【第五十八話】その男、女を迎える

 時間は回る。

 結局のところ、一喜は糸口の攻勢に白旗を上げるしかなかった。

 どれだけ拒絶したところで情報を別の誰かに流すと言われれば、一喜は素直に受け入れるしかない。

 喫茶店での会話も所詮は時間稼ぎの範疇を超えず、どうしたとしても彼女にあの世界を見せることになるのは必定だった。

 ならばと、一喜は念を入れて糸口に注意事項を事前に説明しておいた。

 先ずは日程だ。土日のどちらか一日に限定し、その上で彼女が両方のシフトに入っているのを知っているので時間を合わせる。

 彼女は基本的に深夜は働かない。昼から夜に掛けて働くので、見ようとするのであれば早朝か深夜帯だ。

 この内、深夜帯は論外である。危険度が他の時間帯よりも高く、一番不審者が現れ易い。

 

 出来れば彼女には当日休んでもらいたいが、彼女にも生活がある。

 バイトである身の上の彼女には休むという行為そのものがダメージに繋がってしまう。一喜とて休みの日だから色々行動しようと考えられるのであって、実際に仕事の日であれば彼はそちらを優先する。

 現段階ではどうしたって糸口は此方を優先する以上、どうしても休ませるという選択は出来ない。

 ならばと、それを理由に本当に玄関から見えるものか少し外に出ただけの景色に絞ることを厳守させた。

 これを守らないのであれば、物理的な方法でもって強引に戻す。それは糸口自身も納得し、日程についてはこれで終わった。

 

 後は恰好や設定の擦り合わせだ。

 此方側の情報が向こうでは使用すべきではない以上、一喜のように身分などを完全に隠蔽する必要がある。

 そちらについては糸口は一喜の過去話から作り、彼を呆れさせた。

 本当にそれで良いのかと何度も確認しては笑顔で返事をしたので、もうこの状態のまま進むことになるなと溜息を吐いたことを一喜は覚えている。

 それ以降は二人揃って何でもない風を装い、連絡先を交換してから準備を進めていった。

 

「やっべーな、今回の荷物」


 金曜日の夜。

 玄関横に置かれた配達物を見て、一喜は思わずと言葉を漏らす。

 段ボールが縦に四個。一つ一つは大した重量ではないだろうが、それを子供達が居る地点まで運ぶとなると骨が折れるだろう。

 それらを苦労しながら室内に運び込み、一喜はほうと息を吐いて中を確認する。

 中身はメタルヴァンガード内で稼働していた玩具達と、自分や子供達向けに用意していた食料や雑貨だ。

 折り畳まれた小規模テントの姿もあるが、流石に今回は数少ない。

 なお、今回の購入で大分金が吹き飛んだ。貯金が無ければ非常にまずかったとしか言えない程に購入し、恐らくは玩具の方が近い内に全滅することだろう。

 頑丈は頑丈だが、それでも怪物を撃退させるには耐久性には幾らか難がある。

 

 使えなくなる事実に悲しくもなるが、今は致し方ない犠牲であると判断して普段使いのリュックに雑貨や食料を詰め込み始める。

 その最中に呼び鈴が押された。深夜帯とも言うべき時刻に来客があるのは非常に珍しいが、一喜は迷うこもなく扉へと近付いて開ける。

 

「来たな」


「はい、準備は確りと」


 開けた先に居たのは糸口だった。

 ファー付きの濃緑のジャケットを着つつ、ズボンは動き易さを重視した幅広のカーゴパンツ。

 手には着替えや洗面道具の入った手提げ袋が存在し、彼女が本日此処に泊まりに来たことを表している。

 此処に誰かを招くのは予想外ではあるが、掃除自体は毎週してあるので中に人を招くことに心情以外に然程の問題は無い。

 彼女は初めての異性に入るのか、それとも気になる異性の部屋に入るのか視線を彷徨わせていた。

 

