第34話 【4年1ヶ月後】うなじ



航太の言葉に、宰はしばし固まった。

話したいこと。

最悪の結果が宰の頭に過ぎる。


航太は真剣に、そしてどこか挑むような目で宰を見つめていた。自分が贈ったマフラー——青地に控えめなチェック柄が入ったカシミヤのものだ——を使ってくれていることを嬉しく思う反面、宰は初めて航太がこわいと思った。 


何を言われるか分からないのが、こわい。


「……とりあえず、入る?」


「話し合い」を先延ばしにしたい一心で、宰は引きつった笑みを向けた。それでも航太は動こうとしない。数日ぶりに見た航太は、マフラーにあごが埋まっていることも相まって、飛び抜けてかわいらしく見えた。


——やっぱりこのマフラーにして正解だった。


宰は痺れるように思った。実はこのマフラー選びにあたり、手先の器用な宰は、航太の胸から上を象った等身大の塑像を作り上げていた。そしてその塑像を百貨店に持ち込み「彼に似合うものを」と最高にフィットするマフラーを販売員に見繕ってもらったのだ。ちなみにその塑像は、航太に見つかる前に狩野田家に送付済みである。


宰が恋人とマフラーの融合コラボレーションに陶然としている間にも、航太は絶えず宰に視線を送り続けていた。そしてそのまま、静かに言った。


「……上がらない」

「えっ」

「ここでいい」

「でも、寒いし……」


航太の言葉に、宰の心臓は嫌な音を立て始めた。これまで、二人きりでいたときにこんな空気になったことはなかった。こんな、話すのも躊躇われるような、重い空気には。


航太は頑なにその場に立ったまま、白い息を吐いた。


「……さっきの質問、答えてもらってない」

「さっきの?」

「なんで返信してくれないの」

「あ、えっと……」


ドアを開けっぱなしにしているせいで、冷たい風が部屋のなかに入り込んでいるというのに、宰はじわりと汗をかくのを感じていた。


——別れ話をされたらどうしよう、と思ったら怖くて返せませんでした。


正直にそう答えてしまったら、話がスムーズにそちらの方向へ向かいそうで、宰は嘘をついた。


「い、忙しくて……」

「…………」

「あっ、すみません今の嘘です」


そして彼は秒で嘘を撤回した。愛しいひとに見つめられたまま嘘をつけるほど、彼は不誠実な人間ではなかった。


「じゃあなんで?」

「そ、それは……」

「この前の土曜から、ずっとじゃん」

「そうですね……」


宰はもう航太の目を見ていられなかった。これはまずい流れが来ている。宰は戦々恐々としていた。掌にじわじわと汗が滲み、彼は完全にパニック状態に陥った。


航太はしばらく黙ったあと、ぽつりと呟く。


「……謝らせてもくれないの」

「え?」


思わず顔を見返すと、航太の瞳は不安げに揺れていた。


「この前、宰がせっかく来てくれたのに、おれ、最悪だったじゃん」

「えぇっ! 航ちゃんはいつだってピカイチだよ!」

「そうじゃなくてさ」


航太は困ったように唇を尖らせた。宰はそのかわいらしさにまた感動する。恋人の言葉は続いた。


「……ごめんって言いたいのに、そんな、無視とかされるとさ」

「…………」

「嫌われたかと思うじゃん」

「それは絶対ないですね」


宰はまたもや秒で答えた。たとえ嫉妬の業火に灼かれようとも、彼の航太への愛は本物だった。前髪の鬱陶しいアルファへ複雑な思いは抱えていたものの、航太を厭うような感情はこれっぽっちも持ち合わせていない。


