第15話 【1年後】ストックホルム症候群




風間篤樹は思った。

最近、どうも航太の様子がおかしい、と。


航太は今からちょうど一年ほど前、大阪のやばいアルファからえげつないストーカー被害を受け始めた。相手は、ママチャリで大阪から東京までやって来た異常者だ。

そのころの航太はかなり情緒不安定になっていたが、半年前に一度連絡を絶ったことで、事態は収束を見せたと聞いている。


ストーカーの名前は、狩野田宰。


一度Twatterで写真を見たことがあるから、顔だけは良いのは分かっている。

しかしキャルメリを通じて一方的にオメガに好意を寄せるなんて正気じゃない。


風間は自らのつがいであるアルファにこの一件を話してみたことがあるが、「そいつなんで逮捕されないの?」と驚かれて終わった。

アルファの目から見ても、いや、

誰がどう考えてもやばい奴なのだ。


ストーカーと連絡を絶ってからの航太は、脅かされる日々から逃れた安心感から、もとの温厚な航太に戻ってくれた。一時は大学の構内でさえ、常にバッグにトングを忍ばせるほど追い詰められていたのだ。

トングにそれほど防御力があるとは思えなかったが、それを指摘すると不気味な笑みで「とりあえず直接触らなくて済むから……」と返されたのでゾッとしてしまった。異常性というのは感染するのかもしれない。


とにもかくにも、航太は普通の航太に戻った。


四年生になり、就活でバタバタしたりもしたが、秋になった今では大分落ち着き、あとは卒論を仕上げるだけだ。


風間は航太を良き友人だと思っていた。社会人になって離れたとしても、きっとこの関係は続けていけると確信もしていた。入学当時からの付き合いなのだから。


オメガにしか理解し合えない悩みごとも打ち明けてきた。大学で得たもののなかでも、航太との出会いは、風間にとってかけがえのない財産だった。


だからこそ、最近の航太の様子は目についた。


ひと月ほど前から、航太はどうもソワソワしているのだ。風間が話しかけてもどこかうわの空で、頻繁にスマホを覗き込むようになった。恋人でもできたのかと尋ねると、「か、勘弁してよ!」となぜか上擦った大声で否定される。


おかしい。

風間はなんだか嫌な予感がしていた。

航太は、何か隠しごとをしている。


そして、その予感は現実となった。







「……風間さあ」

「おう」

「大阪って、行ったことある?」

「…………」


講義の空き時間に外のベンチに腰掛けだらだらしていると、ぼんやりとスマホを眺めていた航太が突然そんなことを言い出したのだ。


大阪。


もうその単語だけで不穏な気配がした。決して視線を合わせようとしない航太を訝しく思い、風間が顔を覗き込むと、忙しなくまばたきをくり返される。

怪しい。

絶対に怪しい。


「……なんでそんなこと聞くんだよ」

「え、べ、別に……」


嫌な予感は加速した。なぜ大阪に興味を持つんだ。大阪といえばとある人物が否応なく思い浮かんでしまう。まさか。いや、そんなわけがない。でも。


航太がボロを出したのを良いことに、風間はここぞとばかりに詰め寄った。


「航太、お前最近おかしいよな?」

「うぇっ!? そ、そんなことないけど」

「ずーっとソワソワしてんだろ。何を隠してる?」

「隠してない! 隠してないよ!」


作り笑いで首を振るのがますます怪しい。信用度は酔っ払いが「酔ってないよお」と言うくらい低かった。


——もしかしたら、最悪の事態が起こっているのかもしれない。


そう思った風間は、ガードが甘くなった航太からスマホを奪い取った。


「あっ! 何するんだよ!」

「LIMEを見せろ」

「え」

「誰とどんなやり取りをしてるのか見せろ」

「ひぇ」


航太の顔がさっと青ざめた。風間の予感は、彼の胸のなかで具体的な形を持とうとしていた。友人として行き過ぎた行為だとは分かっていたが、胸騒ぎを止められなかった。


航太がまだストーカーとやり取りをしていたころ、感じた、航太はいつか道を踏み外してしまうのではないか、という恐れを風間は拭いたかった。

しかし、ロックが解除されたままのスマホをいじりLIMEを開くと、この世で最も見たくない名前が一番上に表示された。





◆◆◆





am 7:00


航ちゃん、Good morning!

昨日はよく眠れましたか?


僕はぐっすりです。

なぜか分かりませんが、航ちゃんが夢に出てきました。

昔の日本人の感覚で言いますと、航ちゃんが夢に出てくるというのは、つまりは航ちゃんが僕のことを想ってくれてたりしちゃったり……な〜んてね(^^)!

これ以上は照れるので控えておきますね笑


今日の大阪は快晴です!

僕が予想するところによると……なんと!東京も同じく、快晴です!

(実は僕は気象学の心得もあります。幼少期にちょっとだけかじりました笑)


あと、就活お疲れ様!

良いところに決まったみたいで良かったです。

Congratulations!


僕も自分のことのように嬉しいです。

この前の電話越しの乾杯、聞こえましたか?(^^)

(航ちゃんはせっかちさんなので途中で切れちゃったね笑)


僕は医学研修があるからあと二年はこっちにいないといけないのだけれど、最終的には東京に引っ越そうかな…なんて思ってます。

航ちゃんとお隣さんになれたら嬉しいな。

(隣の部屋が空きましたらお知らせください!)


