玩具が魅せる異世界特撮

オーメル

【第一話】その男、フリーター

「当たった!」


 ワンルームの室内に若い男の声が響いた。

 フローリングの床には何も敷かれておらず、窓の光を遮るカーテンは青い。室内は薄暗く、実用一辺倒の長机の上にスペックの低いノートパソコンが起動している。

 男は椅子に座り、ノートパソコンを食い入るように見つめていた。画面内では十頭の馬が走り切った後の光景がライブで流され、男は握り拳を作って喜んでいる。

 黒のスウェットズボンに白シャツ。まったくと値段を掛けていない服はお洒落の関心の薄さを際立たせ、黒髪が適当に整った状態のままとなっているのもそれを助長させていた。

 瞳も黒い。典型的な日本人顔をしている彼は、お世辞にも整った容貌をしているとは言えない。

 

 言ってしまえば平凡顔。何の面白味もない表情を喜悦に歪ませ、彼は普段からやっている唯一の趣味兼金稼ぎに精を出していた。

 本日の成果はプラス三万。本気で向き合っている人間と比べれば微々たる増加であるが、そもそも増えている時点で彼の運が良いのは間違いない。

 予め立てておいた推測は見事な形で的中し、たった今流れたライブ映像も直ぐに終わりへと向かった。

 もう既に本日の予定は全て消化したのだろう。男は満足してライブ映像を消し、常に付けていたメモ帳ソフトで今日の戦績を記録する。


「転がし大成功! これで食費も浮くし、何ならどっかに遊びにも行けるな! 久し振りに一人遊園地でも行くか?」


 寂しい男の予定を立てつつ、画面にはカレンダーが表示される。

 月曜日から金曜日までは仕事で埋まり、土曜日と日曜日は完全な空白状態だ。誰かと遊びに行くような予定も無く、同時に家族と何かしらの予定を立てているようにも見受けられない。

 男はフリーターだった。より正確に言うのであれば、社会人としての生活から脱落した落伍者であった。

 高校を卒業するまでは正社員として金を稼ぐ気概に燃え、その熱は最初の一年であっさりと消えることになる。

 理由は単純明快。彼の入った会社が、体罰上等のブラックを超えてレッドとも呼ぶべき恐ろしい会社だったのである。


 新人には碌な教育を施さず、そのクセ成果はベテラン社員と同等のものを望む。

 古株の社員からは仕事を押し付けられ、体調を完全に崩して休む旨を伝えたところで認められないとちょっとした騒ぎになった。

 これが社会の荒波かと男は悲しい気持ちを抱いたものだが、まだその時点では辞めるところまではいかずに頑張って職務を熟していた。

 決め手となったのは、ベテランの社員が押し付けた仕事。

 会社そのものに影響を齎す程の重要案件を期限ギリギリの段階で勝手に任され、碌な教育を受けていない彼は失敗した。

 助けを他に求めても無視され、文句を言っても封殺される。そして失敗すれば、全ては男が悪いとして蜥蜴の尻尾切りに利用された。


 重大な罰則が与えられなかったのは押し付けた側の最後の良心だ。

 社長を含めた重役に叱責を吐かれ続け、件のベテラン社員は気まずい顔をしながらも慰めもせずに無視を貫いた。

 周りも失敗した男と仲良くなんてしたくないと接近を回避するようになり――――社会の歯車という立場は例外無くクソであることを自覚したのだ。

 その時に始めたのが競馬であり、今ではこの競馬が生活に潤いを与えている。

 普段はコンビニ店員として適当に仕事を行い、正規雇用を受けずに二十代の後半に入り始めた。

 今更正社員になろうとは思っていない。どんな場所であろうと異常者が蔓延る場所で彼は仕事をしたいなどと考えてはいないからだ。


 悠々自適にとはいかないが、少なくとも身体が動く内はフリーターとしての生活は安定していると言っていい。

 貯金も既に三百万を超えた。動けなくなった後の貯蓄と考えると少な過ぎるが、一年程度であれば質素に暮らしてはいけるだろう。

 

「あー、そういや冷蔵庫に飯入ってなかったな。 休みの日は廃棄を持って帰れないから面倒なんだよなぁ」


 カレンダーの予定を軽く眺め、適当に数ヶ月後の日曜日に◎を記入してからパソコンの電源を落とす。

 そうすると腹が空腹を訴え始め、男は軽い溜息を零しながら外へと買い物に出かけることにした。

 白シャツはそのまま。ズボンは紺のカーゴパンツにし、上着はネット通販で安く売られていた何処産かも解らぬ濃緑色のジャケット。

 五分も掛からぬ内に手早く着替えた彼は、机の上に置きっぱなしにしていた携帯を無造作にポケットに突っ込んで玄関を目指す。


 現在は夕方五時。

 冬になり始めた季節ならもう暗くなる頃で、この時間帯になると彼の住んでいる近くのスーパーは安売りを始める。

 基本的には精肉や魚が対象だが、弁当があればその弁当も安くしてくれる優良店だ。

 彼にとっても近所の御婦人方にとっても安い商品というのは魅力的で、故に時間を間違えると全てが貪り食われた後に買い物をすることになる。

 そうなっては彼の食事は缶詰や割高な寿司になるだろう。そんなのは御免だと、寒さが襲い来るだろうことを覚悟して扉を開けた。

 

