第16話 【1年後】知らぬ間に恋は




狩野田宰は、眉目秀麗かつ才学非凡な男であった。


しかし彼はそれと同時に努力家であった。

己がスーパーアルファである矜恃を胸に、自らの理想とする男(主に「先ズル」の相良先生)になるための努力を惜しまなかった。


一方で、彼は努力したことを隠さないタイプの人間であった。


たとえば、テスト当日に学友から「今回全然範囲間に合わなかった〜。狩野田は?」と尋ねられると、「もちろんすべて完璧にやったよ。ふふ、今回も満点だろうな……」と笑顔で答える男だった。


学校という集団生活のなかでは、一般的に出る杭は打たれやすい。狩野田少年は明らかに出る杭だった。だがその突出の具合があまりにも甚だしかったため、誰の手も彼を打ち込むことはできなかった。


狩野田少年は杭ではなく竹だった。

周囲が背比べをしている間に、自らに努力という肥料をせっせと与え、目を離した隙に真っ直ぐ天井を突き破っているような男だった。


学友たちは狩野田少年をおそれた。

「狩野田はやべー奴」という共通認識のもと、彼が所属するクラスはいつも一致団結し、平和であった。


狩野田少年はそんな学友たちを愛した。

というのも、彼は幼いころから致命的に空気が読めない人間だったためである。


時は流れ、狩野田宰の努力は恋愛に対しても向けられた。


第二回東京遠征における発情期ヒート事件のあとも、宰は航太と親密になるべく、考え得る限りのアプローチを行った。


毎日の連絡を欠かさず、さりげなくその頻度を上げ、ひたすら航太を褒め称えた。

航太はLIMEでも通話でも基本的には言葉少なだったが、回数を重ねるにつれ徐々に態度は軟化していった。


空気を読めない宰であったが、航太に関しては息遣いや声のトーンを聴き分け、そのときの体調や機嫌を推しはかれるまでになっていた。彼の五感は、恋と肥料によりさらに研ぎ澄まされたのだ。


宰は航太の機嫌が良いときを見計らっては約束を取り付け、東京に住む彼を訪ねた。

ときにはアルジャンテの回収、ときには新幹線代の返済。一度は良い理由が思いつかず「ちょっと近くまで来たから寄ってみたんだ!」と無理な言い訳を武器に突撃したこともあった。


航太は毎回、厳重にドアチェーンを掛けたまま宰に応対するが、途中からトングで威嚇することはなくなった。


宰は手応えを感じていた。

この頃、彼は特装復刻版として販売されていた「先ズル」を大人買いし、くり返し読んでは復習した。彼が幼かったころと変わらず、相良先生は理想の男であった。宰は郷愁と畏敬のあまり、部屋のなかでひとり涙した。


相良先生は十二巻五十七ページでこう述べた。


——想いびとへの贈り物は、欠かすもんじゃない。


宰はこれにならい、夏には航太へ最高級うなぎパイ入りのお中元ギフトを発送した。しかしこれについては、受け取り拒否で宰のもとへ返送されてきた。


「航ちゃんはうなぎが苦手なのかもしれないな。ふふ、かわいいな……。うなぎは入ってないのに……」

「お、狩野田。うまいなコレ」

「そうだろう」


宰はポジティブ思考だった。

行き場を無くしたうなぎパイを友人の工藤に与えつつ、お歳暮は何にしようかなと考えるレベルでポジティブであった。


この頃にはもう、工藤は宰を制御することを完全に諦めていた。


はたから見れば奇妙でしかないこの関係は、細々と続けられた。結論から言って、宰のアプローチは、その時期が味方をした。


航太の就職活動期間と、スーパーアルファのアプローチが重なったためである。


穏やかな本来の性格とオメガ性が災いして、航太の就活は難航を極めていた。何度挑んでも最終選考すら進めず、お祈りメールさえ届かなくなった航太は、憂鬱な毎日を送っていた。


就活というものは人間の心を丁寧に丁寧にぽきぽきと折っていくビッグイベントである。

来る日も来る日も、特に興味のない会社の説明会へ足を運んでは赤べこのように首を振る日々は、航太の心をじわじわと弱らせた。


友人の風間は容姿の良さと気風の良さから、早々に就活を終わらせていたため、弱音を吐くのにも抵抗があった。がんばれ、と励ましてくれることは分かっていたが、もうがんばってるのにどうしたら、というのが航太の本音だった。


しかしそんなときでも、宰からの長文メッセージは毎日航太のもとへ届いた。


宰はいつだって航太を称賛した。

メッセージの99%は頭痛を引き起こすような内容だったが、航ちゃん航ちゃんと真っ直ぐに向けられる好意は、自己嫌悪のどん底にいた航太を励ました。


——航ちゃんはとても素敵な人です!(^^)v


社会から自分の価値を否定されたような気分に陥っていたような航太にとって、飾り気のない宰の言葉はかえって胸に刺さった。


圧迫面接やグループディスカッションでこてんぱんにやられても、定期的に宰からの長文はやって来る。そのたびに航太は「きもちわる」と呟き、けれどそれを笑いながら読んだ。


