第57話 鉄の森、蒸気の霧 - 22
接戦を演じるにしても周囲のチンピラにわかるレベルの八百長みたいな動きは逆効果になる。
となると……イネちゃんが全く持って修練していない地球では興行になっているプロレス的なものが必要になってくるのだけれど。
『アレ、下手な人がやると八百長にしか見えなくなるよね』
イーアの言う通り本来は中南米の宗教儀式の一環から来ているものなのでストーリーがあるし、相手の攻撃はそのストーリーに沿う形以外回避は極力してはいけないわけで……さっきまで回避していた人間が全部攻撃を受けるとかプロレスを知らない人間からすれば八百長にしか見えないわけだ。
つまり接戦に見えるようにイネちゃんがやるべきことは。
「全部カウンターするか、カウンターされるようにしつつ抜け出せる攻撃をするか」
やりすぎてもダメだし、やらな過ぎてもダメ。
先ほどのタックルに対してのカウンターのやり方も地味すぎて周囲のチンピラ連中には伝わらないため極力避ける。
要するに派手でなければいけないし、遠巻きに見ているチンピラにも確認できるような大袈裟な動きも必要だし……正直イネちゃんの体型だと縛りが強すぎて面倒がすぎる。
ボクシングはやって見せたし空手や合気、システマなんかは周囲の連中から見れば地味もいいところだし相手の見せ場という点において下の下。
だったらもう動きが大きく見た目も派手ということで演舞メインの中国武術やイネちゃんの体格的に練習を一切していないプロレス技辺りでお茶を濁しつつ、ある程度あちらの見せ場を作れたら見た目が派手なだけで力は周囲に逃げまくるような攻撃で終わらせるのが最適解。
問題は演舞や見ただけのプロレス技でそこまで圧倒することが出来るのか、発勁遠当ての要領でしっかりと力を分散させられるかどうか……イネちゃんが普段からやっているのは集中なのでやろうと思えばできるとは思う。
ぶっつけ本番とまではいかないにしても武器や勇者の力を使用しないという条件だと体格と実力差でその手加減をやれるのか不安にはなるが……。
「やるしかないか」
気だるげに呟いてから深く呼吸をして意識を自分の身体の中に向ける。
演舞にしても武術は武術。
出来るだけ動きが大きく派手になるように流れる型をしながらあちらが踏み込んでくるかを空気の動きと地面の揺れに注意してみるがあちらはどうも実力差からの待ちを選択したらしく動きがみられない。
距離にして5mは離れているもののここまで意識を集中すれば少しながら呼吸を感じ取ることも出来るが、その動きすらも男は抑えているように思えるほど集中している。
『呼吸も抑えての意識集中か、やっぱ真正面に肉体言語だけってなると面倒そう』
なのでイーアにも手伝ってもらうこと前提で、震脚を行い一拍ずらして大きく踏み込む。
あちらは震脚を行った時点で飛んでくると思っていたのだろう動きでカウンターを入れようと動いた結果こちらの動きよりも一拍速く動いてしまいしまったという表情がはっきりと伺うことが出来る。
最もこの喧嘩屋なら野生の勘に近いもので重心の安定を捨ててでもイネちゃんの動きに合わせて蹴りなんかを入れてくるだろうから見せ場にはなるはず。
しかし男は蹴りではなく重心を崩し倒れ込む勢いをそのまま利用してイネちゃんに向かって拳を前身の体重を乗せて振り落としてきた。
いつものノリであるのならこちらは両足を地面につけているので真正面から受けきる……のだけれど、今回は相手の見せ場も考えなければいけないので可能な限りこちらが派手にダメージを受けるような演出をする必要がある。
となれば使える技術は思い当たるだけでいくつかあり、そのうえであちらが凄そうに見える技術は飛び切りなものが1つ。
男の拳がイネちゃんの額に当たる直前に全身の力を可能な限り抜き、完全な脱力状態で拳を受けて派手にその場で一回転させられるような形に宙を舞いつつ状況の確認を行う。
周囲のチンピラ連中は沸き立ち、ルスカは驚愕の表情……ここまでは想定通りにしても男が手ごたえに対して起きている事象が明らかに釣り合っていないことで混乱しているように見えるものの、すぐに体勢を整えようとしているところは流石の野生的勘と言ったところ。
立会人である黒衣の女はどこかで
「クソッ……!」
男はそう漏らしながら呟きつつ離れるように転がり距離を取った。
「へぇ、追撃はしないのか」
その様子を見てから2回転くらい空中で回って着地する。
「やっぱ無傷かよ、追撃してたらこっちが死ぬだろ」
「いやぁ死なないよ、死ぬような攻撃する予定なんてないし」
「それはいつでもヤレるって意味だぞ全く……」
