【第十話】その少女、無慈悲なり
その日、一喜を最初に目にした少女は奇妙な奴が来たなと警戒を強めた。
やけに綺麗な服に、穴の無いリュックサック。傷らしい傷の見当らない顔に傷みの少ない髪は、彼自身の生活の豊かさを露にさせる。
この街では――いや、例外の街以外では似合わない姿は怪しさを多分に含んでいた。
相手は慎重に進んでいる素振りを見せてはいたものの、その移動は素人そのものであまりにも頼りない。
本気で隠密活動をしている集団が見ればあまりの下手さに失笑を禁じ得ないだろう。
だが少女は、その素人さに嫌な感覚があった。まるで彼等のようだと思い、それ故に銃を突き付けるという普段の生活ならばしない行為に踏み込んだ。
もしも目前の男が彼等と同類であるのならば――――殺さなければならない。
少女に両親は居なかった。
兄弟も、姉妹も、果ては親戚までも彼女の傍には居ないままだった。
それは何処かで離れて生活しているのではない。文字通りの意味で彼女が頼れる大人は皆死んだのである。
この街がまだ普通の街だった頃、彼女は普通の暮らしと呼ばれる生活を続けていた。
中学生の彼女は共働きの両親に愛され、彼女も素直に両親へと愛を向けて幸福な家庭を築き上げていたのだ。
しかしその時点で世界のあちらこちらで彼等の武力行為がニュースで報道され、幾つかの大都市が完全に滅ぼされていたのである。
国際的な犯罪組織。歴史に残る極悪な指名手配犯達。
彼等は隠れることをせず、世界中から集めた軍隊を全て真正面から打ち砕いた。その過程で核が使われ、幾つかの土地が放射能で汚染されたものの、それでも彼等の進軍を止めることは叶わない。
次第に国が壊れた。
移民の何割かが日本にも流れ、治安は著しく悪化。ギャング崩れの人間が暴れる事件が当時では多く散見され、元から住んでいる日本人は外国人の存在を蛇蝎の如く嫌った。
政府は国外からの渡航者を完全封鎖し、同時に悪行を働いた外国人を強制送還。例えその国が無くとも、日本は日本として生き残る為に他国の人間を切り捨てた。
しかし、その頃には他の多くの国でも同じことが起きていた。特に苛烈だったのは中国だが、その部分は程度の差があるだけ。
誰も彼もが他国を批判出来ず、よって必然的にヘイトの全てが犯罪組織に向けられることになる。
総力を挙げての一大決戦。
敵はたったの十人程度で、それを何百万もの人間が包囲する様は異様だった。
されど、指揮官達の誰もが油断などしていなかったのだ。政府首相や他の高官も同じく、この戦いの結末が厳しいものになると推測を立てていた。
核すらも凌いだ集団だ。そう簡単に倒し切れるものではない。その推測は――およそ最悪な形で当たってしまった。
総軍全滅。
この四文字が示すのは、文字通りの結果だけ。
逃げられる者は居なかった。勝てる者は居なかった。僅かな抵抗すらも意味を成さず、挑んだ者達は塵芥となって消え去った。
であれば、残るは彼等による蹂躙だ。遮る壁が消えた彼等は自由に襲い、自由に好きなモノを集め、自由に生活スペースを定める。
そこに法律は関係無い。如何なる法も倫理も彼等を縛ることは出来ず、全ては力による時代に逆行を果たした。
何年も何年も人が死んだ。多くが何の罪も無い人間で、化け物の姿を取った彼等は下劣畜生な行為を笑いながら行う。
八つ裂きにされた。強姦された。家族同士で殺し合いをさせられた。
化け物が楽しむ為だけに人類は浪費され、その結果として人類そのものも大いに疲弊させられる。
文明の維持は既に不可能も同然だった。日本もその輪からは逃れられず、彼女が住んでいた場所も全てが灰燼と化したのだ。
先ず父親が死んだ。心優しい父は二人を逃す為に無謀な特攻を行い、呆気無く胴体に風穴を開けられて即死した。
母は散々に弄ばれ、あらゆる尊厳を喪失したことで自殺を選んだ。
少女の瞼の裏では今も壊れかけた部屋の中で首を吊る母の姿が焼き付いている。寝ても覚めても消えぬ記憶が、今も確かに彼女を蝕んでいる。
『ハァッ!』
『ヴぉぉッ、お前ぇぇ……』
疲弊した人類は味方同士で争いを引き起こした。
