第4話③ 水瀬日菜 その2

「まったくもう。光輝くんのくせに」


 俺から背を向けてしまった日菜さんはスタスタと先に進んでいってしまう。


「あ、ちょっと!?」


 慌てて彼女の後を追う。だんだんバッグを支える両肩が痛くなってきた。上がらなくなったらどうしよう。さすがに四十肩には早いだろ……。


 そんな自らの健康年齢に危機を覚えていると、何かが目についたのか、とある本棚の前で日菜さんが立ち止まる。


 そして、おもむろに棚に手を伸ばした。背がそこまで高くない彼女からするとちょっと高い位置にあって、「よっと」なんて掛け声とともにぐっと背伸び。あと少しで届きそう。


 どういうわけか、俺は呼吸も、肩にのしかかった重みも忘れて、日菜さんのその姿に見入る。


 どう見ても文学少女、なんて外見ではないのに、どこかノスタルジックな、昔のアニメで見たかのような、懐かしさを感じる彼女の懸命な横顔。


「あれ、届かない……あとちょっとなんだけど……」


 その潤いに満ちた唇から響いた声に、俺はようやく我に返る。


 って、女の子が困っているのに俺は何をぼうっとしているんだ。


 足早に彼女の下に近づき、代わりにその本を取ってやる。タイトルが目に入った。


「はい、これ」

「う、うん。ありがと」


 日菜さんは言葉少なに受け取ると、小さく俯き、その本を胸にぎゅっと抱いた。

 俺は思わず「はは」と苦笑が漏れてしまう。


「え、な、なに?」

「ああいや。日菜さんのチョイス、さっきからことごとく俺に刺さってるなって……」


 彼女の胸元から覗くその懐かしい表紙に、忘却の彼方にあった記憶が呼び起こされる。

 

 日菜さんが手にしたのは、またもや一昔前の青春もののラノベだった。


「え、光輝くん、これも読んだの!?」

「うん、高校の頃に全巻ね。それは3巻……ってことはちょうど折り返しってとこかな」

「ああっ!? ネタバレは厳禁だよ!? やっと二人がラブい感じになってきていいとこなんだから!」

「もちろん。同じ読書家としてそんなヤボな真似は絶対しないさ」


 物語自体はよくある話だ。


 とある病気(ただし大したことない。盲腸だった気がする)で入院した高校生の少年が、ずっと病気で入院したままで学校もろくに通えない少女と出会い、次第に仲良くなっていく恋愛物。

 ただこのヒロインが曲者で、病気で自由がなかったという生い立ちのせいで、わがまま、毒舌、癇癪持ちのツンデレ。これもまた今時受け入れられにくいキャラクターだろう。


 俺がこの物語の好きな理由は、こんな設定なのにヒロインが最後まで『死なない』ところだ。

 だが、病気がすっかり治ってハッピーエンド、という話でもない。


『5年は持つ。それは俺が保証する。だが10年はもたねえ』


 確かこんなセリフだった。この作品のもう一人の主人公でもある、ヒロインの主治医が手術をした後の言葉だ。


 それが彼女に残された時間で、主人公はそれを知っても二人で生きていく、という選択をする。その後二人は結婚はしたし子どももできたが、10年後に二人はどうなったかまでは描かれていない。


 ボロボロと泣いた作品、というわけではない。だが、リアル……という表現が正しいかわからないが、この結末がやたら俺の思春期の心に残っていた。


 ……いや、というよりも。


「日菜さんの言う通りだ」

「えっ?」


 不思議なもんだ。


「こういう面白い作品は、性格や考え方が違う人でも、一緒に楽しめるし、いつまでも心に残り続けるってことだよ。ホントのことを言えば、俺もたった今、日菜さんが手に取るまでもう読んだことさえ忘れてたくらいなんだ。なのに、そのイラストの表紙を見ただけで、あっという間に内容が脳裏に甦ってきたんだよ。大事なシーンとかは特に」


 少なからず感激していた俺は、興奮気味にまくしたててしまっていた。

 やべ、ついまたオタク特有の早口を繰り出してしまった。


 しかし、今回は日菜さんも引くことはなく目を輝かせていた。


「へえー、なんかすごい! じゃあさ、今まであたしが読んできた作品の中にもさ、そうやって将来まで心に残るもの、あるかな?」

「もちろんさ。日菜さんも、物語が好きなら何回も読み返した作品っていくつかあるでしょ? そういうのは心に残りやすいと思うよ」

「そっかー!」


 あの伝説のスポーツ漫画の最終回付近とか、いまだにセリフを空で言える。


「……すごいよね」

「ん?」


 日菜さんはしみじみと言った。


「ラノベでも、アニメでも、ゲームでも、ドラマでも、さ。何年経っても思い出せるとか、時間が過ぎても次の世代の人たちにも読み継がれていくとか。こういう作品を書ける人って、頭の中どうなってるのかな?」


 …………。


「それは……分かんないな。俺みたいな凡人じゃ」


 そう。分かるはずがない。俺みたいなには。


「でも……こういう作品を世に残せたら、きっと人生楽しいよね」


 俺は、日菜さんのその言葉にかすかな違和感を覚えつつも。


「……そう、かな。作家とかクリエイターなんて、99%苦しいだけの仕事だと思うけど。収入は安定しないだろうし、ネットとかで叩かれまくるし。いやイメージだけど」


 ……いや、なんだろうけど。


「もうー! 光輝くん、夢がなーい! ロマンもなーい! サーラリーマーン!!」


「その罵倒ホントに刺さるからやめて……」


 世の同業者たちにもダメージが大きい。別にみんながみんな、俺のように死んだ魚のような目でリーマンをしてるわけじゃない。


 ……やがて、日菜さんは小さな声でぽつりと言った。


「あたしはね…こういう、自分が頑張った、生きた証……みたいのが、欲しいよ」

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