第37話 【4年5ヶ月後】交渉人〜ネゴシエイター〜





狩野田宰は、一世一代の大勝負に出ようとしていた。 



航太の父兄に愛の軌跡を語ってからというもの、宰たちの周りには、常に明彦と陽介の影があった。

宰は「最近よく見かけるなぁ」くらいの認識でしかなかったが、航太はふたりに出くわすたびか細い悲鳴を上げ、日に日にやつれて行っているように見えた。


葉竹家が宰と航太の交際に反対している、というのは以前から聞いていたが、宰としては「誠実な態度でいればそのうち分かってもらえる」という能天気な展望を持っていた。


しかし父兄との遭遇の頻度が上がるにつれ、宰も徐々に不満を抱くようになった。


航太となかなか二人きりになれないのである。


前までなら、互いの部屋を気軽に行き来できていたが、今は何かと邪魔が入ってしまう。

二人で出かけた先々にも、明彦と陽介はどこからともなく現れる。


一度、宰が「おふたりとも、お仕事どうされてるんですか?」と純粋な疑問を投げかけたことがあったが、射殺さんばかりに睨まれて終わった。航太はその横で、深いため息をついていた。


本音を言えば、宰は航太とイチャイチャしたかった。せっかく良い雰囲気になったあの日から、まともにキスもできていない。


宰としては、この状況を打破するため、明彦と陽介からの干渉をなんとか食い止めたかった。つまりは葉竹家のふたりに、交際を認めてもらう必要があった。


風間の助言を受け、宰はある計画を立てていた。


「父さんと陽介を呼んでほしい?」

「そう。ふたりにどうしても話しておきたいことがあるんだ」

「…………」


職場からの帰り道、たまたまふたりになることができた隙を見計らって、宰は航太に頼んだ。航太はそれに対して、あからさまに顔をしかめてみせる。


「嫌な予感しかしないんだけど」

「大丈夫。僕を信じてほしい」

「信じた結果、とんでもないことになったじゃん」


宰の思う「常識」を信用できなくなっていた航太は、頑なだった。これ以上事態が悪化したら困る、と航太がきっぱりと断ろうとしたとき、宰が突然立ち止まる。


そして突然航太の両手を取ると、真剣な眼差しで言いつのった。


「航ちゃん、大丈夫だ。僕には考えがある。必ずふたりを説得してみせる」

「どうやって?」

「……航ちゃんには、まだ言えない」

「えぇ?」

「お父さんとお兄さんと……三人だけで話がしたい」


航太は驚き、言葉に詰まる。宰の瞳には必死さが見て取れた。しかし、航太なしで話し合うとは、一体何をするつもりなのか。

航太が疑問を投げかける前に、宰は強く手を握り直した。


「僕は、航ちゃんとの将来を真剣に考えている」

「…………」

「だから、どうしてもふたりを説得したい。いや、説得しないといけないんだ」

「……わ、分かるけど」

「航ちゃん」

「う」


顔を近づけられ懇願された結果、航太は折れた。本人に伝えたことはないが、航太は宰の顔のアップにとことん弱かった。


航太は渋々父と兄に連絡を取り、宰から大事な話があるのだと伝えた。明彦と陽介からの返信は早かった。ふたりの答えは、同じ。


——望むところだ。


航太は脱力しながらも、淡々と日取りを決めてやり、あとは放置することにした。

好きにやってくれ。

そんな自暴自棄な気分だった。



かくして三人のアルファは、再び宰の住む部屋に集うことになったのである。





◆◆◆





その日、すべての準備を整えた宰は、卸したてのスーツを身に着けて明彦と陽介を出迎えた。ふたりは、ビシッと決めた宰を一瞥し、鼻で笑う。そしてぞんざいな態度のままリビングへ向かうと、並んでソファに腰をかけた。宰がテーブルを挟んで、その正面の床に正座する。


