【第十二話】その少女、仲間と話す
足元が覚束なかった。
視界がぐるぐると回転していた。
信じられない気持ちと信じたい気持ちが混ざり合い、極採色の模様が彼女の心を様々に彩っていく。
一喜と別れた少女は、彼の言葉の全てを理解していた。
出会った当初とは一変した堂々たる姿。自身の思想に芯が入った出で立ちはここ数年の他の人間からは見られなかったもので、それ故に輝いても見えた。
オールドベース。
彼女にとって都市伝説の一つとしてしか認識していなかった存在が、先程まで彼女の目前に居た。
勿論それは嘘かもしれないし、実際に嘘である可能性の方が高い。彼女の知る彼は僅かしかないが、逃げている様が嘘であったとはとても思えなかった。
そこに情けない男という認識は無い。怪物に襲われれば、誰であっても彼のようになると彼女は解っている。
助けに入らねば――いや、彼女がアレを殺そうと牙を剥かねば彼は死んでいた。
それは明瞭な未来として瞼の裏で映るものであり、故にこそ最後の会話との差に心が揺れ動く。
歩きつつ、不意に彼女は自身の顔に触れる。
つい一日前まではまだ人間の肌だったそこは、今では鱗に覆われていた。紫の毒々しい色合いは不気味さと不穏を与え、彼女の知る限りにおいては見た者は目を逸らした。
それが普通で、彼女も仕方のないことだと解っている。
これは怪物になることを受け入れた証。人々に忌み嫌われる存在に成り果てることと同義だ。
「――世良!」
歩き続けていると、男の切羽詰まった声がした。
何時の間にか俯かせていた顔を上げると、その先には彼女と色違いの紺のジャケットを羽織った男が駆け寄ってきていた。
更に後ろには小さな子供達の姿も有り、皆が彼女の姿に喜びと共に集まる。
「何処行ってたんだよ、何の連絡もしないで」
「……すまん、奴等と戦ってた」
「――居たのか、また奴等が」
奴等。その言葉に子供も含めた皆の顔が恐怖と不安で強張る。
彼女は失言だったと頭を乱暴に掻き、努めて明るい顔でもう大丈夫だと発した。
「使い手が馬鹿だったお蔭で大した怪我は負ってないよ。 それにほら、私なら怪我を負っても大丈夫って知ってるだろ?」
「世良……」
怪物になれる者は驚異的な耐久性能を獲得する。
着装している間とはいえ、銃弾どころか戦車の砲撃すらも無効化する肉体で心配されることは基本的にはない。
とはいえ、男の心配そうな素振りに変化は無かった。その目は彼女の身体ではなく、浸食の進んだ顔面に向けられている。
少女こと世良も彼が何処を見ているのかは解っていた。怪物の力を使うことがどういうことに繋がるかを、彼もまたよく理解しているのだ。
されど互いに話題には出さない。周りに年下の子供が居るし、既に今更な話でもある。
六人の子供は皆服装が綺麗とは言えなかった。何度も何度も着ては洗っては繰り返した所為で穴が目立ち、サイズが合っていないのか袖を余らせている子も居る。
これは世良もそうだが血色が良いとは言えず、まともな生活環境を構築出来ていないのは確かだ。
仮にふくよかな子が居たとすれば悪目立ちをしていただろう。子供は残酷的で、自分より遥かに良い境遇だと思った対象には嫉妬の感情を表に出してしまうものだ。
六人の子供を前に行かせて二人は横並びで歩く。
彼等の家と呼べる場所は一喜と遭遇したコンビニから徒歩三十分圏内に存在し、それは複数の貸し倉庫を利用した住居だった。
錆びついたシャッターが玄関の代わりを果たし、開ければ灰色のコンクリートの床と青いブルーシートが視界の多くを占有する。
奥には破損の目立つ棚や机が置かれ、棚の中にはページの破けた本が収納されていた。
彼等以外に大人の姿は無く、実際に二人が親代わりとなって子供を育てている。
そうなった経緯は子供一人一人にあるが、目前の状態に世良も男も歯がゆさを覚えて仕方なかった。
「……悪いけど、今日は遊ぶのは無しな」