宰の答えに、航太は戸惑うように視線をさまよわせる。


「じゃあなんで?」

「そ、それは……」


前述したとおり、宰はパニック状態にあった。嘘はつけない。ただ、あのアルファの存在は気になる。けれど航太を責めるような言葉は吐きたくない。


航太の視線に晒されながら頭を回転させた結果、宰は思いついたままに口を動かしていた。


「航ちゃんは」

「うん」

「航ちゃんは、僕じゃなくて、ほかにもっと……付き合いやすい人が、いるんじゃないかって」

「……は?」

「そう思ってしまって……」


航太が息を飲み、目を見開く。その様子を見て宰はすぐさま「あっ、これ違うな!」と思ったが、覆水は盆には帰らなかった。


「何それ」


航太の声は震えていた。それが寒さのせいではないと宰が気付いたときには遅かった。航太はきつく唇を噛むと、赤くなりかけた目で宰を睨みつける。


「こ、航ちゃん」

「……このばか! あほ! まぬけ!」

「えっ!」


罵倒の語彙力が極端に少ない航太の言葉に、宰はわずかながらダメージを受けた。しかし航太はそれには構わず声を荒げる。


「お前より付き合いやすい人間なんて死ぬほどたくさんいるよ!」

「そうなの!?」

「そうだよ! 人類のほとんどはお前より付き合いやすいんだよ!」

「本当に!?」


本気で驚く宰から視線を引き剥がし、航太は俯いた。北風が強く吹き、ちらついていた柔らかな雪が部屋のなかへ入り込む。


「それでも」と航太は低く続けた。


「……それでも、それが分かってても、それで良くて、お前と付き合ったんじゃん」

「……航ちゃん」

「もういい」


航太はそれだけ言い残すと、顔を伏せて立ち去って行った。宰は去りゆく航太に手を伸ばしかけ、それを途中でやめて、行き場のなくなった指をゆっくりと折りたたんだ。航太が階段を上っていく音が聞こえる。そして乱暴にドアが開く音と、閉まる音。


掴み損ねた。いや、掴まなかった。

宰は自分の意気地のなさを知った。


航太は泣き出しそうな顔をしていた。

また、傷つけてしまった。やはり自分は不甲斐ない人間だ、と顔を覆う。


宰には分からなかった。

あのアルファについて問いただすべきだったのか。それとも何も知らないふりをして、航太を受け入れるべきだったのか。どちらも彼には正しいとは思えなかった。


「先ズル」で得た知識や教えも、このときばかりは無力だった。相良先生なら間違わない。なぜなら彼はヒーローで——所詮、作られた二次元の住人だからだ。

宰は自分の心が萎えていくのを感じていた。


「…………」


彼はドアを閉めようとして、やめた。このまま部屋にはいられない。気落ちするだけだ。そう思ってダウンコートを着込み、いつかのように外へ出る。


今年一番の寒さが宰にまとわりついた。

彼はそれを甘んじて飲み込みながら、雪を眺めていた戦友ともへと近付く。


しかしその気高き銀色アルジャンテに手を掛けようとしたそのとき、戦友ともは宰を見据え、諭すように語りかけてきた。


——戦友ともよ、君はそれでいいのか?


「アルジャンテ……」


アンジャンテは航太の住む部屋を一瞥し、それからまた魂の相棒に目をやった。


——逃げてはいけない、宰。思い出せ、これまでの日々を……。


「…………」


戦友ともの真摯な語りかけに、宰は目が覚めた心持ちになった。

そう、忘れもしない。初めてこのアパートを目指したときの情熱と愛を。アルジャンテはすべてを見てきた。航太との出会い、そして愛を育んだ過程も、すべて。


どんなに険しい道でも、宰は航太を想い乗り越えてきた。進む先がいばらの道だとしても、航太への想いさえあれば、宰は痛みを痛みとも感じないだろう。


なぜなら彼は——スーパーアルファだからだ。


「……ありがとう、アルジャンテ」


あのアルファが誰かなんて関係ない。つい先ほど、航太が差し出してくれた言葉こそがすべてだ。宰はそう思った。

「人類のほとんどはお前より付き合いやすい」のくだりはいまいちよく分からなかったが、それでも航太は、自分の意思で宰の手を取ってくれたのだ。


「行ってくる」


——ああ、しっかりやるんだぞ。


その渋い声に頷いてみせると、宰は駆け出した。


持ち前の長い脚で階段を三段飛ばしに駆け上がり、何度も通った愛しいひとの部屋へ行き着く。宰はインターホンを押しかけたが、ドアがわずかに開いたままであることに気付き、すぐさまノブを掴み、引いた。