「うーわ、やっぱ寒いわ」


 雪は降っていなかったが、既に冬に近い秋。

 風は寒さを運び、厚着をしていても知ったことかとばかりに身体を震えさせる。ズボンのポケットに入れたままの鍵で扉を閉め、携帯のアプリで自分が使える資金を見ながら男は歩いた。

 周りに人影らしい人影は無い。子供の帰ってくる足音も、早く仕事を終えたサラリーマン風の男女の疲れた姿も、車のエンジン音すら聞こえない。

 ただひたすらに静かな雰囲気が続き、男はその静けさに小さな違和感を覚えた。

 彼は此処に住み始めてから二年になる。外出することも当然あり、街中の雰囲気も十分に掴めている。

 具体的な時間は不明であれど、この時間帯なら少数ながら人が通っている筈だ。


 学生であれ、社会人であれ、主婦であろうとも誰かと交差するのを彼は知っていた。

 中には軽く挨拶を交わす人間も居て、夜に近い時刻となれば車が通ることも日常的だ。静まり返るようなことがあったのは大晦日や三が日くらいで、今はそんな特別な日ではない。

 故にこそ、男は違和感を覚えたのだ。こんな極普通の日に、ひとっ子一人も居ない暗がりの道を歩いた回数は非常に少ない。

 更に違和感を強めたのは、家の明りが一つも無いことだ。よくよく周囲に目を凝らして見渡せば、普段から窓に映り込む暖色系の明りが一つとしてない。

 まるで自身が住んでいる場所以外が無人になったような気配。何とも言えぬ不気味さに、自然と男は内心で身構えてしまう。


「……さっさと買い物して帰ろ」


 こんなものはただの錯覚だ。

 自分が知らないだけで何かイベントが起きて皆が居ない可能性は十分にある。男はあまり周囲の出来事に関心が無かったことで、その可能性は強いと確信していた。

 目的のスーパーは僅か十分。重い荷物を持っていればさておき、何も手にしていない人間なら片手間で歩いて行ける。

 慣れた道を進み、男は普段と変わらぬ動作で何時も通りにそこに到着した。

 しかし、男の表情は優れない。顔を困惑に変え、何度も背後を振り返っては前に戻している。


「――俺、普通に歩いたよな?」


 暫く自身の行動を思い返し、出て来た言葉は自身への疑問だった。

 携帯を見ていたのは極僅か。道程に不自然さはあれど、それでも自身がこれまで見て来た風景であったのは間違いない。

 二度三度と自身の道を思い返して、そしてやはり大丈夫だと確認してから前の状態に視線を向ける。

 そこに明りは無かった。安売り時の主婦達の姿も無く、それどころか車も人も有りはしない。

 いいや、そもそもの前提が違う。彼の目先には、ただの崩壊した廃墟・・・・・・だけがある。


「おかしいだろ、おい。 ……どうなってんだよ」


 廃墟はスーパーの形をしていなかった。元は集合住宅だったようで、横に広い建物の中央部分が潰されたの如く崩れている。

 窓という窓のガラスは割れ、壁もあちらこちらに大穴が開いていた。工事による失敗というよりも、爆発した結果のような有様は日本ではあまり見ない光景だ。

 それが侵入禁止のテープも張られず、工事業者が解体している様子も無い。山奥に放置された建築物同然のままにされている。

 理解が追い付けばそれが異常であることは直ぐに解った。昨日までの記憶と合わせ、此処に居てはまずいとも頭は警鐘で支配される。

 

 脱兎が如く。

 男は廃墟に背を向け、一目散に走り出した。違和感が異常に変わったことで彼の見ていた景色も変化を始め、やっと自身が歩いていた道程が普通ではないことに気付く。

 明りの無い一軒家は暗い所為で碌に見えてはいなかったが、壁のいたるところに巨大な亀裂を走らせていた。

 庭先で育てていた誰かの畑は抉られた跡が残り、男が走るアスファルトの地面にも自転車が走れない程の断層が出現していた。

 慣れぬ全力疾走で息を切らせつつ、男の家の前まで戻る。

 荒く呼吸を整えつつも俯かせていた顔を上げ――自身が住んでいた筈のアパートの半分が見事に吹き飛んでいる様に絶句した。


「おい、おいおいおいおいおいおい。 ……嘘だろ」


 アパートが受けている被害は生温いレベルではない。

 二階建ての建物の右半分が無くなり、当然であるが残った部分には巨大な亀裂や穴が発生している。男が住んでいたのは一階の一番左の部屋であるが、それでさえもガラスが割れて中が見える程度には穴が開いていた。

 慌てて自身の部屋前まで到達すれば、玄関扉は無惨にも拉げている。どうやればこうなるのかと悩む程に破壊の痕跡は常軌を逸していた。

 そんな有様であるが故に、水道も電気も無事である筈が無い。メーターは進まず、この分では水道管すらも破裂しているのではないだろうか。

 

 嫌な予感を覚えつつ、男はそっと扉のノブを回した。無惨な部屋を想像しつつ、回した瞬間に勢いよく拉げた扉を開ける。


「――え?」


 そこにあったのは普段と変わらぬ部屋の光景だった。

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