【第五十話】その男、後輩を送り届ける

 コンビニの外に向かいつつ、彼女は一喜に一台の携帯を差し出した。

 画面には一人の姿。まともに手ブレ補正も効かない内に撮影したようで、姿がはっきりとはしていない。

 しかし、画像の人物は非情に特徴的だ。黒髪ではあるものの、前髪の一部に赤のメッシュが入ってギターケースのような物を背負っている。

 黒いジャケットに紺のズボンと男性のような出で立ちだが、その線は男か女か解らぬ程に細い。

 顔はブレている所為で確認は出来なかった。佇まいから男性のようではあるが、今時は男装した女性も多くなってきている。


「見覚えはある?」


「昔卒業した高校の後輩に歌い手として有名だったという人なら聞いた覚えがあります。 でも、その人と私の間に接点は無い筈です」


 糸口は相手の風貌そのものに見覚えは無かった。

 持っているギターケースらしき存在から音楽関係者と当たりを付け、過去に有名だった存在が居たことを語るだけだ。

 それが男だったのか女だったのか、何処のクラスだったのか、どんなプラットフォームを使って活動をしていたのか。

 全てに彼女に興味は無く、故に把握していることもまったくと無い。精々が友人が熱中していたことくらいで、今ではもうその熱も冷めている。


「一先ず今日は家まで行こう。 君が帰った後に俺に対して接触があるかもしれない」


「はい……」


 申し訳なさそうな態度をする糸口に一喜は特に慰めもせず、そのまま二人は横一列になって足を進めた。

 道中では一喜が半歩後ろを歩き、糸口に僅かに前を歩かせる。仲が深ければ雑談に華を咲かせることも出来ただろうが、残念ながら一喜が女子相手に出せる話題は皆無だ。

 異世界の女性陣に対してならいくらでも強気に出れるも、何の力も持っていない此処では増長したところで馬鹿を見るだけだ。

 気まずい空間が辺りに広がり、どうしたもんかと一喜は顔を仰ぐ。

 

「そういえば、この事を他に相談した人は?」


「友人には何人か相談しました。 けど、向こうが住んでいるのは遠方なので一緒に帰るとかは出来ません。 一応防犯アイテムも容易しましたけど、襲われた時に実際に使えるかっていうと……」


「まぁ、いきなりは無理だろうね。 こういうのは何度か練習しなきゃまともに使えないだろうし」


「あまり職場にも迷惑を掛けるつもりはなかったんです。 出来れば自分だけで解決したくて」


「でも、途中で心細くなった?」


 糸口は言葉無く頷いた。

 そうかと一喜は短く返し、やっぱり異世界と現実は違うと実感させられた。

 もう慣れたとはいえ、向こうは命のやり取りが日常的だ。生存こそを第一とした者達による争いが倫理感を薄め、手を染めたことが無い人間をも浸食させていく。

 あの世界で女性は逞しかった。少なくとも、一喜が出会った女性は厳しい環境の中でも笑えるだけの胆力を有している。

 そう思うと、酷く糸口という女性がか弱く感じた。これがこの世界での当たり前なのに、どうしてか守ってやらねばならないように思ってしまう。

 

 二人は時間にして十分の距離を幾分か遅めに歩いた。彼女が心境を吐露したことを切っ掛けに話しは少ないながらも繋がっていき、世間話の中に本音が混ざっていくのを一喜は感じていく。

