【第五十七話】その男、女を止める
「まさか喫茶店で話をすることになるとは思いませんでした……」
「俺も今日は行くとは思ってなかったよ」
一喜と糸口は場所を移し、人の少ない喫茶店に入っていた。
木材を多量に使った自然風の様式はチェーン店では中々出来るものではなく、この店が個人経営に分類されていることが解る。
店員も恐らくは店主であるご老人が一人だけ。案内された対面式の机に二人は座り、机の上に置かれたメニュー表を眺めて一喜は眉を寄せる。
初めて入った店であるが、メニューが割高だ。過剰とまでは言わないまでも、やはり個人で採算を取ろうとすると必然的に値段が上がるのだろう。
二人は最初の言葉移行、暫く無言でメニュー表を眺めていた。そして一喜は紅茶を、糸口はコーヒーとフレンチトーストを注文する。
店主は静かに注文を受け、およそ十分後に全てが皿に並べられた。
ごゆっくりどうぞという言葉を受け、二人は先ずはと飲み物を口にする。
喫茶店で飲む紅茶はもう随分と久し振りだった。ストレートを頼んだが故に味は薄いが、仄かな甘味が一喜にとっては丁度良い。
糸口もコーヒーには満足していたようだ。直ぐ傍に空になったミルクと砂糖があるのを見るに、彼女はブラックを好まないのだろう。
そのまま暫く時が流れる。どちらが先に口を開けるべきかと考え、俺からだろうと一喜が溜息と共に口を開けた。
「正直に言って、これから先の話は全て信じられない内容だらけだ。 体験していなければ、とてもじゃないが妄想の類にしか感じられない」
「構いません。 深刻な顔をしていたのですから、信じるか否かについては聞いた上で判断します」
「解った。 長くなるが、まぁ気楽に聞いてくれ――」
何をしているのか。
その内容を全て説明するとなると、どうしても時間が掛かる。
しかし、細かい部分についても説明しなければ彼女に妙な誤解を与えかねない。少しでも現状を知ってもらうのであれば、一喜は一分の嘘も含まずに語らなければならなかった。
そこには当然、元怪物である人間の殺害も含まれる。
紅茶やコーヒーを幾らかお代わりをしつつ、一喜の口は止まらない。糸口が真剣な表情をしている限り、彼もまた緊張を抱きながらも真正面から語る。
一時間だろうか、二時間だろうか。
語るべきを全て語る頃には、店内には数名の客が訪れては帰っていた。店主は長く居座る二人に何も文句を言わず、当の本人は静かに自分で作ったコーヒーを楽しんでいる。
一喜が口を閉じた時、糸口は静かに目を閉じた。
彼が語った全ては確かに妄想の類と切って捨てることが出来る。正直に言ってしまえば、彼女自身もこの話を信じることは出来ない。
異世界があることもそうだし、その世界でとある特撮作品の色が強く出ていることもそうだし、何より一喜が悪人との戦いの過程で既に何人もの人間を殺していることもそうだ。
殺人者がコンビニで暮らしている。
それは忌避感を抱きかねないものだ。関りなんてまったく持ちたいとも思わない。
これが赤の他人の言葉であったなら、そのまま静かに距離を取って逃げていただろう。
だが、それを話したのが一喜なのだ。全てを信じる前に一度確かめるくらいはしたいと、糸口は素直に思っていた。
「……正直に言いますと、信じ切ることは出来ません」
「だろうな。 俺でも赤の他人からそんな説明をされたら頭がおかしくなったんじゃないかと思うよ」
素直な感想に一喜は大きく頷く。
困惑が大いに混じった彼女の言葉は当然だ。だからこのままこの話は終わりを迎えるだろうと、一喜は半ば確信している。
今回の出来事は真意を見せない男がはぐらかしただけ。そういう風に持っていければ、何も問題にはならずに落着するのだ。後に残るのは離れていくだろう糸口と、それを解っていながら苦笑する一喜自身だけ。
素晴らしい話ではないか。此方側でも面倒を増やさない為には、なるべく面倒な性格の持ち主とは関わらない方が良い。
