【第五十六話】その男、脅される
実際に歩いてみると解るが、異世界と此方の世界の共通項は一喜が想像しているよりも少なかった。
何時からあるのか解らないコンビニと、幾つかの古い店。そして舗装された道と何処か重なって見える街並み。
全てが全て、ある程度長い過去がある建物だけが異世界との共通項だ。
そこから更に異世界では訪れたことの無い倉庫街に辿り着き、数の少なくなったコンテナ達に視線を向ける。
コンテナは鉄錆だらけだった。何年もの間雨風に晒された結果、青や橙に染まっていたであろうコンテナには銅色の汚れが付着している。
倉庫街の周囲には鉄線が張られ、立ち入り禁止の看板が道を封鎖するように立てられている。
されどそれも、コンテナと同様に無事であるとは言えない姿だった。
調べてみなければ解らないが、この土地は古くから放置されているような気配を漂わせている。
活用していた会社が潰れ、誰も管理せずに放置しているからなのか。それとも何処かの会社が土地を手にしてから何かしらに使う目的を模索しているのか。
確かなことは不明であれど、誰も入らない空間には人工物と自然物が歪に融合して存在していた。
この近くに海は無い。コンテナを此処に置く意味は果たしてあったのだろうかと首を傾げはするものの、今の一喜にとってはどうでもよかった。
「こんなの見ててもなぁ……」
何とはなしに歩いた結果だが、こうして世良達が暮らしているだろう場所を見たところで妙案が浮かぶ筈も無く。
此方と彼方では明らかに建物に差異が生まれているのだ。ならばこの倉庫街と呼ばれる場所も、向こうではまた違う姿を一喜に見せるだろう。
これを元にしてあれやこれやと対策を練るのは不可能だ。故に、やはりこれは散歩以上の域を出ることはなかった。
「向こうの世界とリンクしていれば話は簡単なんだが、どうにも目論見通りにはならないってのが面倒臭ぇ。 世の中もっと単純であってほしいわ……」
「――先輩」
封鎖された倉庫街の前で愚痴を零す。
特に誰の言葉も返ってこないと解っている内容だったが、しかしこれに反応する声があった。
思わず身体が硬直する。声の種類は高い女性のもの。それも年若く、ましてや彼のことをそう呼ぶ人間は限定される。
油の切れたロボットが如く。軋む幻聴を聞きつつ、一喜はゆっくりと振り返る。
果たしてその先には、私服姿の糸口が居た。
ファー付きの濃緑色のジャケットに、仕事では見ないダメージジーンズ姿。黒シャツは解り易い程に身体のラインを浮き彫りにしていて、されど彼女にはまったく気になっていない。
糸口は彼を見て、にこやかな表情をしていた。
その様は友人とばったり会って挨拶をしただけのように見えるが、一喜は断じてそうではないだろうと当たりを付ける。
彼女の家に近いのは一喜も働くコンビニだ。何か買い物をするとしてもコンビニで済ませれば良いだけで、それで足りないならば少し歩けばスーパーもある。
それに、一喜が此処に来たのはまったくの気まぐれだ。なのに、そこに彼女が偶然現れるなんてことはあり得ないだろう。
予測を束ねて結論を出すのなら、一喜の後を追って来た。
「……付いて来たのかい?」
「もう普段通りで構いませんよ。 家を出たところを偶然目撃したので……」
「俺と君の家は互いに見える位置にあったか?」
彼女の拙い言い訳を即座に否定すると、本人は口を噤んだ。
自身で自爆するのは流石に予想外であるも、お蔭で彼女がストーカーのように一喜を見ていたことはこれで確定となった。
正直に言って相手は極めて端正な顔立ちの美少女である。そんな相手にストーキングされるというのは、男として若干悪い気もしない。
そこに気持ち悪さが無いのは、同じ職場で働く彼女を知っているからだ。以前の出来事も含めてしまえば、もう彼女との関係を知り合いで済ませるのは難しい。
「はぁ、それで? どうしてついて来たんだ。 面白そうなことなんて何も無かっただろ」
「いえ、随分と憂鬱な表情をしていたので。 気になってしまって思わず」
