【第十六話】その男、実験に励む

「十黄!」


 世良の止めさせようとする声を村田は無視した。

 胸に噴き出る怒りに蓋をして、彼は眼前の男にただひたすらに首を垂れる。今の自分に出来る最大限はこれしかないと確信して。

 彼が一喜と会おうとしたのは、彼女を心配したからだ。怪しい人間が彼女を誘惑し、今よりも更なる地獄に落とすかもしれないと考えていた。

 彼女と十黄は昔ながらの学生仲間だ。中学の友人であり、同時に十黄は密かに世良に想いを募らせてもいた。

 その当時の世良は男勝りな言葉遣いをしていない。気さくな性格の彼女は運動部に所属し、男女関係無しに友人関係を構築していた。

 その中には彼女に対して想いを募らせる他の男も居たし、一度は彼女に告白をした男も居た。


 残念ながらその全ては断られてしまったし、彼女も誰かと恋仲になることをあまり望んではいないようだった。

 十黄はその中の一人で、告白を控えた側だ。彼女との友愛を深め、より成長した後に想いを告げようと画策していたのである。

 彼女は控え目に言って良い女性だ。ならば当然、付き合う男にも相応のスペックを求められる。

 学力だけではない。彼女は運動部に所属していたので文化部の女性よりは強いが、それでも女性であるが故に男性と比較して筋肉量には差が出る。

 力による強引な方法を阻止出来るだけの能力も男性側は持っておくべきだろう。


 とはいえ、村田以外にも殆どの人間は自衛の手段を既に手にし始めていた。

 その当時は怪物集団――ポシビリーズによる犯行が多発し、近く多国間協力による敵戦力の撃滅が予定されていたからだ。

 日本にも彼等の魔の手は伸び、必然的に備えの重要性は学校でも説かれることになる。

 流石にナイフの実戦的な扱い方や危険な薬品の調合方法までは教えてくれなかったが、犯罪行為に当たらない範疇で警察官も交えて特殊な授業は放課後に組まれていたのだ。

 ――それでも、結果だけを見ればご覧の有様。

 軍は負けた。世界はポシビリーズの征服を余儀なくされ、日夜誰かが悲鳴を上げている。


 不景気で治安の悪い地帯では済まされない危険が日本中に広がり、女や子供に老人は真っ先に殺された。

 原始的な上下関係が世に戻り、法も倫理も今や機能しない。

 十黄の両親は最初期の騒動で死亡した。死因は怪物が暴れた過程で崩れた建物による圧死だ。

 最後の言葉すらも無かった。友人も殆どが死に絶え、生き残ったのは世良を含めた残り少数の友人だけ。

 その世良も生き残る為に怪物の力を使い、友人を含めた様々な人間から忌避された。最早今の彼女には保護した子供と十黄しかいない。

 絶望的な状況で、それでも彼女は怒りだけで自身の肉体を酷使している。そんな姿は彼の知る彼女とは異なっていた。


「……」


「……」


 暫し場が静まり返る。

 最初に静止の言葉を発した世良もまた、この状況で何も言えなかった。

 決定権は全て一喜にある。一喜が否と言えば、もしかすればと思う希望は全て壊れ果てるだろう。

 微塵も動かぬ十黄の様を一喜は見下ろす。

 眼前の村田は世良のことを好いているのだろう。そうでなければ初対面の怪しい相手に怒りを抱きながらも頼み込む真似はしない。

 藁をも縋る思い。その感情をまったく理解出来ない訳ではない一喜であるが、実際に目にすると何とも言えない気持ちになる。

 羨望というべきか、人間の善とはこういうものなのだろう。

 悪意ばかりの世界の中で誠意ある対応を行える人間は素晴らしいと思うが、どうして自分にはそのような人間が現れなかったのだろうかとも理不尽に考えてしまう。

 