「あんまり見ても面白くはないぞ」


「いえ……そんなことはないですよ」


 家にはその人の匂いがあるという。

 別に彼女の嗅覚が鋭い訳ではないが、慣れない匂いを糸口は静かに感じていた。

 そのまま何とも言えない気分を味わいつつ、土曜日零時に合わせる為に彼女は待機の為に一喜の部屋の隅に座り込む。

 座布団の類をまたしても用意しておくことを忘れていた一喜だが、今回に限っては自分は悪いとは思わずに放置する。

 踏み込んだのは彼女だ。ならば最低限のことだけを守っていれば文句を言われる筋合いはない。

 

「出る時は窓から出れるぞ。 格子が無くて運が良かったぜ」


「人生で初めてですよ、玄関以外から外に出るのって」


 窓のサイズは人間一人なら問題無く潜り抜けることが出来る。

 明日も仕事である以上、彼女が家から外に出るには窓から出るしかない。

 玄関が異界の繋がりになっていることの弊害だ。それ故に一喜は週末を缶詰と買い置きの飲み物で済ませ、他の曜日で全てを整えている。

 彼女は視線を彷徨わせ、やがて開けられた段ボールに入っている玩具達に目を向けた。

 トンボの形をした玩具が無数にある様は異常にも思えるが、それが余計に異世界の信憑性を高める。

 時間は二十三時を超えた。後一時間もしない内に真偽の程が判明する。

 胸の鼓動は既に五月蠅くなっていた。それを彼に悟られないように、未だリュックに荷物を詰め込み作業をしている一喜に声を掛けた。


「子供達の為に何時もそれだけの量を?」


「ん、ああ。 向こうはもう世紀末みたいな有様だ。 まったく食料が見つからない状況じゃ、俺が用意する食料が生命線になっちまう」


 リュックに缶詰が入る度、何か鈍い物同士が激突する音が聞こえる。

 缶詰一つあたりの重量は大したことではないが、それが増えれば増えた分だけ必然的に重量は増していく。

 何時かは一喜だけで全てを運び込むには時間が掛かり過ぎるようになるかもしれない。向こうの環境を詳しく知らない身の糸口では、彼のしていることは無謀にも思えた。


「それ、何時までするんですか」


「さぁ、何時までだろうな。 一応は決めてあるけど、正直そんなのは口約束の範囲を出ない」


 それはつまり、子供達が安心して暮らせるだけの土台を完全に構築するまで支援を止めないと言っているのと然程変わらない。

 子供一人を育てるのにどれだけの資金と、どれだけの物が必要だろうか。

 子供を産んだことも結婚すらも視野に入れたことがない糸口では、その具体的な数を脳裏に浮かばせることは出来ない。

 けれど、実際に彼がしていることがどれだけ難しく――――そして誇れる類のものなのかは解る。

 糸口に同じことが出来る自信は無い。毎週に渡って大量に品物を用意して、それを無償で提供するような真似は彼女には難しい。


 だってそれは金持ちがするようなものだ。一喜や糸口のように、生活が決して裕福とは言えない者達がする行為ではない。

 自滅であり、自殺であり、終焉だ。

 人は自分が満たされているからこそ、誰かに手を差し伸ばすことが出来る。

 このままでは一喜の生活はどんどんと悪くなる一方だ。誰かが支えるか、或いはそもそもの根本を封じなければ改善はならない。

 そしてこのピンチを知っているのは他に糸口のみ。

 この事実が、彼女を余計に深みに嵌めることになった。本人は意識してはいないが、瞳には確かな決意が滾り始めている。


「あの、これが真実だったらの話なんですが」


「ああ」


「もしも真実だったなら、手伝うのは駄目ですか? 正直話を聞けば聞く程、先輩一人では無理にしか思えないような……」


 感じた言葉は、一喜の胸に突き刺さった。

 確かにその通り。彼女の語る言葉全て、まったくの正論としか言いようがない。

 彼も苦笑してそうだなと答え、けれどもと言葉を続ける。


「やれる範囲でやるだけさ。 出来なきゃ素直に諦めるよ。 ……ま、そうなる前に現地で生産可能にしたいけどな」


 その横顔は、彼女には酷く魅力的に見えた。

 表情には優しさが滲み、けれど瞳にはやってやると決意を漲らせ――彼女の知る如何なる男性ともやはり当て嵌まらない。

 カチリと、何かが嵌まる音が彼女の頭の中で静かに響き渡った。

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