第30話 【4年後】惚気
社会に出てからの時の流れは早い。
帰省から戻るなり「皆祝福してくれた」と嬉しそうに報告してきた宰に、航太は「めちゃくちゃ反対された」と言い出せずにいた。
そして彼らは、出会って四年目を迎えた。
「ということで、単行本発売を祝しまして乾杯〜!」
「Cheers!」
シラフでありながら既に上機嫌の風間の音頭で、四つのビールジョッキがぶつかった。
宰と航太、そして風間と、ちゃっかり実家のある東京で研修医生活を始めた工藤の面子。
奇妙な四人の関係は細々と続いていた。
風間はじろりと宰を睨みつけると、低い声で言う。
「おい狩野田。乾杯っつってんだろ、空気読め」
「はは、失敬失敬」
「相変わらず腹立つな。まあいいや、はいコレ」
風間は気を取り直し、傍らに積んでいた単行本を三人に配り始めた。表紙にはキラキラと光のまぶされた女子高生が、刺青の入った男と寄り添うイラストが描かれている。
航太はおしゃれな細文字で書かれたタイトルをぼそりと読み上げた。
「『ヤのつく旦那さま♂は泣き虫ぼうや』……」
「タイトルからして名作の予感がするだろうが」
風間は誇らしげに胸を張る。
風間のつがいであるアルファ——吉川さんは、まさかの少女漫画家だった。
この春にやっと連載を掴み、単行本発売まで漕ぎ着けたことで風間は鼻高々である。少女漫画好きの宰は目を輝かせ、工藤は困惑の表情を浮かべていた。
風間は腕を組み、三人を見据えて告げる。
「これを読んでファンレターを書け。そして出版社に送れ。ひとり最低十通な」
「風間、お前さぁ……」
「分かったよ風間くん! 僕には分かる、これは大ヒットする……!」
「よし狩野田、お前変な奴だが見る目はある」
なぜか波長の合っている二人を、航太と工藤は呆れたように見つめた。単行本の裏表をしげしげと眺めながら、工藤が呟く。
「……ひとり十通とかインチキじゃね?」
「あぁ?」
這うような声とキレッキレの睨みが工藤を襲った。風間は社畜として働くうちに、学生時代よりさらに鋭さを増していた。びくりと肩を跳ねさせた工藤を、尋常ではない目力が刺す。
「こっちは人生と生活がかかってんだよ……。打ち切りになったらどうしてくれんだコラァ……」
「……協力します」
「それでよし。工藤は二十通書け」
「え!? なんで!?」
「無茶苦茶だなぁ……」
航太は友人の横暴さにため息をつきながらも、単行本をパラパラとめくってみた。あちこちにポエムらしき記述と花びらが散りばめられている。いかにも宰が好きそうな内容だった。ちらりと目を遣れば、案の定宰は至福の表情で表紙を撫でている。
航太のぼやきに、風間は意地悪く頰を緩めて言う。
「無茶苦茶はそっちだろ。あんなにビビってたストーカーと付き合ってんだから」
「……うるさいな」
「ストーカー!? こ、航ちゃん、そんな辛い過去が!?」
「お前だよお前」
「でも大丈夫! 今は僕がいるからね!」
「航ちゃんまじでなんでこいつと付き合ってんの?」
「さあ……」
航太は居た堪れなかった。自分でもなぜこんな変人と交際しているのか、説明できない。航太が生温かい空気に耐えながら、手慰みにお通しをつつく。すると、宰が不意に立ち上がった。
「さ、僕はちょっとお手洗いに!」
「さっさと行け」
「航ちゃん、少しの間だけ寂しくさせる。ごめんね」
「いいから早く行ってきてよ……」
「分かった。すぐ帰ってくるね」
なぜかウインクを残していった宰に、航太は深いため息をついた。風間と工藤はそろって同情の視線を送る。
「死ぬほどうぜぇな」
「航ちゃん、我慢はよくないぞ」
「いや、うん、そうなんだけど」
「そうなんだけど〜」と呻いて航太はテーブルに突っ伏した。ごんごんと額を打ちつけた後しばらく黙り、情けなく眉尻を下げて顔を上げる。
「……親にも反対されてるし、どうしよう」
