第2話① 姉妹との初デート①

 借金の連帯保証人にだけはなるな―――――――。


 そう親御さんやおばあちゃんから教わった人間は、この時代、もはや少数派だろうか。


「にひゃくきゅうじゅうはちまんはっせんななひゃくにじゅうこえん」


 俺はその督促状に書かれた請求金額を、これでもかというくらいの棒読みで読み上げる。声に出したくない日本語だ。


 アラビア数字で書き並べれば2,988,725円。うん、さすが古代インドによる偉大なる発明。ゼロの概念を生み出したのは伊達じゃない。日本語での30文字がわずか9文字で表現できてしまうし、金額のデカさのインパクトも一瞬で伝わる。インド人すごい。


 ……なんて現実逃避してる場合じゃねえ。


「……これを本当に俺……いえ、私が払うんですか?」


 ここは国が運営するとある金融機関の一つ、その支店の一室だ。


「ええ。残念ながら、この融資のお借入された水瀬陽太さんは先日から行方をくらませています。こちらからの連絡は一切つきません。そこで、この融資契約の連帯保証人であるあなた、桜坂光輝さんに支払いを請求させていただきました」


「…………」


 呆然としている俺に、目の前の神経質そうな職員はまるで判決文を読み上げる裁判官のような口調で、そう宣告した。


  ×××


「……その、どうにか水瀬を探してみてもらえませんか? 私からも彼に連絡してみますから。正直、いきなりこの金額払えと言われても……」


 俺は苦し紛れに反論してみるが、その眼鏡の職員は公的機関で働く人間らしく、感情に乏しい表情のままかぶりを振った。


「桜坂さんの職業は銀行員でしたよね? でしたら、その主張に法的な効力がないことはご存じかと思いますが」

「…………」


 そう。連帯保証人になってはいけないと言われる理由の一つがこれである。簡単に言うと、「いやいや、俺に払えって言う前に水瀬にまず請求してくださいよ。つーか、そっちでちゃんと彼の行方とか資産を探してくださいよ」と言える権利がないのだ。払えと言われたら払わなくてはいけない。連帯保証制度が稀代の悪法と言われる所以である。


 ……まあ、確かにこの契約にサインした俺の自業自得と言われればそれまでなんだけどさ。


「それに、あちらのご家族のお二人でさえ連絡が取れないのですから、桜坂さんが水瀬さんと接触するのは極めて難しいと思いますが」


 その職員は淡々とそう言うと、ちらりと隣のブースに視線を向ける。


 そこで俯いて座っていたのが、水瀬日菜と水瀬結月。


 この日が、俺と彼女たちの出会いだった。



  ×××



「―――――くん」


 …………。


「――――輝くん!」


 …………………。


「光輝くん!!」


「えっ!?」


 俺はハッと顔を上げる。どうやら気づかないうちに、また無意識の海を漂流していたらしい。


「もう。またボーっとしちゃって」

「光輝さん、本当に大丈夫ですか? やっぱり疲れてるんじゃ……」


「あ、ああ。いや平気だよ。ちょっと考え事してただけだから」


 腰に手を当ててぷんすかしている日菜さんと、心配そうに眉を寄せている結月さん。俺は二人に手を挙げて平気と合図した。


「まったく、女子とのデートに心ここにあらずなんて失礼だよっ!」

「いやデートって……。ただの荷物持ちじゃん」


『デート』なんて単語に一瞬ビビってしまったが、何のことはなかった。ただ、新生活で色々と物入りになりそうだから買い物を手伝うことになっただけ。


「あー、もう! 光輝くんムードなーい!」


 そんなぷいっと顔を逸らしてしまった日菜さんは、黒のTシャツにショートデニム、スニーカーと、カジュアルでアクティブな装いに変わっていた。イメージ通りオシャレなJKである。


「すみません、光輝さん。妹のわがままに付き合っていただいて」


 結月さんは先ほどの白のブラウスに花柄のガウンを羽織っていた。それだけでも急に華やいで見える。肩にかけたシンプルなミニショルダーバッグも可愛らしい。


「そんなことないさ。どうせ休みの日なんて大してすることないし」


 いや、ホントマジで。ラノベ読みふけるかようつべ巡回するかソシャゲ周回するくらいしかない。


「……誘ったあたしが言うのもなんだけど、それってどうなの……。恋人は光輝くんだからしょうがないとして、友達と遊んだりとかしないの?」

「……社会人になると色々と都合が合わなくなるんだよ」

「ああ、なるほど。家庭を持つ方も増えてきますもんね。気軽に誘ったりできなくなりますよね」

「……………まあ、うん」


 勘違いしているな結月さん。俺と友達になるような奴が20代のうちに結婚できるわけがない。数少ない友人たちはみな毒男だ。ニートでないだけマシなくらいである。

 その時。


「おい光輝。朝から何騒いでる」


 後方からやたら威厳のある声が俺にかけられた。


「ああ、マスター。おはようございます」


 俺は振り返り、一礼する。水瀬姉妹も続いた。


「大家さん、おはようー!」

「おはようございます、真宮寺しんぐうじさん」


 声の主は、このアパートの大家であり、ここのすぐそばにある喫茶店、『ホワイトラビット』の店主でもある真宮寺昭一しょういちさんだった。ホワイトラビットの常連客でもある俺は、大家ではなくマスターと呼んでいる。


「ああ、二人ともおはよう。どうだ? 少しは落ち着いたかね?」


 マスターは白髪交じりのあご髭を撫でながら言った。相変わらず渋い佇まいである。


「ええ。やっと少し。これも光輝さんと真宮寺さんのご協力のおかげです。本当にありがとうございました」


 結月さんが礼儀正しく腰を折る。その丁寧な仕草にマスターはほっとしたように眦を下げた。しかし、


「大家さん! これからあたしたち、光輝くんとデートなんだよー!」


 え、ちょっと。


「……光輝。どういうことだ? デートだと?」


 日菜さんの無邪気な宣言に、マスターの眼光が一瞬にして鋭利なものに変わる。

 ……ああ。そういえば、マスターにもこの子たちくらいの孫がいるって言ってたっけ……。

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