「航ちゃん!」

「えっ!」


航太は玄関を入ってすぐの廊下に、電気もつけず立ち尽くしていた。コートもマフラーも身に着けたままで、宰を見返す瞳は、薄闇のなかでかすかに濡れて光っている。


「な、なに!?」

「あっ、ごめん鍵空いてたから」

「こわ……勝手に入ってこないでよ……」


航太は目元をぬぐって電気をつけると、そのまま宰をじっと見つめた。なぜ来たのか分からない。顔にはそう書いてあった。


「航ちゃん」

「なに」

「さっきのは無しでお願いします」

「は?」


宰は強引に航太の両手を取ると、胸の前まで持ち上げ、強く握った。航太の手は冷え切っている。そのことにたまらない気持ちになって、宰は言った。


「僕は航ちゃんが好きです。何があっても、絶対好きです」

「な、なにいきなり……」


動揺する航太に向かって、宰は覚悟を決めて言い募る。


「……実はこの前の土曜日、航ちゃんの部屋から……、あ、アルファの男が、出てくるのを見たんだ」

「アルファの……」


航太は目をまたたかせ、「ああ」と漏らした。どうやら心当たりはあるらしい。見間違いではなかったことに宰の胸は痛んだが、そのまま言葉を続ける。


「何日もありがとう、って、航ちゃんが言ってるのを聞いて……」

「…………」

「それで、僕は……頭が真っ白になって、もしかしたら航ちゃんは、その、あの男と」

「してたんじゃないかって?」

「うっ、そうです……」


航太から具体的な言葉が出たことで、宰は再び眉を顰める。


——そうだよ。あのとき、一緒にいてもらったんだ。何日も。


そう言われても構わないと思った。たとえ航太がやむを得ず誰かと夜をともにしようと、自分の気持ちは変わらない。航太が選んでくれたという事実を大切にしようと決めた。


「でも僕は、何があっても、絶対航ちゃんのことが好きなので」

「…………」

「連絡を取らなかったのは、その、航ちゃんがもしかしたら、あの男に心を奪われちゃったりなんかして、別れ話を、切り出されるのではないかと……」

「…………」

「怖くなりまして……」


必死の表情を浮かべる宰に、航太はしばし呆気に取られたが、その後肩の力を抜いて「本当にばかだ」とため息まじりに言った。

宰は重ねて弁明する。


「ごめん、疑いたくはなかったんだけど、でもどうしても、あの日のことが頭から離れなくて、それで」

「兄貴だよ」

「……ん?」

「あれはおれの兄貴。陽介。横浜に住んでる」

「………………え?」


呆気に取られて放心する宰に、航太はゆっくりと言って聞かせた。


宰を部屋から追い出した日、前々から「航太の恋人を見たい」と言っていた陽介からたまたま連絡がきたこと。

発情期ヒートで体調が悪いと断ると、心配して様子を見に来てくれたこと。

航太の発情期ヒートが治まるまで面倒を見てくれていたこと。

陽介はすでにつがいがいて、航太の香りには影響を受けないこと。


「お兄さん……」

「そう」

「前髪の長い……」

「そう。美容師やってる」

「お兄さん……」


宰はすれ違いざまに、不敵に笑ってみせたアルファの姿を思い出していた。もしかしたら、あのとき航太の兄は、威嚇する宰を見て一瞬で航太との関係を見抜いたのかもしれない。お互いあまり友好的な態度とは言えなかったが——それでも航太の兄だと思うと、見方が変わった。


「今度会ったらきちんと挨拶しないと……!」

「絶対会わないでほしい」

「でも航ちゃん。やはり家族関係は良好に……、あれ、そういえば反対されてるって……」

「あー、もうそれも追々」


航太は疲れたようにため息を吐いた後、マフラーに顎を埋めたまま宰を睨みつけた。


「ていうか、おれのこと疑ってたんだ」

「ご、ごめん」

「まあ、その状況なら仕方ないかもしれないけど……」


そこまで言って、航太は突然黙り込んだ。

そして「ちょっと待ってて」と呟いて、航太は宰の手をほどくとそのまま部屋の奥へと消えていく。航太が戻ってきたとき、彼の両手にはチャック付きビニール袋がいくつも抱えられていた。不思議そうな表情を浮かべる宰に、航太は憮然と告げる。