週に何度か交わす通話では、宰の明るい声をじっと聞いた。

なぜおれはストーカーと電話なんか、と思いながらも、「航ちゃん」と呼ぶ声に励まされているのは事実だった。

いたずらに「がんばれ」と言わない宰に、航太は知らず救われていた。


時折訪ねてくる宰の顔を見ると、航太はそわそわと落ち着かない気持ちになった。


顔は良いのだ。顔だけは良い。

ただ、ストーカーなだけで。


航太はトングを持たなくなった。

ただし、夏に送られてきた荷物は気味が悪かったので送り返した。


そして秋になってようやく、航太は食品メーカーの子会社の内定を決めたのだった。


航太は珍しく浮かれていた。

自分でもよく分からないまま宰に電話を掛けていた。


だから電話口で宰から「内定祝いに大阪に来ないか」と誘われたとき、ついうっかり乗ってしまったのだった。




一方の宰はまったく気遣いをしている自覚はなかった。

彼は恋に溺れ、ひたすらメッセージを送り続けていただけだからである。

そもそも医学部に属する彼は、航太から内定を告げられるまで、就活の存在すら意識していなかった。


だがスーパーアルファの彼は運すらも味方にした。彼は意図せずして、航太を大阪に呼び寄せることに成功したのだ。


通話が終わったあと、宰は夢見心地のままアパートを飛び出し、夜の吹田市内をアルジャンテとともに駆け巡った。


宰は笑っていた。

アルジャンテも笑っていた。


喜びのエネルギーを爆発させたまま、気付けば彼は、某爆発を象徴する像の前に立っていた。広げた白い両腕が、宰の抱擁を待っているかのようだった。


——Congratulations!


爆発の象徴から、そう言ってもらえた気がした。


「ありがとう……っ!」


夜闇のなか像を強く抱きしめる宰を、アルジャンテだけが微笑みながら見つめていた。


宰にはひとつの望みがあった。

航太に告白をして、手を繋ぐこと。


ピュアな心を持つ宰は、正式に想いを伝えた上で、航太に触れたかった。

その日のために、宰は予習としてさらに「先ズル」を読み返したのであった。





◆◆◆





「…………」

「…………」

「…………」


そして迎えた航太の大阪上陸日。

宰が新大阪へ迎えに行くと、航太の隣には見知らぬ細身の男が立っていた。


まつ毛バシバシの男は、航太の隣で腕を組み、射殺さんばかりに宰を睨みつけている。


「……航ちゃん、この方は?」

「友達の、風間……」


航太が友人を連れてくるなんて初耳だった。

風間と呼ばれた男は、ひとつ舌打ちをして言う。


「航太、こんな奴に教えなくていい」

「ご、ごめん……」


宰は戸惑っていた。

なぜ航太が友人を連れてきたのか測りかねたからだ。しかしその数瞬後、宰のIQ250の頭脳はある答えを叩き出した。


——航ちゃんは、僕を紹介するために友人を連れてきたんじゃないか?

——航ちゃんも、僕とのことを真剣に考えてくれている……?


それは確信に近かった。

そして彼は色めきたった。


そうか。そういうことか、航ちゃん。

ならば僕は、最高のもてなしをしなければ。


「風間くん!! 狩野田宰といいます!! よろしくお願いします!!」


宰は握手のため勢いよく手を差し出したが、風間の組まれた腕が解かれることはなかった。代わりに鋭い視線と地を這うような声が返ってくる。


「よろしくしねぇよ、ストーカーめ」

「ん……?」

「航太に妙なこと吹き込みやがって。いいか、臭い飯食いたくねぇなら金輪際こいつには一切関わるな」

「…………」


宰は呆気に取られた。

なぜ風間がここまで敵意剥き出しにするのか測りかねたからだ。


航太に視線を送ると、困ったように目を泳がせるだけで何も言わない。その様子もめちゃくちゃかわいい!と宰は痺れるように思った。


そして彼は再びひらめいた。


——もしかして風間くんは、僕を試しに来たんじゃないだろうか?

——僕が航ちゃんを預けるのにふさわしい人間か、見極めにきたんじゃないか?


宰は身を震わせた。

そこまで真剣に試されることが光栄だと感じた。


「……素晴らしい友情だ」

「は? 馬鹿にしてんのかお前」

「風間くん!! 分かりました!!」

「うおっ」

「がんばります!!」

「えっ、なに、声でか……」

「よろしくお願いします!!」

「…………」


風間は早くも引いていた。

なぜ目の前の男が満面の笑みを向けて来るのか分からなかった。


どういう感情なんだよそれは、と内心毒づきながら、とにかく立ち去るべきだと判断した風間は続ける。


「……そういうことだから、俺たちは」

「さっ! どこ行きます?」

「いや、どこも行かねぇし」

「ちょっと離れてますけどジンベエザメ見ますか?」

「見ねえよ」

「はっ! そうですよね、三人だとバランスが悪いな……。おっとあぶない……、デートに奇数はNG……」


宰はぶつぶつ呟くと、突然スマホを取り出し操作し始めた。風間としては、全く話の通じる気配のない宰の隙をついて逃げ出したかったが、宰は笑顔で航太を見つめたまま、決して目を離そうとはしなかった。


「ちょっと待ってくださいね、今暇な奴を呼びますので」

「いやだから」

「……もしもし? 工藤か? 今すぐ新大阪へ来てくれ。緊急事態だ」

「…………」

「え? 逮捕? ははは、またそんなジョークを言ってるのか君は」


呆然とする風間の横で、航太は居た堪れない様子で肩をすくめていた。


「……まじでやべー奴じゃん」

「うん、ごめん……」


でも、と航太は続けた。

向けられた視線の真剣さに、風間は口をつぐむ。


「ちょっとだけ、付き合ってほしい……」




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