 これは今の状況とはまったく別のことだ。

 自身の黒い部分に蓋をして、一喜はジャケットの内側に手を伸ばした。

 世良はその姿を静かに、あるいは祈るように見る。ジャケットの内側からは鈍い音が聞こえ、一喜はそれをゆっくりと二人の前に出した。


「頭を上げろ。 楽な姿勢を取れ」


「――――それは」


 立ち上がった十黄が見たのは、長方形のあみだくじのような黒い線が走る箱だった。

 鈍く光りを反射する鉄製とも思える機械はこれまで見たことがなく、どうにも良い物であるとは思えない。


「毒素を排除する方法は二つある。 だが、一つは彼女が半適合者である時点で不可能だ」


 立っている二人に向けて一喜は人差し指を立てて言葉を続ける。

 カードを人体に挿入して怪物になることは普通は出来ない。そのカードと低くとも適合出来る人間だけが怪物になることが出来て、規格外の力を手に入れることになる。

 しかし、発揮される能力は数値で言えば低い。これは半分しか適合出来ていないからこその結果であり、つまり完全適合している者と戦えば負けは必至となる。

 世良はこれまで二体の怪物を倒しているが、その内一方は不意打ち。もう片方は相手が半適合者だったからこそ勝利を収めた。

 皆が見て来た怪物は所詮、怪物のなりそこないでしかない。その事実を伝えると、二人の顔色は急速に悪化を辿った。


「つまり、俺達はなりそこないだけで壊滅させられたと……?」


「そういうことになる。 恐らく完全適合者の大半は上から見物をしているだけだろうな」


 暴れているのは下っ端で、本当の強者は安全地帯でぬくぬくと愉悦に浸る。

 その話には絶望感しかなかった。知りたくもない、社会の闇よりなお深い暗黒の真実が二人には突き付けられる。

 力が抜けていく思いを世良は抱いた。力を手に入れたことで皆を守れると思っていたが、結局はその力も弱いものでしかない。

 本物が動けばその時点で負けは決まっていた。そして、簡単に敵は保護した子供も含めて十黄も殺してしまう。

 人類には抗いようがない程の脅威。牙を向けられれば成す術も無く殺されると知れば、普通の人間は最早笑うしかない。


 しかし、十黄は顔色を悪くはしていても絶望していなかった。

 眉は顰められ、瞳には鮮烈の激情が渦巻いている。一喜から見て、それは覚悟ある人間の表情だ。

 

「……どうでもいい話だ。 なら俺達は逃げて逃げて逃げ続けて、残りの余生を大事に過ごす。 最後に幸福になったもん勝ちだろ、この世の中じゃな」


 どうせ死ぬのなら、足掻いた果てに死のう。

 日々に幸福を見出し、最後に殺される刹那に笑って良い人生だったと思おう。

 それはこの世界特有の幸福の見出し方だったが、年若い者が抱くべきではない死兵の覚悟だ。

 完全適合者達は見ていれば良い。全てから逃げ切り、老人となって俺は寿命を迎えてやる。

 最後まで傍に居る女性に想いを伝えず、それでも子供を含めた皆で良い人生だったなと笑いながらあの世に旅立つのだ。それはきっと愉悦を求める敵に対する最大のダメージになると思うから。

 

 諦観のようで諦観ではない。渦巻く激情がそうであると思わせない。

 力の無い人間だからこそ弾き出した最終結論に、世良もまた感化された。

 怒りはある。あの化け物達を殺して殺して殺し尽くして、例え本物に殺されることになっても足掻き続けたい。

 そして、それと同じくらいに幸福になりたいのだ。自分の人生はきっと、惨めで愚かなだけではなかったのだと。

 

「――それは私も同じだぜ、十黄。 見たい奴等には見せてやればいい。 私達の幸福に満ちた逃走劇をな」


 二人の決意表明を聞いた一喜は素直に凄いと感じた。

 彼は二十代も中頃の年齢だ。目前の少年少女と比べれば幾分か年を取っていて、どうにもそんな馬鹿な決意を出そうと思えない。

 まるで物語に登場するような二人の姿に、思わず彼は片手で腕を叩いて拍手として送った。

 その反応に、二人は怪訝な顔をする。一体どうしたと目は問い掛けて、彼は悪い悪いと朗らかな笑みを形作った。


「良い覚悟だ。 なら、その覚悟に免じて彼女を治そう」


 ――Ready.


 腕に箱型のアイテムを押し付けると、自動的に側面から黒い帯が現れて彼の腕に巻き付く。

 付いたと同時に起動音声が鳴り、途端に周囲には派手な待機音が響いた。

 突発的な出来事に二人の頭はついていけない。そんな様子の二人を無視し、一喜は更に懐から一枚のカードを取り出す。

 そこには三人の白衣姿の女が治療道具を持つ絵が映され、端にはQの字が確かに存在している。

 彼等のカードとの違いは、その絵には色があった。縁は金に染まり、白衣も治療道具も全てに正確な色が描かれている。

 コピーカードではない、真のアドバンスカード。彼はそれを機械の内側のスリットに差し込み、勢いよく上から下へとスライドさせた。

 

――Authorize. Queen of first aid.

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