「えっ、会わせたの!?」
「会わせてないけど、会わせたら絶対やばいけど、ていうか多分誰と付き合っても反対はされるんだけど、でも、あ〜」
航太は頭を掻きむしり、肩肘をついてふたりを見た。
「……やっぱり会わせたらやばいよね?」
「俺が親なら絶対反対する」
「俺も。あいつ普通にキショいし」
「だよね」
航太は冷静に頷くと、ジョッキに口をつけた。風間と工藤もそれにならう。ちびちびと飲み進めていると、溜め込んでいた不満が航太の唇から漏れ出した。
「……この前もさ、宰がこそこそ何かやってるなぁと思って、部屋に乗り込んだけど」
「おう」
「そしたらさ、キーホルダーとストラップが何個もあって」
「キーホルダー?」
「俺の写真入ってるやつ」
風間はその言葉に盛大にビールを噴き出した。そして心底気味の悪そうな表情を浮かべる工藤の横で、腹を抱えて笑い始めた。
「お前それ、初孫じゃん! 初孫のテンションじゃん!」
「航ちゃん……可哀想に……」
「うん……しかもそれ宰の実家に送るんだとか言い出だして……」
「実家に……ぶふ、くっ、写真付き、キーホルダー……ッ!」
やばすぎて死ぬ、と言って崩れ落ちる風間に、航太は冷たい眼差しを向けた。胸が痛み始めた工藤だったが、果敢にも「それでどうしたの?」と恐る恐る先を促した。
「さすがに気持ち悪いと思って、その場でキレてゴミ箱に捨てたんだけど……」
「うん」
「そしたら、宰が『航ちゃんを捨てたらだめだ』って結構ガチで泣き始めちゃって……」
「…………」
そこまで聞いて工藤も泣きそうになった。
航太は死んだ目のまま訥々と続ける。
「いや、おれはここにいるじゃんって言ったんだけど、なんか部屋の隅の方行ってずっと泣いてて……」
「航ちゃん……」
「拾って返したら泣き止んだけど……」
「くっ……!」
それ以上は聞いていられず、工藤はビールを煽った。恋人の部屋に並べられた、自分の写真入りグッズ。それを咎めると泣き出す恋人。そのときの航太の心中を想うと平常心ではいられなかった。
一方の風間は「はー、笑った」と涙を拭いながら身体を起こすと、テーブルに肘をつき挑発的に笑んだ。
「航太ぁ、そんなに嫌なら別れたらいいだろ」
「えっ」
「まだうなじ噛まれてねぇんだろ。良かったな。次行けよ、次」
「…………」
航太は風間の言葉に目を丸くした後、しばらく黙り込み、それからぼそぼそと言った。
「……別れるのは、ちょっと」
「えぇ!?」
「ほら見ろ」
風間の満足げな微笑みを、航太は軽く睨む。
風間は航太の良き理解者ではあるが、毎度宰との仲をからかわれるのが面白くなかった。
そうこうしているうちに、ハンカチで手を拭きながら宰が戻ってくる。
「航ちゃんおまたせ!」
「……待ってない。おれも行ってくる」
「航ちゃん一人じゃ心配だ。僕が付いて」
「付いて来たら別れる」
「僕はここで待ってます!」
工藤はそのやり取りを見て呆気に取られていた。それを見た風間が「あいつツンデレなんだよなぁ」と小声でぼやく。
首を伸ばして航太の後ろ姿を見送る宰は、母を待つ子犬のようだった。風間はにやにや笑いながら、箸先を子犬へ向ける。
「それで? お前、航太のキーホルダー作ったんだって?」
「おっと、風間くんは耳が早いな。ちなみにストラップもだ」
「そこにこだわるなよ」
ドヤ顔で指を組んだ宰に、工藤はあからさまに顔を顰めた。
「もうやめとけよお前……」
「ちなみにこれは航ちゃんには内緒だが……缶バッチとTシャツもある」
「ひぇっ」
「グッズ展開やめろ」
「ふふ……航ちゃんは照れ屋さんだから……」
航太がキレ散らかしたのを目の当たりにした宰は、少しだけ学習していた。
航太に見せたら叱られる。
だが存在を知られなければ叱られない。
航太のグッズ作りに関しては、250ある宰のIQは25程度まで下がっていた。
