第5話 クールで美人な黒髪の彼女とバレンタイン

 八蜜はちみつさんのとんでもない人違いが発覚してから一ヶ月が経過していた——。

「ラブコメの定番イベント『バレンタイン』の日が間近に迫っているということで、今日はいつものメンバーに集まってもらったわ」

 などとこれから女友達で集まってチョコレート作りをするかのような発言をした八蜜さんは俺の部屋でベッドに腰かけ、床には俺が正座させられているのみだった。

 いつものメンバーと言えばたしかにそうなのだが、俺は貰うほうではなかろうか。

「確認のために訊くんですけど、八蜜さんはチョコを渡す相手は決めているんですか?」

愚問ぐもんね。あなた以外のだれにあげろと言うの?」

 ただし——八蜜さんは言葉を続ける。

「貰う側も、無償で貰えると思ったら大間違い。大希たいきくんにもそれ相応の対価を支払ってもらうわ」

 八蜜さんの言い分はもっともだ。

 女性が好きな相手に一方的にチョコを送る——そんな風習はもう古い。

 ホワイトデーに返す男性もいるだろうが、本命相手ならともかく義理で貰って返す男性は多くはないはずだ。

「その対価というのは……?」

「実は欲しいものがあって……大希くんにお願いしようと思っていたの」

 なぜか頬を染めて言う八蜜さん。

 これはろくなものではない予感……。

「欲しいものって……?」

 さあ来い!どんな答えが返ってこようと驚かずに受け止めてみせる……!

「ラブ○イブのコ○ケ限定版のCDよ」

 よくわからないけど思ったより普通な物だった……!

 てっきり『あなたの子ども』とか、ある種定番のボケがくるのかと思っていたのに……。

「CD、ですか……?そんなものでいいんですか?別にバレンタインじゃなくても、欲しいなら買ってあげますよ?」

「そんなもの……?」

 ピクリと八蜜さんの眉が吊り上がる。

 あ、地雷踏んだかもこれ……。

「今や人気コンテンツと化し、CDの売り上げはゆうに一万を超えライブも毎回満員!——でもね、アニメ化する以前は人気も知名度も、今とは天と地との差があったの。初のデビューシングルを販売した夏○ミでは五百枚にも満たない数しか売れなかったと言うわ。その後一般発売された通常版も当初の売れ行きはかんばしくなかった……しかし!今やコ○ケで数百枚しか売れなかったコ○ケ限定版にはプレミアがつき、フリマサイトでは十万以上で取引されているのよ……!」

 クールさはどこへやら……なにやら熱く語る八蜜さん。

 その後三時間ほどラブ○イブについてご高説をたまわったが、俺に理解できたのは一割にも満たなかったという……。



「結論から言うと十万は無理です」

 プレミア価格で十万円以上になるCD

が欲しいと言う八蜜はちみつさんに、はっきりと結論を口にする。

 たとえ彼女の頼みでもこちとら苦学生。無理なものは無理なのである。

「知っているわ——というより、大希たいきくんが無理してでも手に入れるなんて言い出したら別れ話をする予定だったくらいよ」

「そんな大事な分岐点だったんですか今の!?」

 ラブコメによくある『今までなかった設定が突然付与される話』だと思っていたけど、とんだところに地雷が隠されていた……。

「私は大希くんと楽しくおしゃべりができればそれでいいの」

「八蜜さん……」

「欲を言えばもう少しえっちの回数を増やしてほしいくらいかしら」

「とんだ欲張りさんだ……!?」

 たとえ彼女の頼みでも、男には体力にも精力にも限界があるのである。

「本題に入りましょうか」

 どうやらコメディシーンはここまでのようだった。

「四話まで読み返してみてふと気がついたことがあるの」

 四話?読み返す?はてなんのことやら……。

「私、これまで大希くんに一度も『好き』と言ったことがないのよ……!」

「な、なんだってー……!?」

 言われてみればたしかに文の上では言われていない。

「ということで、バレンタインを利用して『好き』と言おうと思うの」

「それをいま俺に言ったら意味ありませんよね!?」

 そういうのってサプライズにするべきなのでは……?

「本来であればそのとおり——サプライズにすべきことよね」

 まさか八蜜さん……俺の心を読んだ……!?

