【第十五話】その男、見知らぬ男に会う
土曜日・夕方。
コンビニの前には既に二人の男女が崩壊している壁に寄り掛かっている。
世良と呼ばれた少女は瞼を閉じて待ち人が来ることを期待していた。反対に男は、件の人物が来ることを然程期待してはいない。
来ることが一番とはいえ、来ないなら来ないで不安要素を考えないで済む。信用を裏切る相手と会話をする必要は無いし、世良のどこか危うい雰囲気も自動的に消えていくだろう。
待機を始めてから既に一時間が経過しようとしていた。
詳細な約束時間を決めなかったことでどのタイミングで待てば良いのか解らず。
世良は朝から待とうと男に提案しては子供達の世話があるだろとツッコまれ、それを幾度と繰り返して結局は夕方となった。
もしかしたら彼は朝の段階で待っていて、もう居ない可能性もある。そうなれば約束を破ったのは世良達となり、以降繋がりが断たれる恐れがあった。
「……後三十分経ったら戻るぞ。 今日は食料探しも出来ていない」
「解ってる。 ……解ってる」
同じ言葉だが、世良の中には希望と不安の二つがあった。
カードを渡す条件であったとはいえ、あちらが約束を破る可能性は高い。このまま逃げられれば、カードを使えるとしても彼女が追うことは難しい。
子供達そのものが彼女の遠出を阻止している。足枷として機能する限りは、彼女はどうしても此処に釘付けとなるのだ。
更に十分が過ぎ、二十分が過ぎていく。コンビニの跡地は以前まで肥満男の狩場だったからか、今では敵の気配は微塵も感じられない。
新しい痕跡も発見されず、しかし暫くの後に別の誰かが荒れた大地を更に荒らしにやって来るだろう。
子供達を発見すれば敵は喜々として殺戮に向かう。故に、彼等は場の違いに敏感だ。
もうじき三十分が経過しようとした時、ついに別の誰かの足音を二人は拾った。
思わず顔を上げて相手を確認する為に遠目で見れば、そこに居るのは世良が自身と約束したジャケット姿の男。――大藤・一喜が徒歩で近寄って来る様子だった。
思わず口角が緩み、彼女は慌てて口を真一文字に閉じる。そんな態度を横に居た男は目ざとく見ていたが、言葉にはせずに取り敢えず約束は守ったかと安堵した。
男から見て、一喜の姿はやはり普通ではない。それは見た目が整っている訳でも、奇抜な恰好をしているのではなく――ただただ、身綺麗に過ぎた。
世良が語った通り、どうにも外で生活しているようには見受けられないのだ。自分達のように倉庫や壊れかけの家の下で雨風を凌ぐ生活をしているのかと思うが、それにしたって服まで綺麗なのは不自然に過ぎる。
洗濯や風呂は雨があった日にしか出来ないことである。近くに川や海がある人間はそれを洗濯や風呂に利用してるが、この一帯には残念ながら海も川も無い。
「――遅くなったか?」
二人の前にまで到達した一喜は、見知らぬ男が居ることを知りながらも世良に声を掛けた。
口調を偽り、油断無き人間を出して警戒感を抱かせる。
只者ではないという雰囲気は、彼等に嘘の気配を抱かせない。特に初対面の人間程、それが嘘であると認識するのは難しいだろう。何せ人間は第一印象が強く脳に残されるのだから。
世良に対しては効果は薄くとも、男には効果がある。現に世良が何かを話そうとする前に男は腕を彼女の前に出した。
最初に語るのは俺だと言外に告げ、一歩前に出る。
「話は彼女から聞いている。 悪いが、今回の話し合いについては俺も参加させてもらうぞ」
「お前は?」
「
「世良? ……ああ、彼女の名前か」
「……自己紹介をしていなかったのか?」
二人の出会いは偶然であるが、しかし彼女は名乗っていない。
相手側だけの名前を知っているのはどうなんだと思わず呆れた眼差しを村田は世良に向けるが、当人はそもそも自己紹介を忘れていたと頬を掻いて遠い場所に目を向けていた。
一喜としては一度に全員分が出て来たので有難かったが、手短に済ませたいのであれば検証結果の全てを開示するのは難しいだろう。
彼が夕方に赴いたのは検証を続けていたからで、実はまだ全ての検証を終えていない。この話し合いが終わった後に再度検証を続けるつもりだが、予定より早く始めることが出来そうだと内心で少し喜んだ。
さて、手短に済ませるのであれば余計な駆け引きは必要無い。
彼としては此方に過度に干渉しないことが最重要であるが、当然それだけでは向こうも納得してはくれない筈だ。
餌はばら撒いてある。引っ掛かるだけの材料がある現在において、この話し合いに臨む彼等の気持ちは決して弱くはない。
「先ず確認をしよう。 世良の話からある程度の状況は把握しているが、それが相違ではないことをお前にも確認してもらいたい」
話し合いの前提として、三人は一先ず状況の共有を始めた。
話すのは世良と一喜の二名であり、二人が短く先週の出来事を語って違いがないことを村田に再度認識させる。
その際に一喜は懐からダイヤのカードを取り出し、二人によく見えるよう前に差し出した。
世良が絵柄を確認して同じだと首肯して、この段階で前提の確認は終了する。
これで少なくとも先週の出来事は事実であり、世良が語った内容についても当人が現れたお蔭で嘘ではないことが証明された。
となれば、残る疑いは彼の語った内容についてのみ。件の都市伝説が実在するのか否かを彼は正しく認識しておかねばならない。
「よし、であればだ。 ――お前の語った内容が事実である証拠が欲しい」
「……証拠、証拠か」