閑話休題(^^)


新幹線のチケットは届きましたか?

当日は新大阪まで迎えに行きますので、決して梅田へは踏み入れませぬよう……(^^)汗

初心者が梅田駅に降りたったら最後、二度と地上には出てこられません。

さっきまで地下三階にいたはずなのに気付いたら地下二階にいる……。

まっすぐ歩いていたはずなのにいつの間にまるで違う方向へ向かっていた……。

目的地は見えているはずなのにたどり着けない……。

そんな怪異が容易に起こり得る場所です。

僕のエスコートなしでは危ないですよ!(^^)


ホテルを取ったとのことですが、僕の部屋でも良かったのに!なんてことは思ってませんからね笑

ご安心ください。

僕は紳士ですので!


食べたいものを今から考えておいてくださいね。楽しみだなあ。楽しみすぎて最近寝不足です。でも、もし航ちゃんが夢に出てきてくれるなら今日は頑張って早めに寝ちゃおうかな?(^^)


ところで、昨日ふと思いついて花占いというものをやってみたのですが……





◆◆◆





「…………」

「…………」


風間は自分の目を疑った。

なんだ、これは。

これではまるで。


おそるおそる横を見れば、航太はバツの悪そうな顔をしてうつむく。風間はその態度に絶望を覚えつつ、もう一度アホみたいなメッセージを遡った。


しかし何度見ても結果は同じだった。

夢でも幻想でもなく、紛れもない現実だ。

最悪の事態が、最悪を超えてきた。


「もういい?」と言いながら愛想笑いを浮かべる航太に向き合い、風間は静かに尋ねる。


「……航太、どういうことだよ」

「な、なんのこと……」


航太の目は泳ぎまくっていた。風間は確信した。航太は分かっているのだ。自分が何をしでかしているのかを。 進む先が過ちであることを分かっていながら、道を踏み外したのだ。


カッとなった風間は、スマホを取り上げたまま、航太を怒鳴りつける。


「お前はなんでストーカーと! また連絡取り合ってんだよ!」

「あ、いや……」

「ブロックしたんじゃないのかよ! なんか気持ち悪さに磨きがかかってんだろ! くそ、この顔文字何回見ても腹立つ……!」

「えっと、色々あって……」

「それになんだこの新幹線だのホテルだのってのは! 説明しろ!」


あわあわと動転する航太を叱責しつつ、風間は事の次第を聞き出した。


半年前、LIMEをブロックした後、あの異常者はなんと航太のアパートを再び訪ねてきたのだという。そして航太は、そこでたまたま発情期ヒートを迎えてしまった。

風間は衝撃のあまり、ベンチから転がり落ちそうだった。


「ヒ、ヒート……!? ばか、お前……!」

「でも何にもなかったんだよ!」

「そういう問題じゃねぇだろ!」


軽く頭をはたくと、航太は「いたい」と呻いて話を続ける。

幸運にも、航太がストーカーに襲われる事態は起こらなかった。しかしその後、一体何がどうなったのか、航太はまたストーカーと連絡を取り合うようになったという。


「だからなんでだよ!」

「でも、LIMEは一日三回までだし、電話は三日に一回30秒までだし……」

「……頻度がめちゃくちゃ増えてんだろうが!!」

「ひいっ」


そしてまた何がどうなったのか、航太はストーカーに誘われて大阪を訪れることになったらしい。よくよく聞けば、ストーカーは二度目の強襲以降も度々東京へやって来ているのだと、航太は言った。


「いつも玄関先で会うだけだからさ、それ以外は別に……」

「航太……」


風間は愕然としていた。

誘拐や監禁などの被害に遭った人間は、極限の環境下で犯人と絆を抱いてしまうことがあるという。


航太はまさにそれだった。

異常者からの粘着質な付き纏いにより、正常な思考を失っているのだ。


「……航太、お前とあいつの関係はなんだ?」

「かっ、関係!? え、え」

「いいか、忘れるな。あいつはストーカー、お前は被害者だ」

「でも」

「でもじゃない!!まともな男は大学生にもなって花占いなんてしない!!」

「うっ」


航太は額を抑えて葛藤し始めた。

風間の意見を聞いたことにより、少しまともに考えられるようになったらしい。


風間はただただ悲しかった。

大切な友人が、こんなとんでもない事実を隠していたなんて。一歩間違えば航太のうなじには今ごろえげつない噛み跡があったはずだ。それを思うとやり切れなかった。


「なんで黙ってたんだよ」

「……風間が、心配するかと思って」

「こんな形で知る方がダメージでかい」

「……ごめん」


航太は混乱しているようだった。取り戻したように見えた日常は、かりそめのものだったのだ。航太は今まさに、あの異常者の毒牙にかかろうとしている。


大阪に……あのストーカーのホーム戦に持ち込まれたら、航太なんてひとたまりもない。


——おのれ、狩野田宰め。


風間は歯噛みし、怒りを燃やした。

航太を巧みに洗脳して大阪におびき寄せるなんて、なんて卑劣な男なのだろう。絶対に許すことはできない。然るべきところへ引きずり出してやる。


「……よし分かった」

「え?」


決意を胸に、風間は勢いをつけて立ち上がった。ぽかんと口を開けた航太が、美しい友人を見上げている。


「俺も、大阪に行く」



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