特に好奇心旺盛な奴や、気が違っているような奴とは。
表面上は真面目な顔をしているが、内心の一喜は盛大な笑顔を浮かべていた。そうだそうだ、このまま終われと野次を飛ばすかのように彼女にエールを送っている。
静かな店内で糸口が次の言葉を発するまでは、幾分か時間が掛かった。
やがて深呼吸を一つして、彼女は真剣な表情を保ったまま――――信じたい男へと言葉を募らせる。
「その……確かめさせていただくことは出来ますか?」
「――は?」
「その異世界という場所に私を連れて行ってくださることは出来ますか?」
内心の一喜の表情は凍った。
違うだろう、そうじゃない。此処でお前が俺に言うべきは疑惑混じりのものや、或いは真実を話さないことによる軽蔑であるべきだ。
断じて、信じたいと思うことではない。それに彼女を異世界に連れて行くとなると、幾つもの問題が発生することになる。
中でも一番なのは、命そのものだ。彼女の身の安全を確かなものにしない限り、当たり前だが向こうになど連れて行ける筈も無い。
「出来る訳がない。 俺の話を聞いていたのか」
自然、一喜の口調に焦りが混ざる。
異世界の人間が死んだところで此方には何の影響も無い。心情的な負担があるにはあるが、それは一喜にとってあまり大きな障害にはなりえない。
けれども、此方に住まう人間が死ねば大問題に発展する。特に糸口という人間は、何処の金持ちかは定かではなくとも大事にされなければならない娘だ。
そんな人物をあんな危険な場所に誘うことはしない。故に、彼が断定として連れて行かないことを選択したのも当然だ。
糸口自身もそれは解っている。解っていて、その上で彼女は確かめたいと彼女は更に言葉を募らせる。
「先輩の語った内容が真実であるかどうかが解らない内は、私にはそこが危険かも解りません。 ですのでそれを知りたいのです。 そこに金持ちの娘である事実は関係ありません」
「君はそう言うが、君の兄が黙っていないだろう。 君自身が関係が無いと言ったところで、君の兄妹や主従関係にある者が黙っている筈がない。 ……悪いが、俺は君をあそこに行かせるような真似はしたくない」
彼女が実家は関係無いと言うものの、勿論そんなことはない。
彼女自身は気にしなくとも、彼女の兄や沢田という従僕は絶対に一喜を責め立てるだろう。
そのまま社会的に抹殺されてしまえば、一喜自身の生活は一気にどん底だ。
分の悪い賭けどころではない。あの世界の危険度を鑑みれば、連れて行かないことは大前提であると言える。
「今日聞いたことは与太話として流してくれ。 君を死なせるような目に合わせたくはない」
最後には懇願という形となるが、一喜は静かに頭を下げた。
その様に彼の本気を彼女は見た。全てを未だ真実であるとは思えないが、彼女は彼の語った全てを信じたくて堪らなくなる。
仮に真実であるとして、この秘密は確かに他者には話せない。話せるとすれば、彼自身が余程信じられる人間に対してだけ。もしくは糸口のように脅した場合くらいなものだろう。
一喜自身の社会的立場は高くない。もしもこれが他に漏れるとするなら、それを隠蔽する誰かが必要となる。
――そして、彼女にはそれを可能とするだけの家の力があった。今はまだ親の影響が強過ぎるが。
「なら、玄関から先の風景を見るだけでは駄目ですか?」
「え?」
「信じるのなら玄関から先を見るだけでもきっと十分です。 あ、画像とか動画は駄目ですよ。 最近は合成技術も進歩していますから」
彼女は退きたくない。
退かず繋がり続けることが出来たのなら、そこにはきっと二人だけの特別な繋がりが出来上がるから。
その為ならば、彼女は何もかもを利用するだろう。それこそ、嫌悪している家の力でさえも。
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