【第五十五話】その男、迷い歩く
翌朝。
朝日の差し込まない室内にて、一喜は朝の七時に起床した。
寝惚け眼のまま朝食を済ませ、朝風呂に入って身を引き締めさせる。意識が完全に覚醒するまでは呆けて忘れていたことも、一度冴えてしまっては思い出してしまう。
折角の爽快な朝も、積み上がった問題が二つに増えてしまっては台無しだ。
片方は自業自得ではある。なのでそちらについては責任を負う所存だ。パソコンを起動させて椅子に座り、立ち上がった一喜は通販サイトを覗く。
僅かな時間とはいえ、既に一喜は買うべきものを購入していた。それらは数の関係で明日に到着予定となっているが、無事に到着してくれれば彼には文句は無い。
他の格安通販でも食料を購入している。そちらでは割引が多く、一喜が使っているクレジットカードを対象として更にキャンペーンを乗せてくれるので、負担は二割は減少していた。
とはいえ、それがずっと続くのであれば負担減少に然程の意味は無い。
数は多いのだ。一人二人を養うなら兎も角、全員分を足すのであれば二桁には届いてしまうだろうと彼は推測を出していた。
一人暮らしの人間が一気に十人以上の子供を引き取ったようなものだ。彼等の安全を守りながらとなると、どうしても人手不足感は否めない。
物を用意するだけ用意するが、絶対的に資金面の不足が発生していた。
これ以上に何かを用意したいのであれば、最早副業も必要となってくる。昨今では副業は肯定される傾向にあるが、バイトをしつつ彼等の面倒を見る現状で副業をしている余裕などある筈も無い。
敵と呼ばれる存在も居るのだ。もし本当に副業をするというのなら、やるべきは簡単なものにしなければならない。
「……正社員時代に巻き戻り、か」
過去に残業をしたのはその時代だけだ。
新人時代は仕事に不慣れな所為で残業し、慣れてからは仕事が増えて残業をすることになった。
手早く出来るように工夫すれば、じゃあその分暇になったなと追加で仕事を任されてしまう会社だったのである。殆どの社員が残業をしている状態というのは、今でなくともブラックと呼ばれても仕方がない。
唯一の救いは残業代が出たことか。それがあったとしても疲労感は多かったのだから、恐らくは長く続く人間は少なかった。
その時代に戻りたいかと問われれば、一喜としては断固御免だ。
時間は最初に契約した範囲内で収めたいし、態々誰かの肩代わりをする気も無い。その点はコンビニでもしていることで、あの頃の一喜には競馬の為に知識を磨くことを最善の道と捉えていた。
勿論趣味の範疇だったのは否めない。けれど、もしも万馬券が当たるようなことがあれば。
そうなった時に仕事を疎かにしていた可能性は否定出来ない。何せ楽しみと言えばそれくらいしかなかったのだから。
「しかし、競馬……競馬か」
パソコンで普段使いの競馬サイトに向かう。
本日も無事に開催はされるようで、地方で午前九時半から第一レースが始まるようだ。
そこに並ぶ馬の名前を流し見して――――これでまた稼ぐか?と一喜の脳裏に悪魔の囁きが入り込んだ。
されど、その考えを一喜自身の理性が打ち消す。
確かに当たれば大きいが、当たる馬を見つけることがどれだけ難しいかは本人が自覚している。
戦績から、血統から、騎手から、会場から、コースから。様々な要素が合わさり、最終的には運で決まるような戦いが競馬だ。
一喜自身、休日の時だからこそこれまでは成功することが出来ていた。薄氷の上を進むが如く、馬券内に収めることを実現させていた。
平日にもそれが出来るとは彼は思わない。鈍った頭で当てることが出来る程には競馬は簡単ではないのだから。
現状において、競馬を副業とするのは狂気的な判断だ。
真っ当に生活している者からしてもそれを収入源の一つとするのは正気の沙汰とは言えず、百人居れば百人が止めろと説得するだろう。
勿論、一喜としても否定派だ。大金を入手するには相応のリスクを背負う必要があるが、勝率として負け側が高い競馬をするのは得策ではない。
他にぱっと思い付く副業があるとすれば――――褒められた真似ではないが転売がある。
安く物を購入し、フリマアプリ等で高く売るのだ。
差額に手数料を引いた額が一喜自身の収入となり、上手く逃げ切ることが出来れば手堅く稼ぐことが出来る。
最近は各製造・販売会社が転売対策を行ってはいるものの、撲滅にまで至っているとは言い難い。何が転売の対象となるかが把握しきれない以上、どんな対策をしてもいたちごっことなるのは避けられないのだ。
では一喜ならどうすると考え、浮かぶのは異世界の物品だ。
あそこで重要視されるのは食料である。他にも生活に役立つ品々も回収される傾向にあるが、それでも滅んだ街には多くの物品が放置されている。
完全な中古品としてそれを此方で売ることが出来れば元手は零。
不謹慎極まりないが、楽に品物を調達するならばこれが一番だろう。
「……なんかいい方法は無いもんか」
結局、うんうん悩みながらも結論は出なかった。
候補として絞っただけに留まり、そのまま買うべき物が他に無いかを探し回りながら仕事の時間になるのを待ち続けた。
直近の問題がまさか金銭になるとは、少し前であれば考えられなかったことだ。
今までは一喜だけで良かった。彼用の装備だけを整えていれば、それで十分に事足りた。
誰かを養う必要が無いからこそ、危険な世界への冒険はスムーズに進むことが可能だったのだ。それを自分から捨てて、無意味ともいえる救済に走った。
子供達は喜んだだろう。高校生組や世良達も心から安堵した筈だ。
一喜のことを大きな組織に所属する人間だと特に彼女は思っている筈だから、助けてくれる事実に心底安堵しただろう。
嘘情報がまさか自分の首を絞めることになるとはと、一喜は自嘲した。
今彼等を捨てることは可能だ。余計な証言者を消すことでこの街には一喜が助けていた相手がいなかったとすることは可能で、実際はそうした方が身動きが軽くなる。
人生を楽に過ごしたいのならそうするべきだ。一喜の理性もまた、残酷な提案を肯定し続けている。
全てを諦め、己只一人の幸福を追い求める。
それは過去の生活に戻るだけの話で、故に何の違和感もない。――――そうした諸々は確かに甘い誘惑であり、けれども一喜は残酷な理性に否を突き付けた。
「買い物に出るか」
時刻は午前八時を回ろうとしている。
適当な服を身に纏い、携帯を握り締めて外へと足を向けた。
理性的な考えは合理的だ。合理的であるからこそ、そこには感情の色は無い。非人間性が生み出す答えは容易に当人の人格を歪め、何れは向こうの怪物と同様の存在に成り果てるだろう。
そんな風に一喜はなりたくない。自身は確かに彼等と同様に負け犬であるのだろうが、最後に守るべき一線を越えたつもりは毛頭ない。
実際に戦ってきたからこそ解る。彼等は総じて、受け入れ難い現実から目を逸らして安直な救いを求めた。
何もかもを自分の思い通りにする力で、今度こそ負け犬から脱却する為に。それこそが負け犬であることの証左だとも理解せず。
外に出た一喜は、何となく遠くの倉庫街に目を動かす。
仕事の時間まではまだ遠い。少々の遠出にはなるが、朝の散歩として行ってみよう。
そう決めた足は一気に進み、これまでとは異なる道を進んでいく。
向こうと道を比較して、人の多さに目を細め、無数の足音に無駄な警戒を抱き。
目的の無い散歩は、何時しか向こうとの共通項を探す散歩へとなっていた。
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