風間と工藤がグッズの話を出したのを良いことに、宰は調子に乗った。「実は最新作がここに」などとのたまいながら、おもむろに自分のバッグから新・航ちゃんグッズを取り出したのである。
それは手帳型のスマホケースだった。
怪訝そうに見つめてくる風間と工藤にひとつウインクすると、宰はケースのカバー部分を開いてみせる。
カバーの裏——つまりちょうど画面と触れる部分には、なぜか宰の百点笑顔の写真がプリントされていた。
「きっしょ」
「これじゃ狩野田グッズじゃん」
「ふふ……焦るのはまだ早い……」
宰は普段使っているケースからスマホを取り外すと、「これをこうして……」と呟きながら、自らの顔がプリントアウトされたケースへと嵌め直した。画面をオンにすれば、正面から撮影された航太の写真が表示される。おそらく不意打ちで撮ったのだろう、画面上の航太は、何か言いたげにわずかに唇を開いていた。
「…………」
「…………」
「ここからが本番だ」
「目を離さないでくれ」とそっと囁くと、宰はカバー部分に手をかけ、パタン……とそれを閉じた。
三人の間に静寂が走る。
「……今このカバーの下では、概念上の僕と航ちゃんが触れ合っていることになる」
宰は顔を上げると、ひとつ頷き微笑む。
彼は澄み切った瞳をしていた。
「キッスケータイだ」
「病院行け」
風間がすかさず切り込むと、宰は「僕は毎日勤務しているよ」と穏やかに答えた。
「そういうことじゃねぇし」
「胃に来るな、これは」
工藤はそれ以上ビールを進めることができなかった。正気のふたりがおぞましいものを見る目で宰を窺っている間に、スーパーアルファは鼻歌まじりにスマホを元のケースへ戻す。
「航ちゃんには内緒にしてほしい」
「……言えるわけねぇだろ」
「航ちゃんはすぐ照れちゃうからな……」
「怖ぇよお前……」
張り詰めた空気のなか戻ってきた航太は、風間と工藤の険しい顔つきに首を傾げたが、最後までその残酷な真実を知ることはなかった。
◆◆◆
どこかぎくしゃくした空気のまま、飲み会は終わった。航太は不穏な空気を察して「何かあった?」と風間と工藤に尋ねたが、航太の心の安全を案じるふたりが口を割ることはなかった。
店から出ると秋風が吹き荒んでいた。
薄手のコートには厳しすぎる寒さに、皆一様に肩をすくめる。
航太は震えながらも顔を上げて、風間に笑いかけた。
「吉川さんにおめでとうって言っといて」
「おう、ファンレター書けよ。書かなかったら勤務先にあることないこと書いた怪文書送るからな」
「こっわ。風間まじでやりそう」
「ははは、僕は張り切って書いちゃおうかな!」
「お前はまじで病院に行け」
軽口を叩き合い、四人はそれぞれの帰路へ足を向けた。風間は最寄りの駅へ向かう。工藤はひとり家の方向へ進もうとして、ふと立ち止まって後ろを振り返った。
同じアパートに住んでいるというふたりが、同じ方向を向いて、並んで立っている。
「航ちゃん」
「ん」
宰が差し出した手を、航太が握る。
そうするのが当たり前であるかのように、何のためらいもない、自然な動作だった。
宰が慣れた様子で指を絡め、航太もそれに応じる。ふたりはそのまま歩き出した。歩みを進めるのと同時に、宰は航太の耳元に顔を近づけ何かを囁く。航太は驚いた顔をして身体を離したが、宰と目が合うと、同時に笑った。白い吐息が混じり合う。
ふたりはそのまま身体を寄せ合い、歩調を合わせて歩いて行った。航太に合わせて宰は歩幅を狭めていたが、それは無理のない歩き方だった。
「…………」
工藤はそれを見て呆然とした。
——なんだあれは。あれでは、まるで。
しばらくその場に立ち尽くした後、工藤はため息をつき、回れ右をして歩き出す。
「俺も恋人作ろ……」
木枯らしは、独り身にはよく染みた。
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