(ふふ……身も心もあなたに染まったと言ったでしょう……?あなたの考えは手にとるようにわかるのよ大希くん……!)

 八蜜さん、脳に直接……!?

(それで大希くん。私はこのバレンタインで『好きな相手に告白する初心ウブな女子学生』を演じてみようと思うのだけれど、されて嬉しい告白のシチュエーションはあるかしら?)

 されて嬉しい告白のシチュエーション……?

(そうよ。せっかくのバレンタインだもの。これまでだれからも告白されたことがない大希くんのために、その理想を叶えてあげようという彼女なりの優しさよ)

 微妙に引っかかる言い方……!

 その後俺と八蜜さんは、常人を超えた脳内会話を繰り返したという……。



 そしてバレンタイン当日の朝——!

 俺の部屋に後輩——という設定の八蜜さんが訪れた。

「朝早くからすいません大希先輩……」

「それはいいけど、どうしたの?」

「あ、あの……実はですね……」

 恥ずかしがり屋な後輩女子がチョコを渡し告白する——俺の考えた告白シチュエーションを再現し、そわそわと落ち着かない様子の八蜜さん。

「今日って、バレンタイン……じゃないですか……だからその、大希先輩のためにチョコを、作ってきまして……」

「俺に?それって……」

「……やっぱりこんなの私のキャラじゃないわ」

「え、八蜜さん……?」

 台本とは違うセリフを言う八蜜さん。

 俺のために俺がされて嬉しい告白シチュエーションで告白してくれるというプレゼントは……?

「私はクールで美人な黒髪の先輩であって、ちっぱいそうでうじうじしている女子中学生じゃないのよ」

 そんなキャラ付けはしてないけど!?

「別に私は、大希くんのことなんて好きじゃないんだからね」

 やや棒読み気味にクールなキャラを……。

「ってそれツンデレキャラの鉄板のセリフ!?」

 しかも「好き」と言ってくれるのがそもそもの目的だったはずなのに、ツンデレセリフのせいで真逆のこと言われたんですけど!?

「ふふ。私がそう簡単に『好き』と口にするわけないじゃない」

「そうですか……八蜜さんは俺のこと、別に好きじゃないんですもんね……」

 ため息をつき、わざとらしく表情に影をおとす。

「た、大希くん……?冗談よ?私の気持ちは言わなくてもわかってくれているわよね……?」

 不安げに八蜜さんの顔が青ざめていく。

 計画どおり……!

 八蜜さんはスキンシップが激しく距離が近い。

 つまり寂しがり屋なのだ。

 俺に心酔しているからこそ、俺に距離をおかれることを恐怖している。

 心は痛むが、これも八蜜さんに「好き」と言ってもらうため。

 その心の隙間を利用させてもらいますよ、八蜜さん……!

「わかりませんよ。俺は鈍感なので、言ってくれないと、すごく不安になるんです……八蜜さんは本当は、俺のこと好きじゃないんじゃないかって……」

「そ、そんなことないわよっ、私はあなたのこと、あなたが私にいだいている以上にっ……!」

「だったら、ちゃんと言葉にして伝えてくださいよ」

 あと一歩だ……!

 もう少しで八蜜さんの口から「好き」という言葉が聞ける……!

「どうしてそんなこと言うの……」

「え……?」

 八蜜さんの瞳から雫がこぼれていた。

「私は不器用だから……えっちすることでしか、伝えられなくて……どんな求めにも応じてきたのに……」

 むしろ八蜜さんから求めてくることのほうが多かったような……?

「あの、八蜜さん……?」

「初めてのときも、酔った私を無理やり襲ったのは大希くんだったじゃない……」

 んん……!?

 あれあれ?以前と言ってること違くない?

