第45話 【8年7ヶ月後】祝福





我が名はアルジャンテ。

車体番号AL48010、防犯登録番号9900801の日本国製軽快車である。


人間は私たち軽快車を総称して「チャリ」と呼ぶ。「軽快車」という名称を知る者は、この国には少ない。

けれどどんな名を与えられようと、私たちの仕事の流儀は変わらない。荷物を積載し、人々を軽快に目的地に連れていく。それこそが、私たちの使命だ。


しかし、私に関しては日本製軽快車……「だった」と言うのが正しいかもしれない。今の私は、一般的に流通している軽快車とは一線を画した存在になってしまった。

身体の色は変わらず銀色argentéだが……私はある日を境に、軽快車以上の存在に生まれ変わったのだ。


きっかけは私の戦友とも——狩野田宰だ。人間のなかでも特に優秀な能力と気高き魂を宿す彼は、出会った当初から私とこゝろを通じ合わせることができた。軽快車と通じ合える人間は少ない。


——System all green……。


そう唱えて、彼は私に乗車ライドオンした。それが出会いだった。


私は、背中から感じる波動の純潔さに驚いたものだ。この男は「違う」のだと、すぐに理解した。


私と宰は、大阪東京間の550キロを、24時間で走破した。私たちは相性が良かった。スーパーアルファの放つ波動は、私の身体に馴染み、本来持っている以上の能力を発揮させてくれた。


宰のやんちゃ加減には、さすがの私も「やれやれ」と肩をすくめたが、私は彼の真っ直ぐさが嫌いではなかった。そして彼が名付けてくれた「アルジャンテ」という名前も、私は深く気に入っていた。それ以来、私と宰は唯一無二の戦友(とも)として日々をともにしている。


しかし宰は、どうにも情熱を燃やしすぎるきらいがあった。特に彼の運命のワイフ——航ちゃんが絡むともう止められない。

私も彼の期待には応えようと努力してきたが、所詮メーカーの量産品でしかない私の身体は、出会いから五年ほどでガタが来てしまった。


——すまない、戦友ともよ。もう私はまともに走れないかもしれない。


覚悟を決めてそう告げると、宰は「アルジャンテ、何も心配要らないよ」と頼もしく微笑んでくれた。宰は立派な男になっていた。私は喜びに震え、ひっそりとライトを明滅させた。


宰とともに大阪に帰ったあと、私はある手術オペを受けることになった。執刀医は宰だった。彼は不安がる私に言った。


「アルジャンテ。次に目が覚めたとき、君はまったく新しい自転車に生まれ変わっている」


まばゆい光を照射された後の記憶は曖昧だ。次に私が気付いたときには、宰の宣言どおり、私は単なる軽快車ではなくなっていた。

アルジャンテという魂を残したまま、あらゆるパーツが最高級かつ高性能のものにすげ替えられていたのである。私の身体には、これまでにない力が漲っていた。


——私に何をしたのだ、戦友ともよ。


戸惑う私に、宰は静かに微笑んだだけで、詳細を語らなかった。ここからは私の予想でしかないが——努力家の宰は、軽快車のメンテナンスのいろはを一から学び、私を一から組成したのだと思う。大枚を叩き、最高のパーツを集めてくれた。私は彼の友情にうち震え、真新しいギヤクランクを鳴らして感謝を述べた。


私はNEOアルジャンテとなった。


軽快車の平均時速は十二キロから十九キロと言われているが、NEOモードに生まれ変わった私は、宰という翼を得ることにより、最速六十キロで風を切ることができる。


ほかの軽快車たちは、全力で走る私たちに対して、畏れにも見た妬みの視線を向けてくる。仲間とは違う高みへと昇ってしまった苦悩はあるが、私は自身の生き方に誇りを感じていた。なによりも、理解者である宰のために尽くしたいという気持ちが、一番強かった。


