【第二話】その男、困惑する

「お疲れ様です」


「お疲れ! 今日も有難うね」


 休日明けの月曜日。

 その日、コンビニで男――大藤・一喜は実に普段通りに仕事を終えた。

 時間は夜の二十二時。夜勤と交代し、店長からの労いを無難な言葉で返して彼は私服に着替えた。

 曖昧な笑みを浮かべていた表情は、コンビニ内で適当に今日の夕飯と明日の朝食を購入して外に出た段階で消える。極めて無の表情のまま家へと向かい、その間も一喜は周囲へと静かに目を動かしていた。

 そのまま玄関前に立ち、鍵を取り出して鍵穴に刺す。ノブを握り、一度息を深く吸い込んでから一気に開けた。

 

 開けた先にあったのは家具の極めて少ない部屋。机とノートパソコンが目立つ室内は彼が普段から見ている光景で、その様子に安堵の息を零した。

 靴を脱いで服を着替え、ノートパソコンを起動させつつコンビニ飯を電子レンジで温める。

 何もすることがない中、思い出すのは少し前の出来事だ。

 荒れ果てた建物の中に比べ、室内は彼の知るままだった。穴が開いていたと思われる玄関横はしっかりと塞がっていて、不思議に思った彼は再度外に出た。

 その際もやはり荒れ果てた建物が存在し、外で見る限りでは穴が開きっぱなしになっていたのだ。

 

 中と外で状態がおかしくなっている。

 危険な臭いのする外から室内に戻った一喜は、ふと玄関とは反対方向にある窓に顔を向けた。

 既に外は暗く、電気を付けなければまったく何も見えない状態だ。当然ながら、外の状態であれば窓硝子もまた吹き飛んでいる筈である。

 そっと近づき、彼はカーテンを開いた。割れ放題だろうと予測していた窓は、しかし予想を裏切るように硝子が張られて閉じられている。

 

――一体全体、何がどうなってるんだ。


 頭にあるのは不安と困惑。

 突然起きた出来事に、本能が危機を訴える。同時に脳は早まった真似はするなと訴え、二つの命令の間で半ば混乱しながらも外に出るのは控えた。

 食料は無い。辛うじて飲み物があるばかりで、それでも腹は空腹を訴えることはなかった。

 そのまま彼は目を閉じ、この不可思議な出来事が夢であることを願った。

 これは夢で、寝れば現実に戻れる。こんなものは質の悪い冗談のようなものに違いないと。

 一夜経ち、彼は開きっぱなしの窓から差し込む陽光で目が覚めた。

 何時の間にか寝ていたようで、寝惚けた頭がゴミ出しをしないとと勝手に身体を動かす。

 

 まったく警戒しない状態で溜め込んでいたゴミ袋を手に持ち、扉を開いた。

 ――そして崩壊した建物を視界に入れ、彼の微睡みは容易く吹っ飛んだ。

 ゴミ袋を手に持ったまま慌てて部屋に飛び込む。近くに適当にゴミ袋を投げ、投げた衝撃で袋が破けて中身が零れてもお構いなしだった。

 机に座り込み、ノートパソコンの前で頭を抱える。これが夢ではないことを突き付けられ、脳味噌はある種の恐怖に満たされていた。


――嘘だろ、嘘だろ! なんで何も変わってないんだよ!!


 浮かぶ様々な可能性は、どれも突拍子が無い。

 誰かに拉致され、似たような土地に放り込まれた。何時の間にか誰かに脳味噌を弄られて認識能力が狂った。

 自身が部屋の中に居る間に大災害が起きて、丸ごと全てが壊れてしまった。

 有り得ない予想だ。どれもに疑問点や矛盾が生じ、とてもではないが現実的な予測ではない。

 しかし、そうとでも思わなければ納得出来ない状況であるのもまた事実。

 悩みに悩み、そこで初めて彼は自身の携帯が外で使えたことを思い出す。あれとノートパソコンのネット環境は別であるが、もしかすれば繋がるかもしれない。


 急いで起動させ、直ぐに設定を立ち上げてネット環境への接続を試みる。

 平常時であれば自動で接続されるのを待つところであるが、流石に当時の彼に冷静に待つということなど出来はしない。

 手動で接続を試みて、そして驚くべきことにネットにも無事に接続が出来た。

 このような特殊な状況であれば怪談話よろしく接続が不安定になっていてもおかしくないのだが、試しに検索エンジンで単語を検索しても淀みは無い。

 そしてよくよく接続名を確認すれば、そこには普段からよく目にするアパートの名前が書かれたこの家特有のネット環境であることを教えてくれる。

 であれば、彼は普段通りに何時もの場所に接続をしたことになるのだ。外ではあんな崩壊現象が起きているにも関わらず。


――外と中で空間が違う?


