第8話 クールで美人な黒髪の彼女と温泉旅行

「えっち禁止令を発令します」

 三月も半ばを過ぎた頃——そう宣言したのはなにを隠そう俺だった。

 目の前にいる相手は言うまでもなく八蜜はちみつさん。

「珍しいわね。大希たいきくんがそんな冗談を口にするなんて。なにかいいことでもあったのかしら?」

「いえ冗談ではないんですけど」

「そう……わかったわ」

「え……?」

 あっさりと受け入れられてしまった。

「どうかしたの?」

 もっとこう、やだやだと駄々っ子になるのかと思っていたのに……予想外だ。

「いや、八蜜さんがこうも素直に従ってくれると、調子狂うというか……」

「あら。私はいつだって素直よ?」

 失礼ね——八蜜さんはそう言ってから、読んでいた雑誌の見開きを見せてきた。

「これは……?」

 八蜜さんが見ていたのは各地の温泉を紹介している雑誌だったようで、見開きにも良さげな温泉宿が写真付きで掲載されていた。

「大希くん、明日からしばらくバイトお休みでしょう?だから、温泉旅行なんてどうかしら?」

「温泉旅行……それってつまり……」

「お泊まり、ね」

「ごくり……」

 お泊まり……なんて魅惑的な響き。

 俺と八蜜さんは互いの部屋にこそ泊まったことはあるものの、遠出して宿泊施設でという経験はまだなかった。

「でも、さっきえっち禁止令を出したばかりですし……」

「あら。大希くんは温泉に入るより私に入るほうがいいのかしら?」

「それはノーコメントで……でもお泊まりって、ようはそういうことですよね……?」

 若い男女が宿でお泊まりするということは、必然的に官能的な意味合いが含まれる……気がする。

「どうするの?えっち禁止令、解除する?」

 試すように顔を覗きこんできて、困っている俺の反応を楽しげに見上げてくる悪女かのじょ

「い、いえっ……男に二言はないんでっ!」

「そう——楽しみね、旅行」

「そ、そうですね……」

「ほんとうに……楽しみだわ」

 このときの俺は気がつくことができなかった。

 八蜜さんがほくそ笑んでいることに。

 八蜜さんの企みに……。


      ***


 温泉旅行当日——。

 ちなみに今回の旅行には『遅いホワイトデー』と『付き合って三ヶ月記念』という二つの名目があるのだとか。

 三ヶ月……一緒にいる時間が長すぎて、もう何年も付き合ってるつもりだったけど、まだそんなものなんだな……。

「どうかしたの?」

 電車での移動中、しみじみと八蜜さんとの思い出を振り返っていたところで声をかけられた。

「いえ、まだ三ヶ月なんだなと……」

「五年以上も片想いをしていた身としては複雑な気持ちね……」

「人違いだったからですか?」

「そのことは言わないで」

 八蜜さんは五年も前から俺のことをストーキングしていて、実はストーキングする相手を間違えていたと気がついたのは二ヶ月ほど前のことだった。

「今さらですけど、どのタイミングで間違えたんでしょうね?顔は当然違うでしょうし……」

「人の黒歴史を掘り返さないで。いいじゃない別に。こうして大希くんの恋人になれたのだもの。私、いますごく幸せよ?」

「それは俺だって、こんなエロ……いや、クールで美人な黒髪の彼女ができて幸せですけど……」

「いまエロいって言おうとしなかった?」

「気のせいです」

「そう?まぁ否定はしないけれど」

「そこは否定してくださいよ……」



 そうこうしている内に予約していた温泉宿へ到着し、部屋へと案内された。

「立派な和室ですね」

「立派な和室って具体的にどういった部屋のことを言うの?」

「えっと……畳が綺麗、とか……?」

「……不合格ね」

 和室の話はなかったことにした。

 ノリで言っただけなのにまさか水を差されるとは……。

「早速だけれど温泉へ行きましょうか。大希くんも一緒に入る?」

「逮捕されたくないんで遠慮しておきます」

 彼氏を犯罪者にするつもりか……。

 自宅の風呂に誘うノリで言うのはやめてほしい。



 男湯について語っても虚しいので全面カットで。

 え?八蜜さんの入浴シーン?

