第5話
その夜、俺はイヨに連れられイヨやモヨの住む祭殿に泊めてもらう事になった。屋根だけが地面にくっついたような竪穴式住居の間を通り過ぎ、しばらく行くと高床式の大きな建物が見えて来た。
「あれは祭殿ですわ」
と、イヨが教えてくれる。
それから、俺達は祭殿のそばにある竪穴式住居に入り、そこで夕飯を食べる事にした。どうやら、そこは巫女達の食堂みたいなものらしい。
「ありがたく思いなさいよ。ここは、本当ならあんたみたいな間抜け面の男が入れるような場所じゃないのよ。神聖なんだから」
貝や木の実を口に頬張りながら、モヨが憎まれ口をたたく。
「そうかよ。そりゃあ涙が出る程嬉しいね」
皮肉を込めて答えると、俺は赤色の米を口に入れた。古代米というやつだろうか? 赤米というやつだろうか……少し固い。
「私達巫女は、東側の高床の家で眠るのです。でも、龍神様は神様ですから、祭殿にお泊まりになるとよろしいですわ」
イヨが果実を頬張りながら言った。
「あんたの横に泊めてやったら」
モヨが言う。
「それは、良い考えですわね」
とイヨ。
「何バカなこと言ってるんだ」
と、俺。
「冗談に決まってるでしょう」
とモヨ。
などなど、他愛の無い事を話していると、
「おい。そいつか? イヨの連れて来た龍神様ってのは?」
と、一人の男が声をかけて来た。誰だ?と振り返ると、顔に赤色の入れ墨を入れ、鼻の下に鬚を生やしたガタイのいい男が立っていた。
「誰? あんた?」
「俺は、カシヒ。巫女様に捧げるお食事を作る奴婢さ」
「奴婢?」
「奴隷の事だ。知らないのか?」
「奴隷?」
俺は男をまじまじと見た。奴隷? そんなものがいるのか? しかし……食事を作る事だけを仕事にしている割には迫力がある。顔の入れ墨のせいか、その筋の人みたいで正直恐い。
気持ち的に負けているのが伝わってか、男が小馬鹿にしたように言った。
「ふん……こんな小僧が龍神のわけがない」
「いいえ! この方は龍神様ですわ」
イヨが言う。しかし、この娘、今日、何回このセリフ言っただろう?
「そりゃあ、そうじゃなきゃイヨは困るよな」
男が笑う。
「なにしろ、龍神様を呼びだせなければイヨは……」
男が何か言いかけた時、モヨが机を叩いた。
「誰が、私達に話しかけていいって言った?」
俺は驚いてモヨを見る。男も相当驚いたのか、
「モ……モヨ様。何を怒っておられるんですか? みんなが言ってる事を言ってるだけですぜ……」
と、機嫌を取るように言った。うってかわった卑屈な態度だ。しかし、モヨは取り合わない。
「ここから出て行け」
冷たく言い放つ。
「しかし……モヨ様」
「いいから出て行け! さもないと神罰を下らせるわよ」
モヨのひとことで、男はみるみる青ざめた。なんだろう? 迷信深い時代っぽいし『神罰』という言葉がよほど恐ろしいんだろうか?と思ってたら、どうやら大当たりだったようで
「神罰だけは勘弁してくれ」
と転がるように外に走り出て行った。
「おい、なんなんだよ? あの高圧的な態度」
俺はモヨをたしなめた。
しかし、モヨは無言だ。
「おい、なんとか言えよ」
「……」
「どうして黙ってるんだよ?」
「……」
駄目だ。地蔵のごとくに無言だ。だんまり地蔵に向かって、イヨがおそるおそる言う。
「モヨ様。ちゃんとお返事差し上げないと。龍神様がお気の毒ですわよ」
「……」
それでもやはり地蔵は口を開かない。俺とイヨは顔を見合わせタメ息をついた。しばらくすると、イヨが俺に小さな声で耳打ちする。「え? ……でも、それって」ためらう俺に「いいから、用意!」と言うと「そーれ!」と言って、イヨがモヨをくすぐり出す。