「……まず、この前はごめん」

「え?」

「宰がアルファだから楽してるとか、そのほかにも色々、態度悪かったから」

「僕は全然気にしてないよ!」

「……宰のそういうところなんだよね」


何が「そういうところ」なのかの説明はないまま、航太は両手に抱えていたビニール袋を宰に見せてやった。 筆記用具にハンカチやポケットティッシュ、そして航太の写真入りTシャツ。それらが丁寧に密閉されている。


「ああ! 航ちゃん公式Tシャツ!」

「認めてないけど」

「こんなところに……って、あれ、これは……?」


よく見れば、それらはすべて宰のものだった。そういえばこんな物も持っていた、レベルの印象の薄いものばかりだが、どれも見覚えがある。航太を見れば、その顔はほんのりと赤く、バツが悪そうな表情を浮かべていた。


「……宰の」

「えっ」

発情期ヒートに入る前、宰の物が、欲しくなるから」

「航、ちゃん……」

「勝手に取ってた。ごめん」


言いづらそうに口にする航太の腕のなかには、かつて宰が送った和歌入り封筒も混じっていた。


宰のテンションはアゲアゲの爆アゲであった。夢にまで見た恋人の巣作りの痕跡が、そこにある。


航ちゃん! と衝動的に抱きつこうとしたそのとき、航太はじわじわと赤くなった顔を宰に向けた。困ったような、照れたような表情が、宰を窺う。


「あ、あのさ」

「…………」

「……宰が考えてるより、おれ、お前のこと好きだよ」

「ふぉ」


宰はあまりの事態に、目眩を覚えた。なんということだ。つい十分ほど前までは混乱と絶望に塗れていたというのに、今は最高のプレゼントを愛しいひとから贈られている。そして彼の喜びはまた別のところにもあった。


「航ちゃん……!」

「うん」

「実は僕も、航ちゃんから贈ってもらった衣類は全部真空パックにして保管してるんだ……!」

「えっ」


宰の目は輝いていた。最愛の恋人と自分の間にこんな共通点があったとは。一方の航太の目は、突如突きつけられた真実に濁り始めていた。


「分かるよ、よく分かる! 大切なものは密閉したいもんね!」

「…………」

「やっぱり僕たちは、運命のつがいなんだ……!」

「…………」


分かりやすくはしゃぐ宰とは対照的に、航太のテンションはだだ下がりだった。航太はショックを受けていた。まさか自分が宰と同じ行動をしていたとは。常識的だと思っていた自分の基準が揺らぐのを感じ、航太は「これ返す」とビニール袋の群れを宰の足元に置いてやった。


「なんで!?」

「……もういらない」

「はっ! そうだよね、航ちゃん安心して! 次からは僕の服をたくさん」

「いらない」

「え!?」


航太はどっと疲れを感じていた。

誤解だったとはいえ、一週間近く宰に振り回され、精神はだいぶ擦り減っていた。


「……今日はもう解散で」


航太は弱々しく言うと、宰に背を向けた。 


泣き出す前に宰が来てくれて良かった、と航太は思う。もうだめなんだと思ったけれど、彼は宰の顔を見た瞬間安心していた。これ以上ないほどに、航太の気が緩んだそのときだった。


「航ちゃん」


後ろから宰の腕が伸び、航太の身体を抱き込む。ぐっと引き寄せられて、航太はうろたえた。突然の出来事にも心臓は律儀に反応して、痛いくらいに音を立てている。驚きすぎて言葉も出ない。


こんなに強く抱き締められたことはない。そう思うほどに、宰の腕の力は強かった。宰の吐息を耳のすぐ後ろで感じ、航太は身震いする。くらくらするほどの甘い香り。発情期ヒートは終わったはずなのに、その期間よりもずっと、身体は熱を帯びた。


「マフラー、取っていい?」

「…………」


さっきまでのふざけた空気は鳴りを潜め、宰の声は切迫詰まったものに聞こえる。航太は少しだけ考えた後、小さく頷いた。


しっかりと巻いたマフラーが、宰の手によってほどかれる。誕生日に贈られた、手触りの良いそれ。床にマフラーが音もなく落ちるのと同時に、航太は宰の呼吸をより強く感じていた。


