ってすべてを聞いていたようだ。当人とその横にいる子爵令嬢だけはぽかん、と立ち尽くしている。

 国の長に対する無礼をちらりと視界の端にだけ映し込み、国王陛下は「皆の者、楽にせよ」と許しの言葉を与えた。そうして、今の事態を打開するための言葉も。


「アマルテア・ロンダートとシャハルの婚約は、ひとまず凍結とする。詳しいことは後々話し合うことになるがまあ、シャハルの瑕疵による白紙撤回というところでよいかな? 無論、慰謝料その他はこちらから支払う」


「陛下の仰せのままに」


「へっ?」


 国王の宣言にアマルテアは礼を取り、シャハルは間の抜けた声を漏らした。


「また、王たる我の許しなく家と家との契約である婚約の破棄を進めた、ということでシャハルの王位継承権及び王族籍についても凍結。剥奪の手続きを進める前提だから、覚悟しておけ。愚か者」


「え、え?」


 話の展開が見えない次子に対し、王はさくさくと話を進めていく。そうして彼の視線は再び、子爵の娘に注がれた。あくまでも温度のない、冷たいものではあるが。


「ああ、それとカーレラ・ハスルであったか。シャハルとの婚姻はまあ、許してもよかろう。できの良くない平民を婿に取るからにはそなた、よほど優秀なのであろうな?」


「あ、どうしてシャハル様が平民になるんですか! おかしいです!」


「個人的な感情による契約破棄で、生まれた家に恥と損害を発生させたからだな。平民でも勤め先にそのようなことをやらかせば、当然罰は与えられると思ったのだが」


 ここまで話に入れなかったカーレラの、相手を考えぬ抗議に対し王は分かりやすく、きっぱりと反論してみせた。数年前まで平民であった少女に理解できる内容であるはずのその言葉に、カーレラはだが再び声を上げる。


「平民と王子様は違うんじゃないんですか!?」


「違うのであればなおのこと、責任を取らねばならぬだろうが。シャハルは他国の王子の前で、自分はその足元にも及ばぬ愚か者であることを暴露したのだからな」


 ばっさりと切って捨て、それから王はロンダート姉妹とクランドの前に進み出る。眉間に密やかにシワを寄せ、そうしてわずかに頭を下げた。


「アマルテア、ヒマーリア、そしてクランド王子。お恥ずかしいところを見せてしまい、さらにロンダート家には酷い侮辱を与えてしまった。愚か者の父として、謝罪する」


「いえ。国王陛下が詫びを述べることではありません。述べるべきは、当のお二人でありますゆえ」


「婚約者として、シャハル殿下をお諌めすることもできず申し訳ありませんでした」


「婚約者の妹として、何かできることがあったはずです。申し訳ありませんでした、陛下」


 言葉を受けた三名はそれぞれに返答を紡ぎ、更に頭を下げる。その姿に周囲から最初は数名、そして全体に拍手の音が広がった。

 その輪に入ることができないのは、王子とその隣に立つ子爵令嬢のみ。その二人に鋭い視線を投げ、王は小さくため息をつく。


「シャハル、及びカーレラ・ハスルの両名をこの場より連れ出せ。ひとまずは待機室へ」


 王の言葉に、警備の兵士たちが動く。あっという間に名指しされた二人はその腕を抑えられ、彼らに引きずられるように会場を後にした。


「父上! 陛下! どうか私の話を聞いてくださいっ!」


「いやあ! やめて、何するのよいやらしい! 王様あ!」


 彼らが残していった叫びとその前の行いの品の無さは、その晩には都じゅうに広がったという。




 さて、卒業パーティより十日の後。


「義姉上、釣書のご確認はされないのですか」


「一応、見てはいるのですけれど……なかなか」


 国王がさくさくと手続きを進め、シャハル王子との婚約は白紙撤回。婚姻時に下げ渡されるはずであった王家の財産の中からロンダート家に賠償がなされ、第二王子は己の地位を失った。ついでに子爵令嬢も。

 結果として現在、アマルテアは配偶者募集中の公爵家当主である。その彼女のもとに、それなりの数の釣書が送られてきているのだ。山のようにとまでいかないのは、何しろ公爵なので相手の地位も相応に高いものが求められるからだ。


「まあ、公爵家当主の配偶者狙いですものね」


「ヒマーリア……分かってはおりますけれど、もう少し言葉を選んだほうがいいのではなくて?」


「姉さまに結婚を申し込む以上、僅かなりともその狙いがあることは確実ですから」


「否定はしませんけれど」


 妹であるからか、周囲に聞かれて困る人物がいないからか、ヒマーリアの言葉はストレートである。

 ……もしかしたら、自分の隣りにいる人物に力づけられてのものかもしれない。


「義姉上の婿にふさわしい男が選ばれるまで国に戻ってくるな、と父から仰せつかっております。しっかり選んでくださいね、義姉上」


「そちらの国王陛下には、大変お世話になっておりますわね。ひとまず、お礼の文をしたためなくては」


「父も喜びますよ。……ま、その代わりにこれですが」


 義弟となる予定である隣国の第三王子は、軽く頭を振りつつ釣書のいくつかを叩いてみせる。アマルテアの婚約解消を知った彼の父、すなわち隣国の王がこちらによこしてきたものだ。つまり、隣国の高位貴族の息子たちがそこには記されているわけだ。

 第三王子、つまり王位継承者でもそのスペアでもない存在としてこの場にいるクランドは、ヒマーリアとの結婚後は隣国に居を構えることとなっている。こちらの国との友好関係を築くため、つまりは政略結婚だ。

 公爵家の娘を一人自国にもらうのだから、こちらからも高位貴族の係累を送り込みたい……というのがクランドの父、隣国の王の思惑である。


「シャハル様よりよい方であれば、わたくしはうれしいですわ」


 釣書を眺めながらそういうアマルテアに、ヒマーリアとクランドは心の中で同時に叫んだ。


 基準が低すぎます、と。

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基準が低すぎる 山吹弓美 @mayferia

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