第2話 誠実さの代償
「なにこいつ……きも……」
東京のとあるアパートの一室で、
スマホを握る腕には鳥肌が立っている。
画面の向こうの「ツカサ」に、同じ学生だと見抜かれていることが恐ろしかった。
とんでもない奴に服を売ってしまったかもしれないと、航太はひとり青ざめ、テーブルの上にスマホを置き距離を取った。画面の向こうから、並々ならぬ重さの念を送られてきているようで気味が悪かった。
航太がフリマアプリ「キャルメリ」を利用しようと思ったのは、些細なことがきっかけだった。服好きの兄がある日、「買ったけど着ないからお前にやる」と言って突然航太に段ボールを送りつけてきたのだ。
中には、新品同様の服の山。漁ってみると値の張るショップの服が次々に出てきて、航太は兄の散財っぷりに呆れた。
そのうち、使い勝手が良さそうなスウェットに手を通してみたものの、ぶかぶかでとても普段使いできそうになかった。
アルファの兄と航太では、まるで体格が違うのだ。
この世界には、男女の性とは別に、「第二の性」と呼ばれるバース性が存在する。
バース性は、アルファ、ベータ、オメガの三種に分かれており、人類の大多数はベータである。
このうち、少数派であるアルファとオメガは、互いを惹きつけあう作用を持つフェロモンを発する。
そしてアルファがオメガのうなじを噛むことにより、「つがい」という契約が成立し、フェロモンはつがいの片割れにしか作用しなくなるのだ。
アルファは身体的・知能的に優れ、オメガは定期的に訪れる
思春期に受ける検査で、ほとんどの者はバース性が判明し、その性に適した知識を身につけて生活を送っていく。
航太はオメガだ。
アルファの父とオメガの母から生まれ、次男ということもあり可愛がられて育ってきた。
そしてそれゆえに、彼は素直な性格だった。
「失敗したなぁ……」
自分では着ることがないと判断し、航太は友人の間で話題になっていた、通販アプリキャルメリを使うことにしたのだ。
要らない服を売れば、意外と良い小遣い稼ぎになる、と聞いて。学生にとって、臨時収入は喉から手が出るほど欲しいものだ。
しかし服の山を受け取ってすぐ、航太は発情期を迎えてしまった。定期的に来るものだから対処は慣れていたが、抑制剤を飲んでもほぼ一週間は寝込むことになった。その間、服の山は航太の部屋に置きっぱなしになっていた。おそらく、それが良くなかったのだ。
「そんなに匂うかな……?」
まともに動けるようになり、何の気なしにキャラメリに商品を出して売っただけなのだが、まさか相手がこんなやばそうな男だとは。やはり、顔の見えない取引は恐ろしい。
このトチ狂った男が「運命」だの「つがい」だの非現実的なことを言っているのがまた恐ろしい。
アルファとオメガの中には、本能的に惹かれ合う「運命のつがい」と呼ばれる相手がいる——という話は、もはやひと昔前の少女漫画で描かれた、過去の遺物でしかない。
そんな激しい妄想は一旦置いておくとして、これほど「香りが」「匂いが」と書かれるとさすがに気になる。
腕には鼻を寄せて嗅いでみるが、自分では分かるはずもなかった。
おそらく、この「ツカサ」という男は、アルファなのだろう。アルファはオメガの匂いに敏感だという。航太の
それにしても。
「まじきもい……」
再び呟いて、航太は自分の腕をさすった。
商品の到着連絡が来たものだから、嬉々としてアプリを開いたら、先ほど見たレビューという名の怪文書が綴られていた。
最後まで見るべきじゃなかった、彼は深く後悔した。おかげで、メンタルをごりごりに削られてしまった。
ところどころに自画自賛が盛り込まれているところが、「ツカサ」の不気味さを助長していた。そして終盤の航太への語りかけも気持ち悪い。アルファ恐怖症になりそうだ。
たとえ万が一、まかり間違って「ツカサ」が運命のつがいなのだとしても、こんなやばい奴とは顔も合わせたくないと航太は思った。
こんな男とオトモダチになるくらいなら、定期的にやってくる発情期と付き合っていく方がずっとましだ、と。
せめて匿名配送にすべきだったと航太はうなだれる。男同士だからと、彼は油断したのだ。送り状に律儀に書いたせいで、「ツカサ」が航太の本名と住所を知っているのがまた不安だ。
やっぱり慣れないことをするもんじゃない、と航太は身震いした。ほかの商品もアプリから下げておこう、とスマホに手を伸ばした——そのときだった。
「えっ……」
ツカサさんがあなたの商品を購入しました!
ツカサさんがあなたの商品を購入しました!
ツカサさんがあなたの商品を購入しました!
ブーブーと振動しながら、通知がひっきりなしに届き始めたのだ。
「えっ、ちょ、ま、待って」
急いで商品を下げなければ。
そう思って慌ててアプリを開こうとするが、通知が次々浮き上がってきて航太のフリックの邪魔をする。
ツカサさんがあなたの商品を購入しました!
ツカサさんがあなたの商品を購入しました!
ツカサさんがあなたの商品を購入しました!
航太は半泣きだった。
頭のなかに読んだばかりのレビューの内容が浮かぶ。
——今後hatakeさんが出品された商品は、すべて私が購入したいと考えています。
やばい奴というのは無駄に行動力があるのだと、航太は身に染みて学んだ。
そしてその学びを得たころには、航太が出品していた商品らすべて「ツカサ」によって買い占められていた。
「うそ、まじで……?」
呆然とする航太のもとに、今度は「有言実行です!」「ほかの奴らには渡しませんよ!」「こちら、私のSNSのIDです。よかったらhatakeさんも(^^)!」「ちなみに着用はされてますか?」と怖気立つようなメッセージが怒涛の勢いで送られてきた。
「ひっ……」
航太はすばやくスマホを手放すと、再び距離を取った。十数点出品していたはずなのに、なぜ学生の「ツカサ」がこんなにぽんぽん買えるのか。金持ちだという自慢は本当だったのかもしれない。ますますタチが悪い。
航太は恐ろしさにしばらく立ち尽くしていたが、徐々に冷静になった頭で考え直し、おそるおそるスマホを手に取った。
「ちゃ、ちゃんと送った方がいいよな……。お金払ってもらってるんだし……」
葉竹航太は、不幸なことに誠実かつ真面目な人間だった。
「これで終わりにしよう……これで……」
彼は夜更かしをしてせっせと梱包作業を進めた後、スマホに表示された「ツカサ」の住所と名前を送り状に書き入れた。
——狩野田 宰。
二度と書きたくない名前だ。
そう思いながら航太は梱包した段ボールに送り状を貼り付け、ベッドへ潜り込んだ。
そのときの彼はまだ、アルファの執着の強さを知らなかった。
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