「ちょ……なに…! やめなさい」
「ほら、龍神様も」
「やめなさいってば、くすぐったい。くすぐったい!」
「早く、龍神様も」
「そ……そんな事言ったって。でもそこまで言うなら、ちょっと参加させてもらおうかな」
「って、いい加減にしなさーい!」
ついに切れたモヨがイヨを思いきり突き飛ばす。すると、イヨはコロコロと床の上を一回転して「いったーい」と起き上がった。そして、
「モヨ様が、喋った、喋った」
と、はしゃぐ。
「まったく、あんたって子は」
「だって、モヨ様怖いんですもの」
「怖いって……誰のためにやな奴を演じたと……」
そう言うとモヨは「あっ」と口を塞ぐ。
その仕種を見て、ピンと来る。
「なあ、モヨ」
俺は言った。
「俺、さっきからずっと思っていたんだけど、もしかしてイヨの身の上に、何か重大な事でもふりかかっているんじゃないのか?」
「な……なんで?」
モヨは明らかに動揺している。
「だって、さっき村の奴らが言ってたもん。『イヨが助かるために龍神を呼び出したって嘘をついてる』って。今のオヤジも同じような事を言ってた。だから、お前切れたんだろう?」
「関係ないわよ」
「でも、お前自身言ってたじゃないか。龍神を呼び出せたからって『運命が変わるわけじゃない』って」
「言ってないわよ」
「言ったよなあ?」
俺はイヨに同意を求めた。
「はい。言いました」
イヨがうなずく。
「と、言うわけだよ、モヨちゃん。嘘ついてもいいのか? 言葉の力は絶対なんだろ?」
からかうように言うと、モヨが顔を真っ赤にして怒った。
「うるさいわね。あれこれ詮索するんじゃないわよ! このスケベやろう」
「スケベってなんだよ……」
「うるさい。エロオヤジ」
なんだか、わけの分からない応酬になって来たあたりでイヨが言った。
「もういいです。モヨ様。私から話します。別に隠す事じゃないし」
「……」
イヨの言葉にモヨはそっぽを向いた。勝手にすれば? って感じだ。
「実は、私。この村の人間じゃないんです。子供の頃、市で売られてる所を、村長様に買われて来たんです」
「買われた?」
俺はちょっとばかりショックを受けた。
人身売買……この時代はどの国でも当たり前にあった事らしいけど……。
「じゃあ、君も、奴隷なの?」
「いいえ。私は、奴隷として買われたのではありません。私がこの村に買われて来たのは、冥界の花嫁になるためです」
「花嫁?」
「ていの良い生贄よ」
「生贄?」
俺はさらにショックを受けた。
「そうです。生贄です。16になったら捧げられるはずでした」
あまりのショックに口をきけなくなる。が、しかし、やがて声を振り絞るようにして言った。
「そんな……そんな馬鹿な話あるか……」
「あるんだから、仕方がないじゃない」
モヨが冷たく言い放つ。
「けど、人を生贄に捧げるなんて」
「仕方がないでしょう? そうしなければ生きていけないんだから。この村では10年に1度生贄を捧げる事で、冥界の呪いを鎮めて平和を保って来たのよ」
「だからって……」
そりゃ、俺は21世紀の人間で、しかも日本人で。人を生贄になんかしなくても、誰もが平和にくらせて。食うに困る事もなくて。それだからこそのお気楽な発想かもしれないが、人を生贄に捧げるなんて理解できない。
「生贄は16才までの乙女と決められています。そして、最後の生贄を捧げてから今年で10年目……」
イヨが淡々と言う。
「10年目?」
「そう。でも、この子はまだ村にいる」
「どうして?」
「生贄にするのはやめたからよ」
「へ?」
俺は少し拍子抜けした。
「そうなの?」
「ええ。一応はそのはずでした。シキコ様がそうおっしゃってくれたから」
