第59回 悲鳴
「…………」
病室の窓から見る夜景は、何故かいつもより綺麗に見えた。
別にロマンティックな気分に浸っているわけでもなく、憧れのスレイヤーになるための手段としてレベル10にこだわる必要もなくなり、気持ちが楽になったんだと思う。
今までは早く10まで上げなきゃと焦る気持ちがあった。そうしないと理想のスレイヤーにはなれないんだと、心が悲鳴を上げるほどストイックになっていたのかもしれない。
でも、そうじゃなかった。スレイヤーっていうのは、ダンジョンに挑戦してやるっていう強い思いがあるなら、いつでも名乗っていいものだったんだ……って、こっちがシリアスな気分だっていうのに、風間は寝そべってエロ本を読み、ニヤニヤと気味の悪い笑みを浮かべていた。
「師匠」
「し、師匠だとお? 佐嶋よ、どうしたんだ、急に」
「周りに人がいるときはこういう言い方がいいと思って。それに、師匠ともあろう方がそんなところでエロ本を読まないでくださいよ」
「うっ……」
気まずそうにエロ本を布団の中に隠す風間。
「さっ、最近の若いモンはスタイルがいいと思って見ておったのだ。オッホン……しかし、佐嶋よ、長い物には巻かれろという言葉もある。いずれはスレイヤー協会に入るのもありかもしれんぞ?」
「いや、今のところ考えてないですよ」
「内部から癌細胞を破滅させるという意味でもな」
風間の言いたいことはなんとなくわかる。けど、俺は自分の身の回りのことで精一杯なんだ。
先のことはわからない。でも、今はスレイヤー協会云々よりも、強くなること、ダンジョンを攻略すること、そして、自分の家族、仲間を守ることのほうが大事だ。
「そんなことより佐嶋よ、この女子についてどう思う? わしの一押しだっ!」
「え、あぁ、こ、これはいいですね……って!」
俺はいつの間にかエロ本の中身を見せられていた。
「ウホホッ、カタブツっぽい佐嶋もこれはいいと思ったか。やはり健康な男なら誰もがそう思うだろうのぉー」
「師匠……母さんと灯里に死ぬまで介護をお願いしましょうか?」
「そっ……それだけはやめてええええぇぇっ!」
悲鳴にも似た師匠の声が響き渡った。
◆◆◆
大学病院の研究室では、密かにダンジョン菌の研究が行われていた。
研究室内は徹底的な消毒が、顕微鏡には特殊なコーティングが幾重にもなされているが、それでも100%安全とはいえないため、研究目的であっても一日30分までという限定的な時間しか許されてはいなかった。
「なんと素晴らしい……」
頬を紅潮させ、興奮した様子で顕微鏡を覗き込んでいたのは、杜崎教授であった。
「見たまえ。菌がしきりに数字や文字、記号のようなものを形作ろうとしている。これがどういうことか、そこにいる君は説明できるか?」
「……おそらく、防御ですね」
近くで見守っている研究員の男の言葉に対し、杜崎教授の右の口角が吊り上がる。
「そう、プロテクトだ。我々を敵だとみなし、あらゆる手を使って防御しようとしている。人類の仲間だと錯覚させることでな……」
「…………」
「ダンジョン菌は、最早ただの菌ではない。かつてはただの菌だったのものが変異を重ねることで驚異的な進化を遂げ、AIよりも賢くなり、人の心を読み取り、欲望を栄養源にし、迷宮という名の巣を作って我々を死のゲームの虜にしている。これこそ、神が我々に与えた試練だとは思わんかね」
「……そ、そうですかね」
「さらに興味深いことに、防御を形成しているのはダンジョン菌の皮質であり、これはS
「は、はあ……。あの、ところで杜崎教授、そろそろお時間です。これ以上はさすがに感染のリスクが高まり、危険かと……」
「うむ、そうだな……」
杜崎教授が立ち上がり、扉の前まで歩いたところで立ち止まる。
「……なあ、君は、ここがダンジョン化したら面白いとは思わないかね」
「え……?」
ぽかんとした顔の研究員に対して振り返った教授が、ポケットから試験管を取り出したかと思うと、白い歯を覗かせながら中の液体を零す。
「な、な、な、なななっ。なんてことをっ……! は、早くここから逃げないと……!」
「待ってくれ。頼むから、今のは見なかったことにしてくれないか」
「そ、そ、それはどういうことですか……?」
「こういうことだ」
「もがっ!?」
接吻するかのように研究員の口に噛り付く杜崎教授。
「も、もぎゃっ、もぎゃあああぁっ……!」
「らいじょうぶ……ぷはっ、大丈夫だ、君は心身のショックのあまり、反射性失神によってすぐに気絶し、そこで意識とともに痛みは途絶える。普段はスレイヤーしか食べないんだが、仕方ない。僕に食べられて神の生贄となることを、栄誉に思いたまえ。もう聞こえてはいないだろうが……クチャクチャッ……ゴリッ……」
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