痛いほどに張り詰めた空気のなか、一番に口を開いたのは明彦だった。


「……それで、狩野田くん」

「はい」

「航ちゃんと別れる気になったかね」

「いいえ」


即座に首を横に振った宰に、明彦が苛々と続ける。


「どんな手を使って航ちゃんを洗脳したか知らないが……君のような粘着質な狂人に航ちゃんをやるわけにはいかないな」

「なんと言われても、僕は航ちゃんと別れるつもりはありません。一生かけて守り抜く覚悟です」

「いい加減にしろ!!」


明彦は強くテーブルを叩く。

四年もの間、愛する息子が気の触れたアルファに付き纏われていたという事実に、明彦は激しい怒りを燃やしていた。


「航ちゃんにはもっとふさわしい相手がいる! もっと、こう……私に似た、いい感じのアルファと幸せになるんだ!!」

「お父さんに似た?」

「そうだ、航ちゃんは昔、パパみたいなアルファと結婚するのだと……そう言っていたんだ!」

「そ、そうだったんですか……!」

「いや、言ったことなくね?」


陽介はにやにやと口元を歪ませて呟いたあと、宰を見据えたまま脚を組んだ。表面上は笑顔ではあったが、その瞳は少しも緩んでいなかった。


「俺としてはさ、すぐそばに住んでるくせに、発情期ヒートの恋人を放っておくような男を航太の近くに置いとくのは嫌なわけ」

「お兄さん……」

「航太だってしつこく言い寄られて根負けしただけだと思うんだよね。あいつ、押しに弱いし」

「…………」

「とりあえず、うちの家族が君を認めることは絶対にないから」


うつむき押し黙った宰に、陽介はまたほくそ笑む。宰がいくら航太を想おうが、陽介には関係のないことだった。

航太が明彦と陽介たちの姿を見つけるたびに悲鳴を上げるのは心苦しかったが、ありとあらゆるストーカー行為を働く宰を野放しにはしておけなかった。


根気強くふたりの邪魔をしていれば、その煩わしさにいずれどちらかが折れる。明彦と陽介の浅はかな企みはそれだった。そして彼らは純粋に、航太がストーカーと二人きりになるというシチュエーションが耐えられなかった。


葉竹家のアルファたちの視線を浴びながら、宰はしばらく口を閉ざす。しかし彼は、突然顔を上げ、ふたりを見た。

それは曇りなき眼差しであった。


「見ていただきたいものがあります」


はっきりとした口調でそういうと、宰は一旦その場を離れると、奥の部屋からジュラルミンケースを手に持ってきた。困惑するふたりのアルファに微笑みかけながら、宰は銀色に輝くケースをテーブルの上に置く。


アルミ合金の重厚な重みに天板が軋んだ。宰は留め金に手をやると、勿体ぶるような緩慢さでバチン、とそれを外した。


そして蓋を開いた瞬間、明彦と陽介は息を飲んだ。宰は満足げに口の端を上げると、ひっそりと告げた。


「僕が秘密裏に作成した、航ちゃんグッズです」


そこには、航太に摘発された後も、宰が隠れて密造したグッズがきれいに収められていた。


キーホルダーとストラップはもとより、缶バッチにスマホリング、ステッカーや定期ケースに至るまで。すべてのグッズに、さまざまな航太の写真が埋め込まれている。このときばかりは宰も、スマホケースを自慢するのはやめておいた。


以前ふたりに愛の軌跡を語ったとき、宰はグッズの存在については触れていなかった。単純に言い忘れただけだったが、それが功を奏した。明彦と陽介は絶句し、いまやケース内で燦然と輝くグッズに目を奪われている。


これが風間発案による、「目配り気配り、物配り」作戦であった。


風間の考えはこうだった。

話を聞く限り、葉竹家のアルファたちは、宰に負けず劣らず、航太を溺愛している。しかし家族であるがゆえに、宰ほど振り切った行動を取ることができない。ふたりの仲を邪魔すると言いながら、遠くから見張るだけに甘んじているのがその証拠だ。 


物で釣れ。


風間の指示はそれだった。

航太を愛するアルファたちは、必ずや宰の作った狂気のグッズに心を奪われる。なぜなら彼らは、理性と常識が邪魔をしてそれらのグッズを作ったりはしないからだ。しかし物を見れば欲しくなる。彼らは、航太の肉親であると同時に、強火のファンだからだ。


