【第六十話】その男、知らぬ間に複雑になっていく

 厄介な状況になったと一喜は内心で呟く。


「兄ちゃん、おかえり!」


「今週はどんな飯なんだ、兄ちゃん!」


「ずっと何処行ってたのさ、兄貴!」


 子供達は全員ではないが、少なくない人数が居る。

 彼等は今一喜の周りを囲ってわいわいと騒いでいて、率いていた少年も一喜と顔を合わせることが出来る事実に喜んでいた。

 子供達にとって一喜は救世主だ。何の対価も求めずに奪っていくばかりだった物資を何も惜しまずに提供してくれた。

 子供とは悪意には敏感で、同時に善意にも敏感だ。刷り込まれた大人の汚さの所為で警戒感が無いとは言わないまでも、手を指し伸ばしてくれる者が良い人間であることを察することは出来た。

 何より、この場を率いる少年が一喜を信用している。

 実質的なトップが彼を信じているのなら、子供達が信じるのに然程の時間は掛からなかった。


「よ、一週間ぶり。 色々話したいことはあるんだけど……その前にそこの女は誰だ?」


「あー……」

 

 子供達が少し離れた段階で少年は一喜に声を掛け、近くで子供達を目を丸くしながら見ていた糸口の素性を尋ねる。

 糸口は少年の若干の棘のある言い方に肩を跳ねた。

 彼女は解っていないが、やはり元の世界から移動した直ぐの段階なのでまったく汚らしい印象は無い。寧ろ逆に、この街に似合わない程に彼女は清潔に過ぎた。

 一喜を最初に見つけた世良もそうだが、見た目の差は相手の素性を特定する材料になる。

 この場合、少年は彼女をこの街の近くに住む人間ではないと静かに臨戦態勢に入っていた。

 彼の全身から僅かに出てきている険吞な雰囲気を一喜は察して、致し方無しとわざとらしく咳払いを一つ。少年達の注目を集め、一応はと用意していた素性を口にする。


「こいつの名前は糸口・望愛。 俺の後輩だよ」


「後輩? てーと、同じ組織の?」


「まぁな。 とはいえ、彼女は戦闘職じゃないから俺みたいにカードを持ってる訳じゃないが」


 へぇ、と少年は糸口を上から下に見る。

 露骨と言えば露骨だが、彼女もこの段階で以前作っておいた設定を思い出した。

 驚きを胸に仕舞い込み、意識的に柔和な笑みを浮かべて腰を落とす。

 少年と視線を交わして瞳を見れば、そこで初めて険吞な色を彼女は認識した。これで身分が怪しければ、今頃はどうなっていたのかまったく解らない。

 金持ちの社交場とは違う。ある種、肉食動物と面と顔を合わせているようなものだ。

 これが子供達の普通だとは思いたくないが、もしもそうであればと背筋に冷たいものが流れた。

 

「初めまして、今日は先輩に無理を言って連れて来てもらいました。 よろしくね」


「ふーん、俺は烈だ。 あいつの仲間なら一先ず信じるよ」


「ふふ、信じてもらえるように私も頑張るよ」


 少年――烈と糸口の初接触は極めて穏やかに終わった。

 その背後にある感情を二人は共に解除して、一喜は二人の様子に胸を手を当てたい気持ちになる。

 一先ずは無事だ。ならば後は、彼女を家に帰すことを優先しつつ情報収集に勤しむべきだろう。

 この場に少年達が居ることくらいは然程不思議ではない。物資を求めて日夜駆けている者達なのだから、この近辺を歩き回っていても自然だ。

 

「自己紹介は済んだな。 ところで、立道達はどうした?」


「あっちは拠点の設営をしてるよ。 コンテナを部屋として使えるようにしてて、その間の食料とかを俺達が集めることにしたんだ」


「……普通、逆じゃないか?」


「何言ってんだよ、ガキじゃなきゃ通れないところにお宝はあるもんだぜ?」


 烈の自信に満ち溢れた様に苦笑して、一喜はそうかと返した。

 子供達だけではいざという時不安だが、かといって烈が一つの集団のリーダーをしていたのは事実だ。確かに重たい物を持ち上げたり、あるいは高い位置に物を置くとなると少年達には難しい。