そして今日、戦友ともは人生で最良の日を迎える。






◆◆◆






「自転車の搬入は困ります」という式場スタッフの反対を押し切り、私を教会まで連れてきてくれたのは、宰のご家族である狩野田家の面子だった。


戦友ともの家族は理解があった。

「アルジャンテは親族席に座らせます」の一点ばりでスタッフを圧倒し、最終的に私が列席する許可を得てしまった。スタッフは「この子は新郎の戦友ともですので」と言い張る狩野田家に青ざめていたが、背に腹は代えられない。私とて、宰の晴れ姿をこの目で見たかった。


「今日くらいはおめかししないとね」とウインクをして、宰の母は私の首に白いタイを結んでくれた。前輪が引き締まるような心地だった。私は狩野田家の面子に混じり、最前列の端に立たせてもらった。

当然のことながら、結婚式に出るのは初めてだった。私は緊張して、ステム部分をキュイキュイ言わせてみる。


式の開始時間が迫り、教会のなかにはひとりまた一人と人々がやってきた。珍しくバッチリと決めた風間氏と工藤氏も、談笑しながら入ってくる。私が人間ならば「おーい」と手を振っているところだ。


風間氏は私をひと目見た瞬間爆笑し、かつての私の持ち主であった工藤氏は、苦笑いを浮かべていた。

「あいつこんな日までイッちゃってんな」と風間氏が笑うのを、狩野田家の面々は穏やかな微笑みで眺めていた。どうやら彼らも、宰と同じく、嫌味や悪口への感度が極端に低いらしい。


続いて、葉竹家の一同が会場へ入ってくる。陽介氏は私のことを虫ケラを見るような目で見ていた。彼はなかなかとっつきにくい男だ。


一方、航ちゃんの父である明彦氏は、すでにびしょびしょに泣いていた。彼は航ちゃんから、「バージンロードは一人で歩くからいい」とすげなく断られたのだ。


ついでに明彦氏は、先日航ちゃんに直接「航ちゃんは本当にまだバージンなのかな?」と尋ねて、大層怒りを買ったらしい。

かつて明彦氏の戦友ともであるMrs.ラヴィと話す機会があったが、彼女は「あっくんは愛が深すぎるのよね」と茶目っ気たっぷりに笑っていた。彼女がとても蠱惑的な原動機付自転車だったことを思い出し、私は小さく息を吐く。


会場は両家の親戚と友人で満席となった。

九割の人間が、私を怪訝そうな目で見ては首を傾げている。小声で「宰くんだから仕方ない」と聞こえてくるあたりに、戦友ともの人望の厚さを感じさせる。風間氏はまだひいひいと笑っていた。


「ただいまより、狩野田宰、葉竹航太の挙式を執り行います」


スタッフの声が響き、欧米人の牧師が祭壇の前に立つ。突如としてオルガンが鳴り響き、二階からは聖歌隊の歌が降ってきた。


宰も航ちゃんも、こういった宗派には属していなかったはずだが。


私は疑問に小首を傾げたが、すぐにひとり頷いて納得した。あれこれ決まりで縛りつけるのは良くない。人間は、何事もファジーな方が生きやすいのだと思う。


厳かな歌が最高潮に盛り上がったところで、入口の扉が開いた。純白のタキシードに身を包んだ戦友ともが、誇らしげにそこに立っている。胸には誰の差し金か、君影草スズランのコサージュが差されていた。


周りから冷やかしを受けながら、宰は颯爽と前へ進む。祭壇の前へ着いたあたりで、狩野田家の面子が「よっ! 日本一! 狩野田家の誇りっ!」「いいわよぉ、宰っ!」「盛れてる盛れてる!」と声を掛けた。スタッフたちの困り果てた表情で、それが本来行われるべきではない声掛けであることを、私は学ぶ。


続いて、航ちゃんが入場してきた。

宰と揃いのタキシードと、同じく白いコサージュ。顔中に「恥ずかしい」と書かれた航ちゃんは仏頂面で、扉が開いたその瞬間からせかせかと歩き出した。情緒も何もない、緊張し切ったその様子に、会場から忍び笑いが漏れる。


