第58回 鎖


 俺は約束の時間に、夕日と町並みを見下ろせる屋上まで来ていた。


 学校ダンジョンの屋上を思い出すが、あのときと違って周囲には本物の景色が広がっている。


 当然だが、何かあったときのために戦う準備はしているし、風間も30分前には物陰に隠れてスタンバイしてくれている。もちろんかなり嫌がられたが、いざというときは逃げてもいいからと説得した格好だ。


 人を食う獣、絶対者なんていう物騒な異名を聞いたら、そりゃここまで警戒するのは当たり前だしな。


「――やあ、佐嶋康介君、待たせてしまったね」


「あっ……」


 待ち合わせの時間からおよそ数分後、杜崎教授が謝るような仕草をしながらやってきた。あれ、白衣姿のままだ。


「遅れた上、こういう格好で申し訳ない。今日は少し予定が空いたとはいえ、立場上、それが変わることもあるし、緊急の手術オペに手間取ったものでね、着替える時間もなかったんだ」


「なるほど……」


 患者に手術を施したばかりのこの男が人を食う獣だなんて、想像もできないな。


「自分で誘っておいてなんだが、あまり時間がないので本題から入ろう。我々スレイヤー協会は、羽田京志郎と鬼木龍奈の二人には特に手を焼いているんだ。君は新参だが、聞いたことはあるだろう?」


「……ありますよ。彼らはレベルが桁外れに高いですし、協会でも浮いた存在なのはなんとなくわかります」


「うむ。やつらは協会の力をもってしても容易にコントロールができない存在でね、無駄に犠牲者を増やし、世間に著しく悪い印象を与える、なんとも厄介な連中なのだ……」


 杜崎教授はなんとも苦々しい顔つきで黄昏を眺めていた。悪い印象といえば、例の噂のことを聞きたいがとてもそんな空気じゃないな……。


「スレイヤー協会とスレイヤーは一心同体ではない。あくまでもダンジョンを攻略する個人事業主と、それを信頼して報酬や武器を与える組織という関係でしかないのだ。責任を負わないための逃げ道といわれればそれまでだが、こちらも手を打っている。それは、有望な人物を育て、羽田や鬼木のような暴虐無人な輩に対抗するスレイヤーを育成すること。つまり、君のようなね」


「…………」


「佐嶋君。君は、一般人の身でありながら、二つのダンジョンを経験し、なおかつ生き残った。それも、あの羽田に接触した上でと聞いている。そんな人物は初めてだ。どうだろう、単刀直入に言わせてもらうが、我々に協力してはもらえないだろうか? 連中を放置したままでは、協会の信頼が揺らぎかねない。だから、害虫どもをすぐに倒せずとも、将来的には牽制できるような存在が欲しいのだ」


「っていうか、俺はまだレベル10じゃないし、そういう存在ならほかにいくらでもいそうですが」


「いやいや、僕の目は節穴じゃない。佐嶋君はまだレベルは低いかもしれないが、将来は相当なレベルのスレイヤーになると見込んでいる」


「……いや、まだまだですよ」


「謙遜しないでほしい。僕は、君を買っているのだ……」


 なんだろう。この溢れ返るような妙な不信感は。杜崎教授の言いたいことって、つまりは俺に協会の犬になれってことだよな。そうか、だからなのか。確かに羽田たちのやり方には憤りを覚えるものの、協会専用の猟犬みたいな自由のない立場に成り下がるつもりはない。


「俺は、確かにスレイヤーにはなりたいですけど、縛られてまではちょっと……」


 杜崎教授は穏やかな顔のままだったが、どことなく不快感を滲ませたような気がした。


「今、縛られると君は言ったね? でも、この世では自由ほど聞こえがよく、残酷なものなどないのだよ。常に競争にさらされ、弱い者はただ野垂れ死ぬしかない、そんな情け容赦の無い世界だ――」


「――そんなことくらい、嫌っていうほどわかってますよ。要するにあなた方協会にとって、鎖で繋いだ都合のいい忠犬が欲しいだけでしょう」


「……うむ。まあ、そうともいうがね。WINWINの関係ではないのかね? 君はスレイヤーとして何不自由なく生活できるし、クエスト以外に安定した報酬を得ることも可能だ。ちょっとした制約がある程度だよ。だ」


 やはりそう来たか。最初から俺の持っているスキルの秘密、それが狙いなわけだ。


「それに、君には確か、母親と妹がいるだろう? 大切な家族の安全を守るためにも、我々の力が必要なのでは?」


「脅すんですか?」


「まさか。ただ、心配なだけだよ。そうだ、ところで君は神を信じているか?」


「……へ?」


「神を信じる者は、神によって真の、すなわちを手にすることができる。それは、地位や名誉、または財産を手にすることで得られるようなものではない。ヨハネの福音書14章27節から引用したものだ。我々に協力してくれれば、きっと君も確かな心の平安を得ることができると思うのだが」


 この発言によって、俺はどうして彼が絶対者と呼ばれているのかなんとなくわかった気がした。


「……あなたは神様にでもなったつもりなんですかね? 残念ですが、今のところ自分の情報を教えるつもりはないです。お引き取りください、杜崎教授」


「そうかそうか。それでは、気が変わったらいつでも来てくれたまえよ。神は寛容なのだから。


 さすがにバレていたか。なんともいえない後味の悪さを残し、杜崎教授は立ち去っていった。それからまもなく、風間が転びそうになりながら飛び出してくる。


「さ、佐嶋よ、あの男に睨まれたら、色んな意味でまずいことになるかもしれんぞ。スレイヤーになりたくないのか?」


「あっ……」


「ん、んん? ど、どうしたのだ?」


「風間さん……俺、今思ったんですけど、スレイヤーって別にレベル10じゃなくても名乗れるんじゃないんですか?」


「え、えぇっ……? そ、それはそうかもしれんが、名刺だけでなく、報酬や武器を貰えなくなるのだぞ……?」


「俺には絶対に壊れないレア武器があるし、生活に困ってるわけでもないですから。免許がなくてもスレイヤーだって名乗ればいいんですよ。レベル10じゃなきゃスレイヤーになれないとかだって、協会が勝手に決めたことですし、俺みたいな低レベルのスレイヤーがいたっていいんじゃないですか?」


「ふ、ふむ。わしには茨の道に見えるがのー……」


「それでもいいんですよ。俺は自称スレイヤーでもいいんです。いずれは、


 それこそ、あんな胡散臭い連中に情報を抜かれるよりはマシだ。俺は沈みゆく太陽を見ながら、そう心に固く誓うのだった。

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