歴史を見ればよくある話だ。資源不足による争い、力による上下関係、それらを笑いながら見下ろす上位者連中。
幾度も少女は争いに巻き込まれた。肉体的にも精神的にも耐え難い屈辱を受け、それでもなお生きることを選んだ。
それはきっと、父と母に生かしてもらった命を喪失させたくないから。自身が生きている限りは二人の行いが正しいものであったと証明できるが故に。
重戦車の砲弾を彼女は紙一重で躱す。
背後の爆発に目を向けず、彼女は眼前の胴体を集中的に攻め立てる。
杭を打ち込み、足の触手で重戦車の太い足を引き、鮮烈な赤を揺らめかせてフェイントとした。
重戦車にまともな思考は無い。全てが自分の思い通りになると考えていたが為に、どうしたって柔軟性に欠けてしまう。
如何に素晴らしい性能を有していても使い手が悪ければ宝の持ち腐れとなる。装甲は人類に対しては無敵の盾となるが、同じ化け物相手では必ずしも無敵とはなりえない。
『なんでだ、どうして……。 お前も選ばれた側なのにぃぃぃ』
『うっさい! 私は、私は――』
彼女がカードを手にしたのは偶然に寄るものが大きい。
偶々蹂躙を終えた相手が着装を解除し、その近くに彼女が潜んでいた。油断している隙を突いて急所をほぼ至近距離で銃で撃ち抜き、相手が即死した際に件のカードを手に入れた。
これがあれば蹂躙する側に立てる。少なくとも、自分がただ捕食されるだけの側になることはない。
そうなれると喜びも露によく確認もせずに彼女はカードを使った。
結果は無論、上々であったとはいえない。彼女の顔面の半分が紫の鱗に覆われ、瞳は不気味な金に変わっている。
『好きでこんなものを使っているんじゃない! お前みたいな奴とは違うんだ!!』
このカードの副作用を知って、彼女は全ての原因を知った。
始まりはアドバンスカードにあったのだ。これの性能を正しく知った誰かが利用しようと企み、複数の人間を巻き込んで世界の掌握を目論んだのである。
こんなカードが無ければ世界は今も平和だった。こんなカードが無ければ父も母も平穏無事に過ごしていた。
カードが憎い。それを使おうと考えた者が憎い。
憎い、憎い、憎い――――何処までも。尽きぬ憎悪を身に宿し、彼女は数度の杭による攻撃によって出来た小さな穴に触手を捻じ込む。
無敵の装甲は多くの攻撃を防げるが、同時にそこを突破されると後は柔らかい。
肉のみの場所に触手が突き刺さり、内部に向かって先端から特殊なガスが注入されていく。
重戦車はそれに気付いて大慌てで両手で吹き飛ばすも、少女は軽やかに空中で一回転して地面に着地した。
よろよろと立ち上がった重戦車は、直ぐにその場で膝を付く。
装甲によって内部の状態は解らないが、彼女自身には何が起きているのかは正確に理解出来ている。
荒い呼吸をし始めた重戦車に、もう戦闘意欲は残されていないだろうと。
『なにを、したぁ……?』
『さて、なんだろうな?』
疑問を嘲りの笑みと共に返す。
装甲の内側で膨れては破裂する異様な音が鳴り、それが数秒毎に加速していた。
最初は傍に居る者にしか解らない音も、増えていく音で強制的に辺りに居る者に異常を伝える。
装甲は未だ破損する様子は無いものの、重戦車は次第に増す激痛にその場で蹲って転がり始めた。
『ああああああああああああああああああああああああああ!! 痛い! いたい! イタイ! 痛いよぉ! ままぁ……ままぁ……助けてくれよぉ』
情けない懇願は彼の生来の本質を剥き出しにしていた。
一喜は相手のその様にドン引きし、少女はゆっくりと重戦車の傍に寄って足で胴体を踏み付ける。
装甲から足を通じて内側で破裂する振動が伝わっていくのを感じつつ、彼女は目前の男に最後の言葉を与えた。
『助ける訳ないだろ、お前みたいな人でなしが』
『ままぁ!』
母を呼び、重戦車は天に手を伸ばす。
助けを求めた声は――しかし次の瞬間には一斉に弾ける音によって終わりとなった。
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