 かといってそのまま子供達を遊ばせるだけでは物資の不足が絶対に起こってしまう。

 烈はそこを見越した上で、引き連れることが出来るだけ引き連れて物資探索に向かっていたのだろう。

 

「ってことは、今は丁度探し始めたばかりって感じか?」


「そんな感じ。 起きたのも一時間前だしな。 でもま、あんたが居るなら今日は見つからなくても問題無いな!」


「ははは、頼りにしてくれて感謝感謝」


 何度か軽く烈の頭を叩き、二人はにこやかに会話をしていた。

 糸口と話した時とは比較にならない穏やかさは、正しく一喜自身が勝ち取った信頼の結果だ。

 犬歯を剥き出しにした犬が懐いてくれるには、それ相応の情が行動が求められる。

 散歩をすること、餌をあげること、そして何よりも――愛情を与えること。

 それだけで人が誰かを慕うなんてことはなくても、窮地を救い上げてくれた存在に多大な影響を受けることになる。

 一喜の精神は平和主義だ。悪人を絶対に許さぬ苛烈な精神を有しているものの、それ以外に対しては口は悪くなっても優しくなってしまう。


 その影響を烈は受けた。本人は受けたとも感じてはいないだろうが、間違いなく烈は自分自身の頭で優しい行動を取ったのだ。

 そんな二人を、糸口は兄弟のように見ていた。生まれも世界も違う他人同士なのに、どうしてか二人は似通っているように見えたのである。

 

「今日は昼からそっちに向かう。 準備があるから、例のコンビニに昼に集合してもらうよう伝えてくれ」


「手伝うけど?」


「他にやることがあるんだ。 それに、説明はいっぺんに終わらせたいからな」


「ふーん、何かわからないけど解ったよ。 じゃあ俺達は行くな」


 子供達を集合させ、手を振りながら烈達はその場から離れていった。

 一喜も糸口も軽く手を振り、そして姿が見えなくなったと同時に息を吐く。

 いきなりの強風であったが、嵐程激しさはなかった。無事に他所へと誘導出来たのであれば、約束の昼までは大きな騒ぎには発展しないだろう。

 彼等の落ち着きようから敵の出現も現時点ではない。ならば、まだ安心出来る段階で彼女を戻して準備に入るべきだ。

 

「……皆良い子でしたね」


「初対面の時はもっと危険な感じだったけどな」


「きっと先輩が手を伸ばしたからですよ。 それに烈君と先輩の姿、なんだか兄弟みたいでした」


「兄弟? ……冗談はよせよ」


 今日の事を糸口・望愛は忘れない。

 彼女は見た。彼女は聞いた。彼女は知った。

 オカルトが現実になった瞬間を、職場では優しい先輩の裏の顔を。彼は一人では中々選択出来ないような道を選び、そこを進んでいる。

 手を伸ばせる範囲は人によって異なるが、一喜は一人だ。一人で出来る範囲なんてたかが知れているし、本人も理解はしている。

 忘れるなかれ、個人が集団の全てを掬い上げることは出来ないのだ。

 それが出来るのは同じ集団だけで、故に彼女は理解してしまった。

 きっとこの関係は長くは続かない。一喜の方の負担が大き過ぎるが為に、先に彼の方が崩れてしまう。

 それでも彼は何とかしようとするのだろうが、常に逸脱するような解決策を用意していれば肉体が壊れるのは自明の理。


「それより、今日はもうお前を戻すぞ。 シフトも入っていることだしな」


「長居は最初からしない約束ですからね。 今日は帰ります――――けど」


 誰かが何とかしなければならない。彼を救いたいのであれば。

 彼の周りには人が集まっているように見えて、その実一人で歩いている。その道が断崖に続くと確信していて、それでもどうにかしようと考えている。

 彼女はそこに唯一関わった。誰もが知らないような世界を共に知り、そして真に協力を結べる相手も自分ではないと確信もした。

 ならば、と思う。出来ることならば、と思う。

 それが善意だけではないものを孕んでいると知りつつ、隠しながら彼女は柔らかい微笑と共に次を望んだ。


「また此処に来ても良いですか?」


「駄目に決まってるだろ」


 その次は呆気無く却下されたが。

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