空中を回転していた人間がダメージがないような表情をして、尚且つその現象を発生させた攻撃側の人間の方が額に汗を浮かばせて焦っている様子に周囲は困惑しているのがわかるくらいにざわついている。
「一応見せ場は作ってあげたつもりだけど……まだやる?」
「確かに一瞬だけ場は沸いたけどな?」
まぁ、明らかに実力差が大きいことを証明したに過ぎない1回だけの打ち合いとすら言えないものでは見せ場というにはほど遠いものか。
「しかし続けても俺が侘しくなるだけ……今の状況は何かしら手品か魔法かと疑う奴もいるだろうが」
「やってくれるん?」
「命と天秤にかけるのならそっちの方が絶対安いからな」
反発を抑えると断言してくれたんあらこちらとしては警戒を緩めるのは出来るし、当初の計画よりは後退するものの予定通り進めるには支障がない。
後でやっぱ無理だったと言われたところで現状から改善することはほぼ確定事案なのでこちらに損となるのはよほどのことがない限り有り得ないので、双方の同意が取れればここで終わりにして手打ちの方がこちらは手間が、あちらは安全がと落としどころとしてはこの辺りなのも相まってリーダーの男は終わらせたがっているわけだ。
「だが舐められたままってのは許されないってことは忘れてんじゃねぇよ」
唐突にドスをたっぷりと効かせた低音ボイスがチンピラの囲いの向こう側から隠すつもりもないだろう殺気を纏いながら姿を現す。
「ボス、速いですね」
「……確かにテメェでも無理な相手だろうしそこのプロでも難しい相手なのは分かるがよ、この業界信用や金以上に面子ってのが大事なのはもっと理解してくんねぇか」
ボスと呼ばれた男は意外なことに大男というと嘘になるくらいに背がそれほど高くなく、周囲の人間や物品からの推測だと概ね160前後で筋肉も魅せるものではなく実用特化な上に服装も体型を特定させないようなサイズが上のものであろうコートにポケットと思われるスロットが多めにある。
「今その面子を保つための第2ラウンドだったんだけど」
「あんな曲芸領域の受け技をやっておきながらよく言う」
殺気を隠そうとしない理由自体は分からないものの、少なくともボスはこの街で出会った中ではあのプロの暗殺者がしっかり3人で連携してくる前提でならプロの方が、単独での戦闘なら目の前のボスの方が苦戦するかもしれない。
かもしれない、というのはどうにも実力を計りかねている。
「魔法無し、武器無しでこいつ相手に圧倒出来るような奴はあまり出会わないからな、少し殴り合いってのをやってみたかったんだが……チビの女ってまでは聞いていなかったな」
「身長は分からんでもないけれど性別ってそこまで重要?」
「俺の知っている範囲では、まぁそこまででもねぇな。そこのプロ連中も女であるわけだからそこで舐めてる奴は死んでるかその辺で管巻いてるだろうよ」
管を巻いているってのはちょっと想像しにくいものの言いたいことは分からないでもない。
この世界には魔法があり、銃器を作り出せるだけの技術力もあるのだからイネちゃんやそこのプロでなくとも相応の戦闘能力を確保することが出来る。
そういう意味でもこの世界においては性差による戦闘能力の差は殆ど存在しておらず、現代地球における区別範囲程度かそれ以上に関係ない状態なのは表の軍隊を見るよりも裏社会を見た方が理解しやすく、この場はそれを証明するのにちょうどいい場になっている。
「それで、わざわざ出てきたってことは組織として連中を引き揚げさせるためだったらありがたいんだけど」
「俺である必要性がないこと言うんじゃねぇよ、それに俺個人として強い奴と殴り合ってみてぇからこの場を利用させてもらうぞ」
あぁそういう。
反社とか半グレとかそういう手合いだけどトップはそういった組織運営はあまり興味がなくてカリスマ性だけで牽引するタイプだ。
こういう手合いはアレコレ理屈を並べて理論で納得させたところで最初に決めた内容を変えることはないので殴り合うしかない。
「はぁ、わかったけどとりあえずその全方位無差別の殺気しまってくれない?このままだと弟子が大変なことになりそうだし」
「弟子だぁ?」
ボスは語尾が上がるような口調でルスカの方に視線を向けると同時に、ルスカが少し粗相をしてしまったのか少々下の方が気持ち悪そうな動きをしているのが見える。
「すまねぇな、手遅れみたいだ」
「じゃあ後始末分慰謝料として色々貰うために乗ってあげるよ」
「おぅよ!魔法も武器も有りでいい、本気でやろうや!」
後のルスカのケアも含めて面倒が頂点に達した気分になりつつも、ボスの制限解除宣言と同時に今日最後の決闘が始まるのであった。
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