 夜道は照明のお蔭で暗闇に閉ざされている訳ではない。車のライトや他の店の明り、信号機が照らす光の下では異世界よりも明るいだろう。

 双方揃って耳は最初から外へと向いている。如何に会話が弾んだとて、意識は常に自分達以外の誰かの物音に敏感だ。

 いきなり銃が向けられることはないであろうが、敵意の混ざった視線の一つくらいは跳んでくる可能性はある。

 されど、彼女の家であるマンションの下まで二人は無事に到着した。


「今日は……居なかったよな?」


「気にしてはいたんですけど、足音はしませんでしたね。 何処かで見てて諦めたんでしょうか?」


「そうだといいんだけどね。 それじゃ、今日はこれで」


「はいッ。 ありがとうございました」


 小さく頭を下げる彼女に笑みで応え、一喜は踵を返して歩き出す。

 ストーカーは何時の時代でも女性が一番被害を受ける。身近でその被害を受ける人間が居るとは思いたくなかったが、人生何に巻き込まれるかは解らないものだ。

 出来ればこれで大人しく。そう思いはするものの、今回のこの行為を相手が何処からか見ていたのであればきっと勘違いを起こすだろう。

 何時だって熱病は理性を削る。愛の前で常識的ではいられないように、一度狂気的な思考に囚われた人間が何を引き起こすのかは誰にも解らない。

 理解出来ない事をする。それが狂人が狂人である理由だ。その点からすれば、正に現在の状況は相手にとって都合が良い。

 

 背後から強襲を仕掛けることも、正面から対峙して脅しをかけることも出来る。

 臆病な人間なら一度強い敵意を向けられれば関りを断とうとするだろう。――年齢が低い者なら尚更だ。

 一喜の足音に混ざって途中から別の足音が突如として耳に入った。

 どうせこうなるだろうと半ば予想していたが、一喜本人としては出来れば警察のお世話になって終了にさせたかった。

 歩き、歩き、家から離れた道を進む。

 五分、十分と経過しても足音は消えてくれない。勘違いが勘違いではなくなり、自然と一喜の意識に緊張が紛れ込む。

 仮に喧嘩になったとして、着装は此方では使えない。純粋な拳か、あるいは向こうは武器を用いての戦いとなるだろう。


 狂った奴の戦い方など一喜に解る筈がない。怪物達は総じて心の何処かに余裕があったし、唯一必死になったであろう班目の取り巻きは一喜本人が確認する前に全て即死した。

 視界には徐々に広々とした公園の姿が映り込んでいく。元の家と距離を取った上で広い場所で会話をするには、一喜の中には此処しか他に当てがなかった。

 公園内にある唯一の自販機の前で熱い緑茶を二つ購入し、滑り台の見える木製のベンチに座り込んだ。

 携帯で時刻を確認すれば、二十二時半をもう過ぎている。このまま深夜近くになるまで時間は掛かりたくはないと、彼は相手の動きを待った。


「なんか話したいことがあるなら出て来な。 何もないなら帰りたいんだが」


 他所に迷惑を掛けない程度の声で一喜は滑り台に視線を向けながら言葉を発する。

 その言葉を放った瞬間に息の乱れる音が鋭く辺りを駆け巡った。直ぐに音は止むも、一度異音を鳴らした以上は隠すもなにもない。

 一喜は低く笑い声を発し、なるべく相手に脅威であると認識させようと振る舞うことにした。

 

「彼女はお前のことをストーカーか何かに考えているようだぞ? 本当に何か用があるなら、真正面から話し掛ければ良いんじゃないか」


「――誰がストーカーですか」


 相手の煽り耐性は存外高くはなかったようだ。特にストーカーの部分に相手は反応し、暗闇の中で一喜に敵意を飛ばす。

 意外だったのは一喜だ。ストーカーをしているというのなら、声の持ち主はもっと低いと予想していた。

 しかし実際は然程低くもなく、言ってしまえば女性らしさのある低音だ。

 落ち着きのある声は心地良くもあり、同時にこんな状態でも冷静でいられる不気味さも持ち合わせている。


「貴方は何者でしょうか。 その内容如何によっては排除を検討しますが」


「同じ職場の先輩」


「……それを証明する方法は」


「明日夕方に来れば解るだろ。 別に恋人だとか婚約者だとかじゃないぞ」


「当然です。 ……お嬢様にそのような存在が居ないことは調査済みですので」


「ん? お嬢様?」


 相手とのやり取りで一喜は不思議な単語を聞いた。

 お嬢様。それ自体は一喜も知っているが、こんな場で使う単語なのだろうか。

 不可思議を覚えた彼はそこで初めて顔を声の方向に向けた。同時、相手も彼を確認する為か公園内の照明の下へと徐々に姿を露にさせていった。

 

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