恋人編

第28話 【3年9ヶ月後】箱入り息子





狩野田宰は、生粋のアルファ家系に生まれ育った。


狩野田家に生まれた者は皆一様に優秀なアルファであった。優秀であることが当然だった。


脳外科医の父と大学教授の母、そしてアプリ開発を手がける会社を経営する姉。彼らは一人残らず卓越した頭脳を有していた。


そしてまた、家族への愛も深かった。








「オメガと交際している?」


堅く低い声が宰の耳を打つ。


宰は力強く「そうです」と頷き、テーブル——アサメラ・ゼブラウッドを一枚板に切り出したもの——を挟んだ正面に座る父の目を見つめた。

その様子を同じテーブルに着く母と姉が見守っている。場の空気は、ぴんと張り詰めていた。


宰は束の間の夏休みを利用して、実家へ帰省していた。多忙である彼らが、こうして一堂に会することは珍しい。


デンマーク王室御用達のティーカップからは、オレンジピールの風味を感じさせる紅茶の香りが漂っている。宰によく似た面差しの父は、ひと口それを含んだ後、鋭さをたたえた双眸を細めて尋ねた。


「いつからだ、宰」

「今年の三月からです」

「三月? 随分報告が遅いんじゃないのか」

「……申し訳ありません」


宰は誠実なスーパーアルファである。

初めて、かつ最後の恋人である航太の存在を隠しておくわけにはいかない。

そう思って家族に交際を打ち明けることにした。


「結婚を前提に、真剣にお付き合いしています」

「結婚……?」


父の片眉が、ぴくりと神経質に持ち上げられた。愛情深さと同時に厳しさを併せ持つ父に相対することで、自分がひどく緊張していることに宰は気がついた。


怜悧な美貌を持つ母と姉は、無言で宰に目を遣る。父同様に、交際の報告が遅いことを暗に責めている視線だった。


父は美しい木目の天板の上で指を組み、抑えた声で言う。


「どんな人なんだ。説明しなさい」

「はい」


素直に頷いて、宰は胸ポケットに指を差し入れた。そして指先に当たる固い感触を掴み、ゆっくりとテーブルに置く。


コト、という頼りない音が家族の間に響いた。


「葉竹航太さんといいます」


それはキーホルダーだった。


ボールチェーンの先に、長方形の枠で囲まれた航太の写真が嵌められている。

不意打ちで撮影したせいで航太は驚いた顔をしているが、宰としてはその無防備な表情もエクセレントポイントであった。世界にひとつだけの、オリジナルキーホルダーだ。

もちろん宰が独自で作ったものであるため、本人非公認グッズである。


狩野田家のリビングは静まりかえった。

耳が痛くなるほど沈黙が一同を包む。


宰は一呼吸置いて続けた。


「ストラップもあります」


続けて胸ポケットから差し出されたこちらは、スカイブルーの組紐が可愛らしい一品である。

先には円型の航太の写真。照れたように前髪に触れながら笑う航太の一瞬が切り取られている。どちらも捨てがたいショットだったが、宰は強いて言えばストラップバージョンの方がお気に入りであった。


一同の視線は突然現れた航太のオリジナルグッズに釘付けになった。


父は額を抑えうつむき、母は口元を覆う。

しばらくの静寂の後、口を開いたのは姉の領子りょうこだった。


「うそでしょ、宰……」

「姉さん」

「信じられない」


領子の声は震えていた。

彼女はボルドーのエナメルに飾られた指先を伸ばし、宰イチオシのストラップを手に取る。照れ笑いをした航太の写真をそっと撫でると、彼女は悲鳴にも似た声をあげた。


「こんなにかわいい子が、私の二人目の弟になるっていうの……!?」


血走った目で自分を見つめる姉に、宰は満足げに微笑んでみせる。


「ふふ、まあ、いずれは……」

「なんてこと! かわいすぎる……!」

「ちなみに航ちゃんと呼んでるんだ」

「航、ちゃん……!?」


領子は椅子の脚をガタガタと鳴らしながら身を乗り出した。基本的に彼女の趣味は、宰と重なる部分が多い。擦れてないタイプの年下の男の子は、彼女の大好物であった。


照れた笑いを浮かべる純朴そうな青年が自分の弟になると考えという感動に、領子は打ち震え、額を押さえた。


「宰、なぜもっと早く言わなかったの……!