そして結果として、効果は抜群であった。

スーパーアルファの目利きによって作成されたグッズは、見事に明彦と陽介の心を捉えたのだ。


「か、狩野田くん、君は、なんて物を……」


明彦は掠れた声でそう言うと、グッズへと手を伸ばそうとした。しかし非情にも、宰はすぐさま蓋を閉じる。彼は愛のために、心を鬼にしていた。


「ああっ! か、狩野田くん……!」

「ひとつお好きなものを差し上げても構いません」

「なんだと……っ!?」

「しかし、タダで、とはいきません」


宰はきっ、と顔を上げると、動揺に震える明彦を見据えて言った。


「差し上げる代わりに、航ちゃんとの交際を認めていただきます」

「…………!」


これは交渉だった。

幸い、宰はグッズを多数所有しているため、明彦たちに譲ってもなんら問題はない。ただ、どうしても交際を認めてほしかった。そしてどこからともなく現れるのをやめてほしい。つまりは、航太とのイチャイチャの時間がほしかった。


「な、なんと卑怯な……」


明彦は血の気の引いた唇をわななかせ、顔を覆った。陽介は必死に平静を装おうとしていたが、うまくいかなかった。


彼らもこれまで、航太のグッズ作成を幾度となく夢見てきた。しかし、ばれたら航太に嫌われてしまうかもしれない。その想いが、いつも足かせとなっていた。


宰はそれをやすやすと超え、数多のグッズを生み出している。葉竹家のアルファたちは、ある種の敗北感を覚えていた。


「もう一度見せて差し上げましょう」

「くっ……!」

「卑怯だぞ、狩野田くん」


宰は良心と罪悪感を押し殺し、蓋を素早く開閉した。チラッチラッと見せつけられるお宝に、目の前のふたりが呻く。宰もふたりの気持ちが痛いほどわかったが、ここで退くわけにはいかなかった。


「……これのほかに、衣類関係も取り揃えています」

「衣類……?」

「パーカーとトレーナー、Tシャツ、そしてキャップ……」

「なんだって……」


明彦と陽介は驚愕した。

今見た以外にも、まだバリエーションがあるという事実が、ふたりの胸を激しく揺さぶった。


「ちなみに今は、マフラータオルも発注しています」

「こ、航ちゃんを首に巻けるというのか……!?」

「しかもマフラーをしている航ちゃんをプリントしております」

「マフラーをしている、航太を……」

「や、やめろぉ……っ!」


明彦は上体を前に倒して嘆いた。

聞けば聞くほど欲しくなるラインナップだった。宰はそれらのうち、好きなものを譲ってくれるという。あまりにも魅力的な誘いに、明彦は宰の要求を飲んでしまいそうになる。


しかしそこで明彦はぐっと堪えた。

彼にもまた信念と矜恃があった。


「……悪いが、それでも、認めるわけには、いかない……」


明彦には心の師がいた。

そしてその師の教えをもとに、明彦は宰の揺さぶりを跳ね退けようとした。


「『大切なひとを守る……、それが、アルファの、いや、男としての役目』……」


与えられた教えを小さく口にして、明彦はきつく唇を噛んだ。確かにグッズは欲しい。喉から手が出るほどに。しかしこの男だけは……明彦がそう思ったときだった。


「……待ってください、お父さん」


宰が切羽詰まった声で、明彦を呼んだ。


「……なんだ」

「それは……十六巻の百七十八ページの台詞では……?」

「なに!?」


明彦は目を見開き、勢いよく立ち上がった。握られた拳は小刻みに震えている。おそろしいものに出くわしてしまったかのように、その顔は一気に青ざめていた。


尋常ならざるその様子に、陽介が「父さん?」と声を掛けたが、明彦はそれには答えず、宰を見据える。宰もまた、驚愕の表情を浮かべていた。


宰と明彦の視線が絡む。


まさか、目の前のこの男も「そう」なのか——?


