第3話
ユキはテレビを消した。
雨の音がかすかに聞こえる。
立ち上がる。そして玄関横の固定電話から、いつものダイヤルに電話をかけた。
呼び出しのベルがワンコール鳴ったのを確認してすぐ受話器を戻し、ボロボロの外出簿に今の時間と「電話をかけるも応答なし」と記載をした。
ユキは捜査機関によってこの島に連れて来られた。一応仕事の一環という名目だが、実際は罰だ。通称は「流刑」
ユキは「流刑人」の一人だった。
一時期、ユキはハルと同じ捜査機関に所属し勤務をしていたが、とある罪を犯し、その代償としてこの島での生活を強制されている。
家を出る時は、「管理人」に連絡しないといけないし、もし連絡がつかなかった時は行動を明らかにしておかないといけないのが決まりだ。
いつものお決まりとして、電話は相手が出る前に切る。
とりあえずルールは形だけ守っている。
「管理人」との付き合いもそこそこ長いが、彼の性格上いちいち出かけますと報告していたら逆にうるさいと言うだろう。
ユキは車のキーとマウンテンパーカーだけ持って家を出た。
穏やかな雨が降っている。周りは薄暗い。間も無く完全な暗闇がやってくるだろう。
ユキはいつものようにあてもなく車を走らせた。
マニュアルの軽ワンボックス。ドアは四方錆だらけで、ギアを3速にする時たまに抜けてしまう7万円の愛車。
暇な時、嫌なことを考えてしまう時、ユキは車を走らせた。
行き先はない。
頭を空っぽにして、走り回る。
島は1時間ほどで、ほとんど全ての道を通る。
この「古島」には約三千人ほどの島民が暮らしている。主な移動手段は車両だ。道路はコンクリートで舗装されているし、たまに標識もある。
山奥の田舎のような風景だが、この島から出ることはできない。
1時間近く車を走らせた後、誰も居ない廃棄された漁港に辿り着いた。
広い漁港に1本の街灯が、取り残されたかのようにオレンジ色の灯りを灯している。
雨はいつの間にか止んでいた。ユキは街灯の近くで車を停め、エンジンを切り、ヘッドライトを消した。雲の隙間から星空が見え始めていた。
今日は風がなければ、海のうねりもほとんどない。波の音は静かで優しい。
ユキは車から降りて、堤防を歩いた。
日が暮れてから外出をする島民はほとんどいない。いつもなら夜釣りを楽しむ人が一人や二人いるのだが、今日は誰もいなかった。
星の灯りは影を落とすほど強く、その灯りを頼りにユキは無人の港をうろついた。
しばらくして車に戻り、セルを回したところで、問題が起きた。エンジンがかからない。
もう一度力を込めてセルを回す。キュルキュルと苦しそうに唸るばかりでエンジンはかからなかった。
車の構造についてほとんど無知だった。バッテリー上がってるのだろう、とユキは思った。
ユキは携帯電話を持っていない。持つことを禁止されている。
助けを呼ぶ手立てはなかった。
人気のない漁港に一人きり。夜中。助けが来るのはいつになるかわからない。
だがユキは特段焦ってはいなかった。
後部座席に移り、シートを倒して寝転がる。身長が小さいのでスペースには余裕があった。埃っぽくて硬くて冷たいことを除けば問題はない。
そのうち何とかなるだろうと、ユキはフードを深く被ってから、車の中で目を閉じた。
睡眠薬飲んでくればよかった、とユキは思った。今日はついていない。
車の中で眠っていたユキが目を覚ましたのは夜中だった。
眩しさで目を覚ます。誰かが車の外から自分にライトをむけている。
「おい、何してんだ?」
ライトの持ち主が問いかけてきた。ユキは光を手で遮りながらドアロックを外した。
声の主は島の漁師だった。老人だががっちりした体格をしている。
「こんなとこで、何してんだ?」
再度漁師は問いかけた。ユキは「エンジンがかからなくなってしまって」と掠れた声で答えた。外は寒かったが、車の中も寒かった。
漁師は「見せてみろ」と言って運転席に座る。ユキは海の香りのする手にキーを渡した。
漁師がセルを回すと、先ほどより小さい音でエンジンが唸った。
「こりゃ、ダメだ。」
そういうと漁師は「おーい」と大声を出した。「ケーブル持ってきてくれ」と続けて言うとやまびこの様に「待ってろー」返事があった。どうやら仲間がいるらしい。
程なくして暗闇から黒と赤のケーブルを持った男が姿を現した。かなり若い。
「なんだ、人がいたのか」
若い男性が言う。ウェットスーツを着て、全身濡れていた。
「バッテリー上がってるの?」と言う質問に漁師が「助けてやれ」と答えた。
ユキは何回か軽く頭を下げた。
「俺の息子でな。最近帰ってきた。都会じゃ色々あったみたいだが」
漁師がつぶやいた。
「あんたは旅行か?」
「いえ・・」とユキが答えると漁師はユキの顔をちらりと見た。
漁師は「見ない顔だな。女一人で出歩くな。危ないぞ」と言う。ユキは「はい」と答えた。遠くでエンジンのかかる音が聞こえ、明かりが灯った。車が近づいてくる。その様子を眺めながら漁師が言う。
「今日は二人で夜釣りに来てな、もう帰るとこだ」
その言葉を聞いた瞬間
くしゅん。
とユキはくしゃみをした。
漁師は心配そうにユキを見て「寒かったろう。風邪引く前に帰れ」と声をかけた。ユキは鼻を啜りながら「ありがとうございます」と答えた。
若い男が運転してきた軽トラが到着して、バッテリーにケーブルを接続した。
後はユキの車に接続するだけだが、エンジンルームは錆がひどく、ロックは硬かった。
漁師が力を込める。だが、ロックは外れない。
開けられないでいると、ユキが「ちょっと変わってください」と声をかけた。
漁師が「硬いぞ。女には無理だ」と言うも、ユキに場所を変わった。ユキが留め具に手を掛ける。力を込める。するとバキと大きな音を立ててロックが外れた。いや、壊れた。
漁師は目を丸くしながら「姉ちゃん、力強いな。」と驚いた様子で言った。ユキは軽く頭を下げてから後ろに下がった。
その後、2台の車をケーブルで繋ぐと、ユキの車のエンジンをかけた。
エンジンは無事息を吹き返し、2台のアイドリング音が静寂に響いた。
「ありがとうございます。助かりました」
ユキは運転席に乗り、漁師たちに感謝を告げた。
漁師は「エンジンかかってよかったな」と答えた。若者も笑顔だった。
ユキが立ち去ろうとすると、漁師がそうそう、とユキに言った。
「ここで俺たちにあったことは、あんまり言いふらさないでくれよ。秘密のスポットだから静かに釣りをしたいんだ」すると
くしゅん。
その言葉を聞いて、ユキはまたしてもくしゃみをした。
漁師が心配そうに「体、冷えたんじゃねえか?」と尋ねた。
ユキは少し間を置いてから「大丈夫です。それでは」と答える。体が小さく震えていた。
漁師が心配そうに見つめる中、ユキは車を発進させた。
漁師たちは、ユキに嘘をついた。
釣りをしに来たのではない。本当は密漁をしている最中だったのだ。
この島の組合は潜水をしながら決められた魚介類を取ることを禁止している。
ユキはその事実を知らない。
だが、釣りをしていると言うのが嘘だと言うことには気付いていた。
それはユキの魔法が嘘に対して拒否反応を起こすものだからである。
嘘について攻撃したくなるこの能力のことを、ユキは「嘘吐きアレルギー」と呼んでいた。
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