 あるわけないだろふざけんな!

 その代わり浴衣に着替えた湯上がりの八蜜さんなら向かいに座ってお茶をすすっているけど。

「クールで美人な黒髪女性の浴衣姿って似合いますね」

「そう……大希くんはクールで美人な黒髪の女性ならだれでもいいのね……?」

「ごめんなさい八蜜さんだから似合ってるんです」

 美人な八蜜さんに睨まれてつい平謝りしてしまう俺だった。

「ところで、のんびりしてるとこなんなんですけど、八蜜さんって就職先は決まってるんですよね?」

 八蜜さんは四年生——なのは今月までのことで、来月からは大学生ではなく社会人の仲間入りを果たす。

「三月も後半になってそれを訊く……?」

「八蜜さんっていつも余裕そうにしてるので、心配していなかったというか……」

「まぁいいけれど。決まっているわよ」

 さすがと言うべきか。就職先は決まっていた。

 この時期に決まっていなければそれはそれで心配になっていただろうけど……。

「へぇ。どんなことをする会社なんですか?」

「そうね……お世話をする仕事かしら」

「お世話……?保母さんとか、介護職とかそんな感じですか?」

「そんなところね」

 子どもたちを相手に優しく微笑み、いけないことをしたら優しくたしなめてくれる八蜜さんを想像する。


「イケナイ子には罰が必要ね。ふふ……みんなには内緒よ……?」

 そう言ってあゆかわせんせーは、ボクの男の子を——


 ってこれはいかがわしいやつだ……!

「手を出したらダメですからねっ!?」

「いったいナニを想像しているの……?」

 それはそれとして……俺も八蜜さんにお世話されたい。

 四六時中甘やかされたい。

 無垢な子どもに戻って、童心を利用してあの胸に顔を埋めたい……。

「大希くん。隣に行ってもいいかしら?」

「へ?あ、どうぞ」

 よこしまなことを考えてどうする。

 えっち禁止令を発令したのだし、しばらくは無心になってエロいことを考えるのはやめに——。

「おひゃぁっ!?」

「おひゃぁ……?」

「いえなんでも……」

 隣に座っていいとは言ったけど、八蜜さんは必要以上に体をくっつけてきた。

 浴衣越しに生乳が腕にあてがわれている。

「八蜜さん……?えっちは禁止ですからね……?」

「くっつくのもダメなの?」

「いえ、それくらいならいいですけど……」

 いいと言うかむしろウェルカムなのだけど、それはそれで俺の理性が危うい。

 腕は胸にあてられ、肩には頭を乗せられて全体重を預けられてしまう。

「なんだか体が熱いわね……」

「のぼせちゃったんですかねっ!?」

 言いつつ浴衣を脱ごうとしている八蜜さんを制止する。

「大希くんは……元気じゃなさそうね……」

「どこ見て言ってるんですか!?」

 俺の顔ではなくお腹の下あたりに熱い視線を向けて言う八蜜さん。

「そろそろお布団を敷いておこうかしら?」

「お昼寝したいんですね!?」

 まだ陽が沈むまで数時間はある。熟睡するには早すぎる時間帯だ。

「さっきから必死ね大希くん……そんなに私とえっちするのがイヤなの?」

「だからイヤではないですよ……ただ——」

「ただ……?」

 八蜜さんは心配そうに俺の顔を覗きこんでくる。

「なんか……体目当てみたいで、なんかイヤです……」

「私は割と体目当てなところがあるのだけれど」

「それはそれで嬉しいと思ってしまう男心……!」

「大希くんが私としてくれなくなったら、きっと私——」

 え、ま、まさか浮気しちゃうとか言うんじゃ……!?

「毎日一人で慰めてるわ」

「割と普通で安心しましたよ!?」

 だいたい今でもたまに一人で……いや、ここではよそう。

「ねぇ、大希くん」

 と、語りかけるように八蜜さん。

「な、なんですか……?」

「浴衣プレイって、興味ない……?」

「……」

 このあとめちゃくちゃ浴衣プレイした。

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クールで美人な黒髪の先輩に貞操を奪われまして。 鮎猫 @LO_and_VE

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