宰の眼前には、まっさらなうなじが晒されている。普段隠す必要のない箇所なのに、航太は宰がそこを見つめていることがひどく恥ずかしいことのように思えた。


「……ここに噛み跡が付いてたら、どうしようと思ってたんだ」


掠れた声で宰が囁く。宰はこんな声だっただろうか。見知らぬ男の腕のなかにいるようで、それでいて香りはこれが間違いなく宰だと知らせている。


「航ちゃん」

「うん」

「ここは、僕が噛みたい」

「……うん」

「誰にも噛ませないでほしい」


顔に血が集まるのを感じながら、航太は頷いた。全身がぞわぞわと落ち着かない。宰の性格からいって、今すぐ噛むわけではないとは分かっていたけれど、航太の胸は忙しなく跳ね続けていた。


「ふっ……」


うなじに柔らかな感触が当たる。それは何かをたしかめるように、そして慈しむように肌を這う。全身にぞくぞくと甘い痺れが走った。


身体に絡む腕の力が強くなって、航太は今度こそ泣き出しそうになった。


「つ、宰……」

「ん?」


なぜ自分が半泣きになっているのかも分からないままおそるおそる振り向けば、見たことのない色をした宰の瞳と目が合う。求められている、とはっきり分かった。こめかみのあたりが脈打って痛い。


うまく動かない頭と唇で、航太は言った。


「宰が、色々考えて、今はしないって考えてるの、分かるんだけど」

「うん」

「……付き合ってるのに、キスしかしないのは、寂しい」

「…………」


宰の瞳の色がまた変わった。

ぞくり、と航太が悪寒のようなものを感じるのとともに、宰の腕にまた力が込められる。


得体の知れない期待と恐怖に、航太が「苦しい」ともがくと、その拍子にふたりはバランスを崩した。航太を庇うように宰が手を伸ばすが、支えきれずにもつれ合って倒れ込む。

がたがたと大袈裟な物音がその場に響いた。


「…………」

「…………」


暖房の入らない廊下で、航太は宰に押し倒されたような体勢になっていた。足元には密閉されたビニール袋が散乱している。


宰の身体の重みに、航太はさらに混乱した。

お互い何も言わず、視線だけが絡む。


「……航ちゃん」


宰の顔がゆっくりと降りてくる。

航太はあわあわと狼狽しながらも、心を決めた。


——今日、おれたちは進んでしまうかもしれない。


そんな予感に身を固くしながら、航太はまぶたを閉じた。
















「航太ぁ、不用心だな」

「え」


聞き慣れた声に、航太は目を開き玄関先へ目を向けた。


「鍵、開いてたよ」


ドアは開け放たれ、背の高い細身の男がにやにやと若いふたりを見下ろしている。しかし男の瞳は、冬の冷気よりも凍っていた。


「陽介……」

「ごめん、ちょうど良いとこだったね」

「あ、あのときの……!」

「あー、やっぱり君だったんだぁ。航太のコイビト」


陽介は「めちゃくちゃ威嚇してきたもんなぁ」と歌うように言った。絶妙な体勢のまま固まる宰にひらひらと手を振ると、陽介はおもむろにコートからスマホを取り出す。そしてふんふんと鼻歌を鳴らしながら画面を操作し、耳に当てた。


航太は嫌な予感がしていた。

長年の経験から、陽介が何をする気なのか薄々分かってしまう。


「よ、陽介、ちょっと……」

「あー、もしもし。父さん?」

「ひぃ」


宰にマウントポジションをとられながら、航太は小さく声を上げる。それはだめだ。よりによって、その人に電話をかけたら。


「うん、そうそう、今航太の部屋来てるんだけど」

「よ、陽介……!」


陽介は、ふたりに視線を遣ると、底意地の悪い笑みを浮かべた。




「航太、今ね、アルファの男に押し倒されてるよ」




電話越しに響く航太の父の悲鳴は、その場にいた全員の耳に伝わったという。









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