「……そんなに顔に出てたか?」
「はい、それはもうはっきりと。 ついでに色々独り言を呟いていましたよ」
咄嗟に口を一喜は片手で隠すも、時すでに遅し。
彼女はその表情を困惑と興味に変え、二人の間にある距離を僅かに詰めた。
「その、ええと、先程の話は一体なんだったのでしょうか」
「気にすんな。 ただの妄想だよ、妄想」
間違いなく異世界的な言葉を糸口は拾っている。
それが一喜の憂慮の中心として存在し、心労を与えていると認識していた。
一喜は顔を逸らして男の恥ずかしい妄想だと告げるも、彼女はまったくとその言葉を受け入れることはしない。
妄想と片付けるには、一喜の顔はあまりにも疲れで満ちている。
その表情は仕事で迷惑客の相手をした後のようで、だから付き合いの薄い彼女にも一喜が嘘を言っていると解るのだ。
「流石にその顔を見ては嘘だとしか思えませんよ、先輩」
確信を込めて一喜を見やる糸口に、彼はどうしたものかと思考を回す。
異世界について話をするような真似は避けたい。するのであれば、絶対に口止めをしておく必要がある。
彼女曰く、深刻な顔で向こうの世界だとかを呟いた。それを彼女は狂言だと思わず、何かあると信じて突き進んできている。
厄介事がもう一つ増えたと頭痛がする。軽く自身の頭に手を当てつつ、先ずは引き剥がすことから始めようと口を動かした。
「お前さんには関係の無い話だ。 干渉してくるな」
「――それはつまり、先の呟きは真実であると肯定するのですね?」
「まぁな。 ちょっと厄介な事があったから、それについて頭を悩ませていただけだ」
彼女に彼の言葉が真実であると告げるも、この悩みは己自身のものであるから関与するなと冷たく伝える。
あの世界を他に招きたくはないし、招いたとして生存の保証もない。
此処よりも遥かに死の気配が濃密であるからこそ、死すらも飲み込んで前に行ける人間だけがあそこで生活することが可能となる。
殺意を前面に押し出して威圧して、関わるなと隣を抜けようと歩き出す。
これで彼女が何もしなければそれで良し。一喜程度の威圧で恐れを抱くようであれば、あの怪物達の本気の殺意の前では腰砕けになるだけだ。
果たして――――通り抜けようとしたその瞬間に彼女は一喜の服の袖を掴んだ。
顔を反射的に糸口へと向け、彼女もまた一喜と視線を合わせる。その瞳にはやはり妖しい輝きが存在し、不気味な感情が渦を巻いていた。
「先輩。 悩み事があるなら協力しますよ。 助けてもらったのに助けないなんて恰好悪いじゃないですか」
「俺は助けてほしいとは思っちゃいない」
「私が助けたいんです。 私が」
強い目だった。恐ろしい目だった。不思議な目だった。
出口の見えない暗い洞窟のような瞳が一喜を誘う。どうかそのまま堕ちてきてと懇願しているようで、そこに堕ちれば間違いなく這い上がることは出来ないだろう。
まるで地獄への直通便だ。
「向こうの世界ってなんですか」
「なんだろうな」
「あそこを眺めて何か意味があったんですか」
「どうだろうな」
「……もういいですよ、それならもっと状況をややこしくするだけですから」
一喜は無視をすれば全てが解決するのではないかと願っていた。
そうすれば、向こうも過去の出来事を忘れてしまうだろうと。所詮は日常の一コマに過ぎず、早々に脳からも廃棄されると。
だが、一人の男に執着する女とは恐ろしいものだ。他の誰とも違う魅力があると自分だけが気付いてしまったから、彼女はそれを他に取られたくないと無意識で思ってしまっている。
彼女は空いている左手で腰ポケットから携帯を取り出した。
それを一喜の前で振り、嫌が応でも意識させる。
「そういうお話が好きな人が居るんですよ。 最近仕事のシフト云々で番号を交換したんですけど――渡辺先輩って言うんです」
「OK. 一度落ち着こうか」
コンビニでこれ以上拡散されるのは不味い。
一喜に残された選択肢は白旗だけであった。
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