 それは直感的なものだった。

 脳裏で閃きの音が鳴り、彼の頭脳は僅かな光を逃さない。ゆっくり恐る恐ると外に出て穴の位置を確認し、そして室内に戻って穴が開いているだろう位置を確認する。

 二回目だ。流石に場所が違うのではないかと疑う余地は残されていない。

 室内には穴の一つも無く、玄関横の壁は白いまま塞がっている。これはつまり、やはりその閃きが正しいことを証明していた。

 彼自身の部屋と外はまったく異なる空間になっている。それが如何なる理由か玄関で接続され、大藤・一喜という人間が行き来できるようになっているのだ。

 彼とて若い身。相応に二次元文化には触れていたし、過去にはゲームやアニメに嵌まっていた時期がある。


 そこから知識を引っ張り上げてくるとするなら、予想される答えは一つ。

 即ち、玄関より外は異世界に通じている。それも恐らく、建物が崩れていても放置されているような世界と通じているのだ。

 理解が脳を巡り、次いで身体に流れ込む。人間は未知を怖がるが、その未知が無くなれば今度は興奮が襲い来る。

 自分だけに舞い降りた突然の出来事。否応なしに意識せざるをえない優越感。

 他の誰もが、彼のような経験をする筈もない。――つまるところ、彼はこの瞬間に特別となったのだ。


――おいおいおい……。


 今度の呟きに困惑は混ざっていなかった。理解によって目は爛々とした輝きを取り戻し、さながら童心に返ったような心地を思い出させる。

 創作物の出来事は起きないからこそ夢に溢れていた。その中には惨たらしい結果に終わるものも勿論多かったが、しかして何かしらの結果を掴んだ者も多い。

 自分もまたそうなれるのではないか。あるいは、そういう風に物事を動かすことが出来るのではないか。

 高速で回転する頭は先ず何よりも調査を叫び、抱えていた頭から手を離して飛び上がらせた。


 携帯を片手に、颯爽と外に飛び出してはカメラに崩壊したアパートを映す。

 様々な角度から取られた画像データは携帯内部に蓄積され、満足気な吐息を零す彼はさらにさらにと血気盛んな若人が如くに前へと足を動かした。

 勇気に溢れている。熱意に燃えている。嘗てには無かった夢を持った者特有の感覚は、酒を飲んだ酔いよりも強い。

 目指すはスーパーがあったであろう廃墟。そこに行くまでの道中を動画で撮影しつつ、廃墟へと早足で進む。


――今日も誰も居ないな。


 一夜明けたとて周囲に人影の類は無かった。

 時折烏の鳴き声が聞こえることはあれど、それ以外の野生動物の気配は微塵も無い。人間の生活する気配すらも無いとなれば、まるで世界に自分だけが取り残されたような不安が鎌首をもたげる。

 しかし、それよりも彼は熱意を優先させた。こんなことはもう二度と無いかもしれないからと、注意の二文字をまったく視野に入れずに突き進む。

 故に、彼は出会ってしまった。何故人が居ないのかの、その理由に。


――おん?


 不意に一喜が進む道の先で物音が鳴った。

 初めての自然現象以外の音に彼は緊張と喜びを滲ませ、無防備に発生源の家へと歩を向ける。

 家は普通の一戸建てだった。少々小振りではあるものの、今の一喜では当然ながら買えないくらいの二階建ての家だ。

 そこで何度も何度も物音が鳴っている。耳を集中させて聞いてみれば、その物音は何かを叩く音に似ていた。

 鈍器で物を叩く音に近いだろう。それは一回一回経過する毎に音量を増していき、最後には家の側面壁を吹き飛ばした。

 

 盛大な轟音が辺りに広がり、思わず一喜も驚きの声を漏らす。

 煙が僅かに舞う中、音を鳴らしていた張本人はゆっくりと開けた穴から二本の足で出て来る。

 ――それは、正に現代を生きるからこそ驚きを与えるものだった。

 顔面に肉は無く、あるのはただの骨。眼光には仄かな蛍火があるだけで眼球と思わしきものはない。

 全身を世紀末風のパンクな服で包んだ骸骨人間。そんな骸骨の手には、赤く染まり切った球状の肉塊がある。


 骸骨人間はゆっくりと顔を一喜に向けた。

 赤い蛍火からは何の感情も読み取れない筈なのに、一喜の身体は見られた瞬間から脱兎の如く駆け始めていた。

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