第1話③ 水瀬日菜と水瀬結月③
さて、そんな妹に向けて。
「なに、日菜照れてるの? 普段から生意気に小悪魔気取ってみてるくせに受けに回ると弱いんだから。そういうところがお子ちゃまなのよ」
「お、お姉ちゃん! う、うるさいよ!」
ここで攻守逆転。結月さんが楽しげに妹をいじりだす。
「あ、忘れるところでした! 光輝さん、私、朝ごはん作ってきたんです。ご一緒しませんか?」
可愛らしく両手を合わせ、小さく首を傾ける結月さん。
……大丈夫かな。こっちもこっちでなんだか……。
「えっ? 俺に?」
「はい。この二週間、ずっとお世話になりっぱなしでしたし。やっと少し気持ちも生活も落ち着いてきたので」
「い、いや、でも、そんなの悪いよ」
「別に二人分も三人分も手間は変わりませんよ。それに光輝さん、あまり健康にいい食生活してませんよね? 知ってるんですから」
「うっ……」
いつもコンビニ弁当にカップラーメン……というほど乱れているわけでもないが、ガサツな男の一人暮らしらしく、外食メインになりがちだ。野菜や魚を積極的に取るように心がけてはいるけど。そろそろ健康診断の数値が気になりだす年だしな……。アラサー……。
「うわっ、頼まれてもないのにいきなりごはん作ってくるとか重っ……。 てかやり方あざと……」
「……何か言った?」
「……いえ、何でもないです……」
この姉妹の力関係も、少しずつ分かってきたところだ。……うん、やっぱりさっきの仕草といい、結月さんもあざといよね……。
×××
「「「いただきます」」」
三人そろって手を合わせ、食の恵みに感謝の言葉を述べる。
場所は俺の部屋のダイニング。2LDKの一角である。なぜ俺のような毒男がこんな広い部屋に住めているかというと、このアパートが“ワケありの集まり”だからだ。身寄りが突然いなくなってしまった彼女たちがここに住めることになったのも、その理由に起因する。
結月さんが作ってくれた朝飯は、白米に味噌汁、おひたしに鮭と実にシンプルなもの。
だけど、
「あ、美味しい」
これまた何の飾り気のない感想が俺の口を突いた。
しかし、結月さんにはそれだけで十分だったようで、
「ホントですか!?」
「うん。鮭の塩加減が絶妙。しょっぱすぎなくてちょうどいい」
「ありがとうございます!」
嬉しそうにはにかんだ。
……なんか、こういう食卓の風景、久しぶりだな。
そんな独り暮らしの男らしい郷愁に囚われていると、日菜さんが箸を一度置いてから言った。……しっかり躾されてるんだな。
「あ、そうそう」
「うん?」
「そういえば、光輝くんのお仕事って銀行員なんだよね? お兄ちゃんの借金返す時の手続きも詳しかったし」
「ん、まあ一応な」
俺の勤務先は、メガバンクの一角であるきさらぎ銀行。その横浜支店だ。就活生やネット掲示板では“緑”と言われていることが多い。
「じゃあさ、ああいうのやっちゃうの? 『倍返しだああーーー!!!』みたいな?」
日菜さんが楽しそうに俺をビシッと指差してきた。
いや、それは「異議あり!!」のポーズじゃない? 某ゲームの弁護士や検事の。
「ああ、ないない。例のドラマが流行ってから結構聞かれるけど。つーか、銀行員ほど上司や取引先にペコペコしなきゃいけない職業もそうそうないと思うぞ」
これはお仕事ものの物語ではないので詳しい説明は省くが、銀行は意外と立場が弱い。そして、上意下達で、パワハラ、セクハラが当たり前の典型的な昭和の日本組織である。
「ええー、カッコわるー。でもまあ、光輝くんってそういうイメージだよね。誰にでも腰低そう」
日菜さんは不満げだ。まあ、思春期の10代からしたらサラリーマンなんて普通にダサいよな。わかる。俺もそう思ってたもん。
しかし、
「そうかな? あのときの……私たちの親戚と交渉してくれたときの光輝さん、毅然としてて私はカッコよかったと思うけど」
さすがに来月から大学3年生になる結月さんの視点はかなり違った。要は大人だ。現実が見えてきているとも言えるだろう。俺もそう思うようになったもん。
「……別にたいしたことじゃないよ。社会人として何年か働けば誰でも身につけられる基礎的なスキルさ」
あまりにもストレートに誉めてくれるので、照れくさくなった俺は頬を掻きながらごまかす。他人に……とりわけ女性に賞賛されることなどほとんどないからな。
「うーん、まあ、それはそうかもしれないけどさあ……」
いまだ納得していなさそうな日菜さんを遮るように、結月さんは微笑み、はっきりと言った。
「少なくとも、あんな地に足についてない身勝手な兄よりは、ずっと素敵だと思います」
「お姉ちゃん……」
だが、その笑顔には様々な感情がせめぎ合っているのが俺でさえ見て取れて。
無性に悲しくなった。
「……結月さん、そんなふうに言うなよ。水瀬だって頑張ってたんだろう? 実際、ここまで二人を育ててくれたんじゃないか」
「でも……しょうもない女と駆け落ちして、光輝さんにはすごくご迷惑をかけて……。それに私や日菜だって光輝さんの重石に……」
「はいはい。それは今は言わない約束。その先は二人が自立できる目途が立ってから考える。そうだったよね?」
これは、俺たち最初の“家族”会議で決めたことだ。
そして、俺の“覚悟”の道標でもある。
「は、はい。ごめんなさい……」
「……じゃなくて?」
俺は結月さんをじろりと睨む。その意図に気づいた彼女は慌てて頭を下げた。
「あっ……いえ、あ、ありがとうございます」
「はい、よろしい」
うむ、くるしゅうない。
俺がわざとらしく大仰に頷いてみせると、日菜さんが可愛らしくウィンクをした。
「光輝くん。あたしはお姉ちゃんと違ってガンガン甘えるよ? 覚悟してね?」
「ちょ、ちょっと日菜!?」
「だって、遠慮しなくていいって言ったの光輝くんじゃん」
「でも、だからって節度ってものがあるでしょ……!?」
やはり、この辺りはしっかり者の上の子(まあ結月さんは正確には真ん中だが)と、ちゃっかりしている下の子の違いがはっきり出ていて面白い。俺と妹もこんな感じだった。
まあ、それはともかく。
「うん。これは日菜さんのほうが正しいよ。社交辞令とかじゃないから安心して」
「光輝さん……。すみません……ううん、ありがとうございます」
結月さんが申し訳なさそうに再度頭を下げる。それを横目に見た日菜さんは言質を取ったとばかりに言った。
「だから光輝くん。早速お願いがあるんだけど、いいかな?」
「もちろん。俺にできることなら」
俺の前向きな返事に彼女はニヤリとした笑みを浮かべると、とんでもないことを言い放った。
「デートしよう! 今から!」
「「……え?」」
日菜さんの唐突なびっくり宣言に、俺と結月さんは互いにぽかんとした表情で顔を見合わせた。
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