「大希くんこそ……本当は私のこと、好きじゃないんでしょう……?こんな美人がヤラセてくれてラッキーぐへへくらいにしか思っていないのでしょう?」

「たしかに八蜜さんみたいな綺麗な人とえっちできるのは嬉しいですけど……」

 ナチュラルに自画自賛してる部分はとりあえずスルーしておく。

「けど……?けど、なに……?」

「好きという気持ちは本当です。体目当てなんかじゃありません」

「だったら、私のどこが好きなのか言えるわよね?どこが好きなのか百個言ってみて」

「ひゃっこ!?」

 いくら好きでもいきなり百個言えと言われてパッと浮かぶはずがない。

「制限時間は一分よ」

 シンキングタイムすら与えてもらえなかった。

 詰みだ。

「はい一分経過」

「いやまだ十秒も経ってないはずですよ!?」

「私の中では一分経ったのよ」

 これはひどい。

 八蜜さんタイムだった。

「ところで大希くん」

 どこか楽しそうな様子の八蜜さん。

「はい——というか八蜜さん、さっきまで泣いて——」

「大好きよ」

「へ……?」

 不意に放たれた言葉きもちに呆気にとられ、おもわずポカンとしてしまう。

「言ったでしょう?私は大希くんと楽しくおしゃべりができればそれでいいって」

「もしかしてさっきまで言ってたことって……」

「もちろん——冗談よ」

 してやられたぁぁぁ!?

 やっぱりこのひと悪女なんじゃ……!?

「途中で大希くんの魂胆がわかったから、やり返してやろうと思ったのよ」

「あの涙も嘘だったのかぁぁぁっ!?」

「そうよ。私が濡らすのは下のほうだけなんだから」

「急に下ネタぶっこんでこないでください!」

「やられたらやり返す……ベッドの上でパイ返しよ」

「そこは百パイ返しでお願いします」

 なんだこのやりとり。

 そしてなんだパイ返しって。

「その件はあとでじっくりねっとり話し合うとして……はいこれ」

 丁寧に包装された小さな箱を投げ渡された。

 台本では告白してから渡してもらう予定だったチョコである。

 そして台本では投げ渡すのではなく手渡しだった。

 ちなみに八蜜さんの手作りであるらしい。

「ありがとうございます。もちろん本命チョコですよね?」

「ちがうわ——だいっっっっっ……本命チョコよ」

「家宝にします」

「ちゃんと食べなさい」

「わかってますよ」

 さて……そろそろ俺の番かな。

「俺も八蜜さんに渡すものがあるんです」

 そう告げて隠していた箱を取り出す。

「もしかしてコ○ケ版CD……?」

 まだそのネタ引っ張るのか……。

「それの十分の一程度の値段ですが……」

 八蜜さんには倣わず、手渡しで箱を渡した。

「CDが入るような大きさでもないものね——開けていい?」

「どうぞ」

 パカっ——俺の渡した箱を開けた瞬間、八蜜さんは目を丸くした。

 次いで頬を赤くさせる。

「こ、これって……」

「婚約指輪……の、つもりです」

 高値のものはさすがに無理だが、いずれ結婚するのに婚約指輪を贈らないというのもアレなので、バレンタインを機に貯金を崩したのだ。

「まだはっきりと言っていなかったので……八蜜さん」

「な、なに……?」

 何を言われるのか八蜜さんも察しているのだろう。

 変わらず顔を紅潮させて次の言葉を待っている。

「俺と結婚してください」

「いやよ」

「……え?」

 期待とは真逆の答えで即答され、自分の耳を疑った。

「八蜜さん……?いまなんと……?」

「いやと言ったの」

「えぇぇっ!?」

 俺のサプライズプロポーズは失敗に終わった……。

 これでも勇気を出して一世一代の大勝負だったのに……。

 その後、俺の行方を知る者はだれもいなかった……。


「勝手に終わらせないで。ちゃんと最後まで聞きなさい」

「え……?」

 絶望している俺に手を差し伸べる天使のような八蜜さんの言葉。

「大希くんは指輪なのに、私はチョコって……割にあっていないもの」

 拗ねたような八蜜さん。

 割にあっていないと言われても……。

「別にチョコのお返しというわけでもないですし、そこは気にしなくていいんですけど」

「私が気に入らないの」

 そういうわけだから——指輪の入った箱を返される。

 おかえり俺の貯金の成れの果て。

「今回は私の負けね」

「そうなんですか?」

 いつから勝負になっていたのかわからないが、そういうことらしい。

「次は私からプロポーズをするわ」

「はぁ」

「そして次こそはあなたに勝つ!」

 プロポーズに勝ちとか負けとかあるんだろうか……。

「そう——これは、私のプロポーズ大作戦よ……!」

 知ってる作品とかけ合わせて言いたかったんだろうな……。

 俺は温かい目で八蜜さんを見つめていた。

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