イヨがうなずく。
「私がこの村に買われて来手からすぐに、シキコ様が占いをして下さったんです。その時『イヨには他の村人にはない才能がある。いずれ冥界を滅ぼして救ってくれる子だから、生贄なんかにしちゃいけない。それよりは巫女として大事に育て、いつか目覚める時を待て』っておっしゃってくれたんです。それでこの祭殿に引き取られて、モヨ様とともに巫女として育てられたんです。ところが……」
そう言うと、イヨは黙りこくってしまった。かわりにモヨが続けた。
「ところがね、ある日冥界の王が使者を送って来て、次の生贄には、ぜひイヨを寄越せと指名して来たの」
「なんで?」
「分からないわ。どこかで会って目をつけられたのかも。冥王って幼女好きって聞くし。こいつの童顔が好みだったのかもね」
「ロ……ロリコンかよ。つーか、生贄って何するんだよ?」
「変な想像するんじゃないわよ。とにかく、冥王直々の名指しじゃ、誰も断れないわ。やっぱりイヨを生贄にしろって声がみんなの間で高まって……」
「でも、シキコ様だけはイヨを庇ってくれたんです。絶対にこの子を生贄にしちゃいけないって」
「そうなのよね。なんで、シキコ様はここまでイヨを大事にするんだか。こいつときたら、巫女としては全然落ちこぼれで、雨乞いはできない。病人に憑いてる霊は追い出せない。弓も駄目。祝詞も覚えない。占いも無理。あんまりの役立たずぶりに、村のみんなあきれ返って、これはもしかして珍しくババさまが占いそこねたんだって噂してるの。もし占いが間違いだとしたら、このままずっとイヨを村に置いておいたらまずい事になるって」
「それでも、シキコ様だけはイヨを庇ってくださって……」
と、イヨが言う。
「そう。それでシキコ様は、冥界の王が咽から手が出る程欲しがっているものを探して来るって、それとひきかえにイヨの事はあきらめてもらうって、3ヵ月前に村を出て行ったの。その間にも冥王からの催促は矢のように来るし。そのうち、日照りが起きて作物が育たなくなって、とうとう一部の心無い連中が『今のうちにイヨを冥界にやってしまえ』と思いついたの。それで、村長様にイヨの役立たずぶりを延々と語って、村を犠牲にしてまでおいとくような娘か? って迫ったんですって。それで、村長様も困ってしまったの。なにしろ、シキコ様との約束があるし、だからといって村人の運命もかかっているし。それで、村長様はイヨの運命を天に預ける事にしたの。もし、役立たずのイヨが雨乞いに成功したら、ババの言う通り村を救う娘にちがいない。しかし、もし、雨乞いに失敗したら、ババの占いは外れたものとしてイヨには冥界にいってもらおうと……」
「なるほど。そういう事だったのか」
と、俺はうなずいた。
「でも、俺……つまり龍神様が現れたんだから、イヨの冥界行きは無しだな。これにて一件落着って」
俺が遠山の金さんのごとくまとめようとした時、
「そう、簡単に、済むかしら?」
モヨが首をかしげた。
「なんでさ?」
「だって、さっきあんた言ったじゃない。ホデリの神の呪いとかなんとか」
「ああ。あのダースベーダーモドキの事?」
「ヨミノシツルギフルカバネですわ」
「あれって、いよいよ冥王が本気になったって事よ」
「ああ。そうか……」
おれはうなずく。
「大丈夫ですわ」
イヨが言う。
「龍神様が居ますもの。イヨは信じてます。龍神様ならイヨをこの運命から救い出して下さるって……」
いや、それは無理だと思うよ。と、俺は心の中で答えた。俺はただの人間だから……。
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