航ちゃん。


戦友ともの唇が動き、航ちゃんの手を取った。航ちゃんがどこかほっとしたように息を吐いたのを見て、私は微笑ましい気持ちになる。


明彦氏は「やっぱりいやだあああ」とむせび泣き、奥さんに「やめてよ恥ずかしい」となだめられていた。陽介氏はその横で、必死に涙を堪えている。スタッフたちは、相変わらず笑顔を失っていた。


牧師のカタコトな説法が行われる間、狩野田家の面子は物々しい機材を使ってふたりの晴れ姿を撮影していた。カシャカシャカシャカシャとシャッター音が忙しなく鳴り響く。宰は爽やかに微笑んでいたが、航ちゃんは死んだ魚の目をしていた。


牧師がふたりを見つめて、何かを尋ねた。

やめるときも、すこやかなるときも。

私がその意味を理解する前に、宰は「誓います!」とはきはきと答えた。続いて航ちゃんも、小さく「誓います」と囁く。

かつて戦友ともが読んで聞かせてくれた少女漫画にも、こんな場面があったように思う。


ふたりは指輪を交換した。

これまでたびたび着けていた指輪だが、この日のためにきちんと磨き直したのだと、宰が言っていた。 宰はスムーズに嵌めてみせたが、緊張し切った航ちゃんはなかなか宰に指輪を嵌められず、会場の笑いを誘った。風間氏はまだ笑っていた。


「それでは、誓いのキスを」


その言葉が告げられた瞬間、明彦氏はくびられた鶏のごとき悲鳴を上げた。しかしもはやだれも、彼を案じようとはしなかった。結婚式というのはなかなか非情なイベントなのかもしれない。


ふたりがゆっくりと向き合う。へらへらと宰がだらしなく頬を緩めたのを見て、航ちゃんは困ったように笑った。


宰は知っているだろうか。

航ちゃんは心から幸福を感じているとき、困ったように笑うということを。


航ちゃんは知っているだろうか。

宰は航ちゃんの困ったような笑い方が、とびきり好きなのだということを。


ふたりの唇が重なった瞬間、会場は一気に沸いた。







私が予想していた以上に、式はあっという間に終わった。


私は領子氏の手を借り、一足先に教会の外でふたりを待つ。しばらく時間が経ったあと、宰と航ちゃんは腕を組んで現れた。


階段を降りてくる彼らに、参列者が容赦なく白い花びらをぶつけている。これはどういう儀式なのだろうか。


花びらをぶつけるすべを持たない私は、ふたりが目の前を通り過ぎていくのを、黙って見つめていた。


私の声は、純潔な身体とこゝろを持った者でなければ聞こえない。宰は近いうちに、私とは対話できなくなるだろう。


彼は航ちゃんとつがいになる。

ずっとずっと、このときを待っていたのだ。


私と話せなくなったら、戦友ともは悲しむかもしれない。しかし、これでいいのだ。宰は最良の伴侶を得た。航ちゃんは私との対話を拒むが、彼が清らかな魂を持つ者であることは分かる。 


たとえ声が届かなくなっても、私は戦友ともの足となり、軽快に彼を運んでみせよう。


——ふたりとも、おめでとう。


精一杯背中を伸ばして声を掛けると、なぜか航ちゃんの方が私の方を見た。それから彼は、不思議そうに首を傾げ、視線を前に戻す。航ちゃんの隣では、目尻の下がり切った宰が、この上なく幸せそうに笑っていた。


私の前カゴに、白い花びらが一枚、また一枚と積もっていく。誰もが彼らの幸福を願っていた。私にはそれが分かる。ふたりの幸せも、この花びらのように、ささやかに、それでいて着実に積もり重なっていけばいいと思う。


本音をいえば、私は喜びにベルをかき鳴らしたい気分だった。しかし私は軽快車だ。自分の力だけでは、ベルは鳴らせない。


遠くなる宰の背中に向かって、私はもう一度声をかける。


これが最後になるかもしれない。

この声は届かないかもしれない。


それでも構わなかった。


——戦友ともよ、幸せになれ。


これが私からの、祝福の言葉だ。




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