彼らの胸には、同じ疑問が浮かんでいた。


それを確かめるため、明彦は宰にある問いを投げかけた。


「……八巻、九十七ページ……、三コマ目」

「……『僕なら、想いも交わしてないのに、キッスなんてできないね』」

「……十八巻四十九ページ、見開きのあの台詞……」

「『正式につがいになるのは結婚してからにしたいと思っています。それが、僕なりの誠意の証です』」

「くっ、君は……!」


明彦は両手で顔を覆った。

その声には抑えきれない苦悩が滲んでいる。

父さん、と陽介が身体を揺すり——しばらくの沈黙の後、明彦は顔を上げた。


「……狩野田くん」

「はい」

「君にも、理解わかるのか……? 相良先生の教えが……」

「ええ、刻み込まれています。……ここに」


そっと告げながら、宰は目を伏せ、自らの胸に手を当てた。


明彦は混乱と喜びのなかにいた。

彼もまた、純真なこゝろを持つ男だった。


少女漫画を人生の指針にするなんて、と周囲から鼻先で笑われながらも、相良先生の教えを長年胸に宿してきた。だからこそ、突然の同志の出現は衝撃であった。しかも今の今まで、敵として認識していた男が。


明彦ももう一度、宰を見た。

真新しいスーツを着込んだ、端正な顔の青年がそこにいる。明彦が誰よりも尊敬する相良先生の魂を理解し、その身に宿している男だ。そんな男が、明彦が世界一大切に想う、航太を愛しているのだという。一生かけて守りぬくと、そう誓っている。


明彦は視線を足元に投げかけると、自らを嘲るように言った。


「……昨日の敵は、今日の友、か……」

「父さん……?」

「狩野田くん、私は君を、誤解していたのかもしれない……」


小さくそう言うと、明彦は宰に向かって静かに手を差し伸べた。宰は柔らかに微笑み頷くと、そっとその手を握り返す。


同志に、言葉は要らなかった。


「航ちゃんとの、交際を、認めよう……」

「……ありがとうございます、お父さん」


「それではこちらがお約束のグッズになります」と宰がケースの蓋を開けようとした瞬間、陽介が立ち上がり声を荒げた。


「父さん、何を勝手なことしてんだよ!」

「陽介、分からないのか……狩野田くんもまた、私と同じ魂を持つ者だと……」

「父さんと同じならますますやばいだろ」

「なにっ!」


純粋な驚きを見せる明彦は無視して、陽介はきつく宰を睨みつけた。得意げに微笑んでいるのがさらに陽介の怒りを加速させる。


「俺は認めない。こ、こんなアホみたいなグッズを餌に……!」

「お兄さんには、特別なものをご用意しております」

「は?」


これもあらかじめ風間が予想していたことであった。航太からかねがね聞いていた話で総合的に判断し、風間は陽介を隠れブラコンだと睨んでいた。隠れているぶん、その執着は深い。それであれば、より的確に欲求をそそるものをぶつけた方が良い。


宰はその助言を受け、陽介専用にグッズを製作していた。


「こちらです」

「……なんだこれ」


陽介に差し出したのは、掌サイズのマスコットだった。柔らかな人型のそれの顔部分には、真顔の航太の写真がプリントアウトされている。不気味なその造形に、陽介は怯んだが、宰は静かに微笑むと、マスコットの部分を押してみせた。


『お、にい、ちゃ、ん』

「!?」

「航ちゃんの声を合成したものです」

「な、なんだと……」

「僕は以前、音声編集ソフトも少したしなんでおりまして……」


良かったらどうぞ、と宰からマスコットを手渡され、陽介は無意識のうちに受け取ってしまった。おそるおそるもう一度腹を押すと、間違いなく航太の声が陽介を呼んでいた。


おにいちゃん。

数年ぶりの呼び方だった。


そう、幼い頃、航太は、お兄ちゃんと呼んでくれていた。いつも自分の後ろをトテトテと走り、「おにいちゃんだいすき」と言ってくれた。それがいつしか、「陽介」としか呼ばれなくなって——。


「くっ……!」


これを手放すことはできない。陽介は目をきつく閉じた。その様子をにこにこと見つめる宰を、心底憎らしく思う。しかし、陽介がこの交渉に屈したことは事実だった。


ちっ、と舌打ちをしてから、陽介はぼそぼそと告げる。


「……祝福はしないぞ」

「お兄さん……!」

「あとお兄さんって呼ぶな」

「分かりました、陽介さん……!」

「狩野田くん、んん、衣類、というのも見せてもらおうか」

「はい!もちろんです!」


その後、三人のアルファによるグッズ選びは、大いに盛り上がったのだった。





翌日、宰から事の次第を聞いた航太は、宰の部屋に隠されたグッズを回収し、すべてゴミに出したという。





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