こんな、こんな突然のかわいさの供給、頭がおかしくなりそうよ……!」

「ごめんよ、姉さん。皆が揃ったときにと思って」

「領子の言うとおりよ、宰」


嗜めるようにぴしゃりと母が言う。

完璧な優雅さで紅茶を口に含んでから、彼女は目をひそめた。


「もっと早く知りたかったわ」

「申し訳ありません」

「でももう過ぎたことね。それより」


彼女はキーホルダーを掌に載せる。

生まれたての雛鳥を扱うような繊細さだった。


「こんなかわいらしい子が息子になってくれるなら、母さんも嬉しいわ」

「母さん……!」

「母さんはね、ちゃーんと分かります。このお顔を見れば、航ちゃんが心のきれいな素敵なひとだって」

「そうなんです! 航ちゃんは本当に素敵なひとで……それで」


宰はそこで言い淀み一旦は視線を彷徨わせたが、何かを決意したように表情を引き締め、言い切った。


「僕の……運命のつがいです」


母と領子は同時に息を飲んだ。

宰は小さく呼吸を整え、続ける。


「ただ、正式につがいになるのは結婚してからにしたいと思っています。それが、僕なりの誠意の証です」


母娘ら二人は手を取り合い、宰の言葉に打ち震える。


「そんな……それって……」

「まさに先ズルそのものじゃないの……!」

「ふふ……。十九巻百二ページからの引用ですが……」

「さすが宰ね。姉として誇らしいわ」

「ありがとう、姉さん」


そう、宰に先ズルの素晴らしさを教えたのは、ほかでもないこの母娘であった。

アルファだらけの家系に育った狩野田家の女たちにとって、運命のつがいという存在は憧れだった。

それを自分の身内が成し遂げたという事実が、彼女たちの胸を熱くする。


「私にも見せてもらおうか」


にわかに盛り上がった家族を前にしても、父の厳格さは薄れなかった。父は険しい顔つきのまま、骨張った手を差し出してみせる。


一家の主が醸し出す気迫に押され、母と領子はおずおずとオリジナル航太グッズを手渡した。父の頬が強張り、息の詰まるような緊迫感が走る。


父が口を開いたのは、たっぷり十秒間が経過した後だった。


「……宰」

「はい」


父は席を立つと、宰のもとへ近寄った。

宰もそれにならい立ち上がり、背筋を伸ばす。

宰の背は、スーパーアルファたる父をすでに超えていた。


父は観念したようにふっと微笑み、オリジナルグッズを宰に手渡す。そしてそのまま息子の両手を握り、力強くうなずいた。


「……よくやった、宰」

「父さん」

「航ちゃんのかわいらしさ、そしてこんな素晴らしいグッズを作るお前の愛の深さ……。私は感動した」

「……ありがとうございます!」


父子の瞳にはうっすらと涙が浮いていた。

これほどまで分かり合えたことはないと互いに感じるほど、この瞬間、ふたりは深く心を通わせたのだった。


父子の堅い握手に、母と領子は同じく涙を浮かべ拍手を贈った。

それは混じり気なしの祝福であった。


狩野田家の面子は皆心が清く、そして世間一般の常識から少しだけ外れていた。しかし全員が同じ塩梅で外れているものだから、誰一人としてそのズレに気付く者はいなかった。


新しく家族が増える——そう決まった狩野田家は喜びと希望に満ち溢れていた。


航ちゃん。


狩野田家四人のなかにその名前が刻み込まれた。


少しせっかちなところがある父は、宰の肩を軽く叩きながら快活に笑った。


「それで? 式はいつにするんだ」

「僕はまだ研修医の身ですから……。まだあと数年は」

「やだ、今からわくわくするわね。お姉ちゃんって呼んでくれないかしら」

「宰、今度帰ってくるときは航ちゃんも連れてくるのよ」


彼らはノリノリであった。

もはや彼らの心は航太とともにあると言っても過言ではなかった。キーホルダーやストラップのグッズなども、狩野田一家の基準からいけば最高にイカしている代物だった。


「おっ、思いついたぞ! 披露宴のとき、あれはどうだ。入場のときゴンドラで降りてくるやつ」

「ちょっとあなた! それ素敵!」

「花火もあげましょう、花火」

「うーん、今から新郎父の挨拶の原稿を書いておかないとな」

「僕からは、ひとつお願いが」


凛と澄んだ声で宰が言うと、三人は不思議そうにその顔を見た。宰はもう彼らの知る幼い子どもではなかった。愛する人を得た、ひとりの男の顔をしていた。


「家族席に、ぜひ同席させたい戦友ともがいます」

戦友とも?」

「ええ、アルジャンテといいます」


宰の瞳には一点の曇りもなかった。


そして宰は語って聞かせた。

航太との出会い。

アルジャンテとの旅路。

そして航太と愛を育んだ日々。


宰がすべてを語り終わったころ、家族は再び涙を浮かべていた。彼らにとっての息子、そして弟が、長き戦いの末に愛を勝ち取ったことを誇らしく思った。


「なんて感動的な話なの……」

「再現PVも作りましょう。宰、私に任せて」


彼らの心はひとつだった。

父は宰の肩を掴むと、涙を堪えて微笑む。

改めて、宰を狩野田家の男として認めた瞬間だった。


「幸せになるんだぞ、宰」

「はい!」

「おめでとう!」

「おめでとう、宰!」


そして四人はかたく抱きしめ合い、家族の絆を噛み締めたのであった。



彼らを止める者は、誰もいなかった。




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