「うん、皆で御飯を食べるよ」
腰を落とし、子供達の中で一番の年長である少年に彼女は申し訳なく休ませてほしいと告げる。
子供も彼女が何をしていたのかは理解しているのか、まったく文句を言わずに率先して自分が年下の子の面倒を見ると言い出した。
それは小学校に通うような年齢の子であれば本来あまり聞かない言葉だ。年不相応に成長したことを喜ぶべきか悲しむべきかで世良は複雑な思いを抱くも、子供は足早に他の子供達を引き連れていった。
残るは二人だけ。彼女は表情を真剣なものに変え、男に向ける。
「私の部屋に来てくれ。 話したいことがある」
「どうした? 何か他にあったのか」
「ああ。 どうなるかはさておき、情報の共有はしておいた方が良い」
彼女用に宛がわれた個室倉庫に入り、二人はコンクリートの床を隠す程に広げられたブルーシートの上に座る。
飲み物に雨水を煮沸消毒した水を用意し、彼女は今日一日で起きた異常を全て傍の男に語った。
正体不明の男性。戦闘時の一時に、オールドベースについて。
内容そのものは短く終わるが、中身は非常に濃い。男はその話を聞いて腕を組みつつ考え、しかし暫くした後に溜息を吐いて後頭部を掻いた。
「それ、嘘なんじゃないか?」
「やっぱりお前もそう思うか」
「俺もあちこち情報収集をしているが、人口が増えた地帯じゃオールドベースの名を使った詐欺が横行している。 特に多発している場所じゃその名前を言った瞬間に村八分にされるとか。 ……確かに身綺麗なのは不思議だが、支援を多く受けられる東京からならそんな奴が居てもおかしくない」
男の語りは非常に現実的だった。
現状、人類は破滅一直線であるところをギリギリのラインで立ち止まっている。地方では生き残り同士が協力して生活基盤を新たに整え、辛うじて政府機能が動いている東京のような大都市では数少ない電力供給設備や生産機械を用いて難民同然の彼等に支援を施していた。
勿論それでも足りているとは言い難いが、地方と比べれば暮らし易いのは事実だ。
故に、都会の人間は地方程に薄汚れた格好はしていないし食料関係も深刻な域にまでは到達していない。
様々な商品が集まる東京だからこそ、災害時の備蓄品はある程度残っていた。
――とはいえ、それならば態々一喜が都会から地方に出て来る必要は無い。
この話は彼が身綺麗である理由の答えを提示しただけで、何故そんな人間が地方に来ているのかの答えまでは定時していないのだ。
彼の言葉は現実的であれども、全てを表しているとは言い難い。
「カードは結局渡したままなのか?」
「一応、来週の昼にはコンビニに集合する約束は取り付けた。 そうしなければカードは絶対に渡さないと言ったら、奴は渋々納得してくれたよ」
ダイヤのタンクのカードは現状一喜の手の中だ。
逃げられる懸念があるとはいえ、互いが互いに引かない状況であれば再度話し合いの場を設けた方が都合が良い。
彼は探し物があると語っていたが、様子を伺う限りではそれは見つかっていないように思え、これも話し合いを取り付ける理由となった。
「本当に来るのか? もし来なかったら……」
「その時は殺すさ。 絶対にな」
「はぁ、そう言うだろうと思った。 取り敢えずその話し合いには俺も参加させろ。 俺だってこのグループの責任者の一人なんだからな」
「解ってる。 私も頼むつもりだった」
彼女は優しい娘であり、しかし同時に誠意の無い相手には一切の慈悲をかけない。
男もまた彼女に嘘を吐くような人間を許すつもりは到底無く、故に二人にとって来週は勝負の日となるだろうと確信した。
そこにもしもの願望があるのは間違いない。そこに有り得てほしいと願う気持ちが無いとは言えない。
絶望的な状況の中でも、何時か花は咲くのだと二人は信じていたかった。
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