「お前の言ったことは現状、嘘八百の類だ。 状況は改善されてはいないし、俺達の生活が多少なりとて良くなる傾向は今のところ無い。 東京で生活する者のみを人間とするのであれば、話は別だが」
世良から情報を得ているのであれば、現状のオールドベースについても理解が及んでいる筈だ。
まだ怪物を倒すには至っていないと語ったにも関わらず、それでも村田は何かの成果を示せと口で告げる。そうでなければ都市伝説は都市伝説のままであると。
如何に人類に味方する組織であれ、それが明確な実績を持っていなければ有象無象の群衆でしかない。
まして、東京で生活をしている人間だけを守るのが彼等の役目であれば人類の味方とは到底呼べないだろう。日本が日本として未だ存在しているのは東京に有権者が集まり、小さいながらも政治をしているからなのだが――――東京で生活をしている者達は東京以外で生活している者達を差別している。
現状に対する不満の捌け口、自身が東京に住んでいることへの優越。
特別であるという事実は何時どんな時でも優越感を抱かせる。実際に縮小した軍の殆どは東京を守ることに全力を注ぎ、その他への戦力供給はほぼ無い。
これが示すのは即ち、東京以外の人間は死んでも良いということ。有権者達にとっても自身の住まう県のみに注力したいと考え、他の場所で暮らす者達を煩わしいと思っている。
そしてオールドベースも同様の考えを持っているとすれば、彼等は正義の味方を名乗るに値しない。
「何か勘違いをしているようだな。 大前提として、俺達は正義の味方を名乗るつもりは無い」
「何?」
「確かに人類をこのままにしておけないという気持ちが無いとは言わないが、根底にあるのは復讐心だ」
「……」
「お前とて解らない筈がないだろう。 大切なものを奪われた人間が奪った相手をどう思うのかなど」
淡々とした一喜の言葉は、静かでありながら不気味だ。
しかし村田は彼の言っていることが解る。世良は特に、その感情を正確に理解して共感すらも出来てしまう。
大切なものを奪われれば、相手の大事なものを奪おうとする。復讐は生きる糧となり、相手を絶望に落とす為にあらゆる手を講じるのだ。
その結果自身がどうなろうとも、目的を果たしたのであればどうでもいい。
「俺達はそんな集まりだ。 ろくでなしだと言われた方が正しいだろうな」
は、と一喜は自嘲するように息を吐く。
「俺達が行うのは奴等に対する復讐であり、人類文明の復興など二の次でしかない。 俺達は基本的に彼等の復興を邪魔するつもりはないし、現状の差別に対して直接的に改善しようなどとも考えていない」
つまりオールドベースは、より直接的に対象を復讐する集団だと一喜は定めた。
人類の為、正義の為。そんな言葉は薄っぺらいだけだ。荒廃すればする程に正しいのは邪道となり、彼等は致し方ないとしても悪事に手を染めていく。
そして荒廃に原因があれば、復讐者は多く出てくることだろう。誰だってあのように意味不明な理由で大切な誰かが殺されれば、怒りと共に胸の奥から暗いものが湧き上がってくるものだ。
一喜とて理不尽な命令は数多く受けた。先輩からの意味不明な罵声を受けることもあれば、知らぬ間に多くの仕事を押し付けられたこともある。
ならば、復讐者達による組織とした方が納得や共感を集め易い。各々が各々の目的を達成する上で利害が一致して作られたとすれば、成程と目前の二人も納得すると彼は考えた。
差別云々については村田の語ったものをそのまま混ぜただけである。
「信じないなら信じないで構わない。 証拠を出す出さないに俺達のメリットがある筈も無いしな」
「――じゃあ、なんであんなことを言った」
細かい設定を作った訳ではない組織の内容を長々と語るつもりは一喜にはない。
これで話は終わりだと済ませたかったが、そうはならないのが現実だ。全てが彼の考えるようにはならないし、それは異世界であっても同様である。
突き放したような言い方は、村田に怒りを抱かせた。そんな集団であるというのなら、どうして世良にあんな希望的な事実を教えたのだろう。
彼女の内には怒りがある。恨みがあって、それでも女性らしい悩みも抱えている。
毒の消失。それが成せると知った時、彼女が何を考えたのかを一喜はまったくもって知ろうと思わなかった。
「彼女は今もカードの所為で発生する毒に身体を蝕まれている。 少し前まではその状況を気にしないようにしていたが、お前はそこに余計な救いを与えた」
「十黄!」
「黙っててくれ。 ……お前の発言は、誰かの救いを与えるだけの力を持っているんだ。 その自覚をせずにあんな言葉を発したのか」
世良の静止の声も今の村田には届かない。
一組織の一員であるならば、その発言には責任が発生する。彼が自覚無しにそれを言ったとなれば、ろくでなしというのは正にその通りだ。
一喜は暫く考えた。本当のことを言うのであれば彼女の状態なぞどうでもいいが、ここでそれをして以降偶然にも出会って険悪な関係となるのは面倒臭い。
かといって自覚があって語ったとなれば、じゃあ治してみせろときっと村田は語ることだろう。
「いいや、俺は出来ると解っていることしか語るつもりはない。 そこの彼女に語った言葉は、全て事実だ」
「なら、救うことが出来ると発言した責任を取れ。 彼女が再度絶望しない為にも――頼む」
一喜は少し考え、後者を取った。そこに下心があったのは事実であり、彼の発言に怒りを強引に収めた村田はその場で膝を付いて頭を下げた。
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