第55話 鉄の森、蒸気の霧 - 20

 ルスカの一撃は胴体に当てたとはいえ、相手が自慢の筋肉による全重量を乗せた振り下ろしに合わさったために悶絶状態で立てずにいる。

 しかしながら立会人である黒衣の女は終了をコールしていないのでイネちゃんはまだ動けないし助言も控える。

 普段から状況確認の大切さを耳がタコになるレベルで伝えてはいるのでルスカがそこまで油断、慢心することはないとは思うものの状況はルスカが油断してもおかしくはない流れ。

 決闘の終わりが告げられない意図は概ね予想は出来る。

 黒衣の女はプロで中立を何度も確認していた以上はどちらかに肩入れすることはないだろうことにルスカが自力で気づけるかどうか……気づけないにしても一度距離を取る判断を取れれば及第点というところ。

「終わりか……」

 イネちゃんにとっては大変残念なことにルスカは落第点の言葉を出してしまう。

 完全に油断しているわけではないのは構えを解いていない点は評価できるものの正しい状況判断を失敗しているのは確実であるのは構えながらも近づいてしまっていることから覗き込む可能性が高く、悶絶している男がチンピラで喧嘩慣れしているだろうことを考えれば勝つためには演技の1つや2つしてもおかしくない。

 つまりその2人が揃うとどうなるかというと……。

 悶絶していた男がルスカにタックルをして見事なまでにマウントポジションを取られてしまう。

 うまいことやれば下の人間が上の人間の重心コントロールできるように出来たのだが……ルスカにはまだ教えていないのでそこは減点ではない、タックルに対応できなかったのは減点だけど。

 トドメを刺せない環境、状況で相手の戦闘不能を確認するのであれば足払いとタックルは強めに警戒しておかないとっていうのは野生動物相手に対しての対応から応用できるので減点、というのは流石に厳しすぎるか。

 慢心しすぎて下になったルスカは悶絶していた男は演技ではなくやせ我慢であったことがわかる脂汗を額に浮かばせながら振り下ろす形の攻撃を重さに慣れてきたのか両手に装備している手甲で受けるのが間に合うようになり、攻撃者と防御者共にダメージが入るような状態を数分続けるとお互いが息も絶え絶えで距離を取る。

「クソ……」

「重い……」

 男が悪態をつき、ルスカは装備の重さを口に出す。

 手甲自体の重さは工房にいる時に横目で確認した限りでは鉄製になめし革の複合である都合片方重く見積もっても3kg程度の厚みに見えたのでそちらは今のルスカの筋肉量なら問題ないはず。

 やはり肩の盾が明確に重く負担になっている。

 布部分だけでも手甲並の重量は最低でもあるし、うろこ状に鉄板を吊り下げているため重さは更に大きくなり……正直イネちゃんでもあの盾をまともに運用できるかわかったものではないトンデモ装備なので外す判断が出来るかどうかの問題になってくる程度には重量ハンデを背負っていることになる。

 今から外してもルスカのダメージ的に少し厳しいか……大丈夫とは思うもののもう少し今後の活動に対して安全確保が出来るように交渉しておくべきだっただろうか。

 とはいえ泥沼の消耗戦になってからも踏ん張れるように日々体力作りをさせていたこともあり、相手の男がどの程度の基礎体力を持っているのかがわからないから流石に楽観視するには慢心が勝ってしまう流れになってきた。

「さて……」

 命が天秤に乗っていない決闘である以上ルスカがどこまで粘れるかがわからない。

 イネちゃんたちの無事を担保するだけの対話は出来ている、あちらも安全安心に撤退できる担保をチップにこの決闘にコールしたためルスカの身の安全もプロの暗殺稼業の3人が保証してくれる。

 問題はイネちゃんがこの街でやりたかった装備の調達と安定供給に支障が出てしまうということなので出来ればここで解決してもらいたいけれど。

『自分で蒔いたものだから今後の展開もいくつか考えないとかな』

 イーアの言葉通りこの状況を作り上げたのはイネちゃん自身なので不都合が出るようならばこの街に長期滞在することも計画しておかないとか。

 イネちゃんがアレコレ考えている間にもルスカと男の決闘はお互いが息を整えるための緩やかな打ち合い程度になっていて……立会人である黒衣の女とイネちゃんとあちらのリーダー格の男の3人を除いてやじを飛ばすくらいには見世物試合としての役割は無くなっていた。

 リーダー格の男にしても言葉で制止せずに目線だけで周囲の連中にうるせぇといった気配を飛ばす程度にしていることから退屈であることは退屈なのが良くわかる。

「おい、そっちの女!ちょっと立会人のところまでこい!」

「……まぁわかったよ」

 どうやらあちらとしても下っ端の暴発は懸念事項のようで立会人含めて話し合いを求めてきた。

 こちらとしてもルスカが数日動けなくなる程度ならいいけれど、今の流れが続くと周囲のチンピラが暴発して銃を使いだす可能性は考えていたので渡りに船ではある。

 イネちゃんが同意して立会人のところまで移動を……あちらが始めるのを待ってから移動をして立会人のところまで移動するも決闘中の2人はこちらを気にする余裕がなくなっているのか緩慢な動きながらも止まることなく続いている。

「いつかは終わるだろうがありゃダメだな、決闘になっちゃいねぇ」

「原因はルスカ側とは思いますけどね、今日試着してた装備が重すぎたので」

「あの肩の奴か……無けりゃ確実に勝てるってか」

「少なくとも今の相手には勝てる程度には鍛えてあるつもりなんですよねぇ」

「お互いの代表が雑談をするためだけにここに来たのですか?」

「いや確認しただけだ」

「当人たちとこっちは問題ないけれど、そっちの下っ端連中がどちらが勝っても暴発しそうだからね」

「結果は結果で受け止めさせるつもりではあるがな、厳密な上下関係じゃねぇ組織な上に俺の上連中も現場が勝手にやったことだろと言い出すのをあの連中が後押しさせかねねぇからな」

 リーダー格の男は説明に続けて小声でめんどくせぇと漏らす。

「魔法を使わずにやってくれねぇか?」

「構わないけれどそっちは部下が暴発した時点で制限無しにするからね」

「あぁ……やりたくねぇなぁ、負けるのがわかってる殴り合いなんざ損しかねぇってのに」

「そっちの部下連中のレベルの低さには同情するけどね」

 千日手ではないにしろまだしばらく終わりそうにない目の前の泥試合を立会人にストップしてもらい、あちらが全力で避けようとしていたイネちゃんとのタイマンを要請してきたわけなのでこちらが断る理由は特にない。

 このままだとルスカは思考停止状態で結構な重傷で動けなくなることがほぼ確定である以上イネちゃんには渡りに船の提案なわけで……あちらにしても傭兵ギルドに正式登録している傭兵相手に大規模抗争を仕掛ける形になってしまうと街での権力を純然に利用できない個々人の戦闘能力が高い集団相手に戦争することになるわけでろくなことにならないのが確定してしまうためこの辺りが落としどころ。

 リーダー格の男は政治的判断が出来て部下の尻ぬぐいも嫌々ながら請け負える辺り反社会勢力所属でないのなら理想の上司になれていただろうに。

「では今行われている決闘は千日手として止めます」

「おうやってくれ」

「当人のケアは各々でやればいいからお願い」

「分かりました」

 男とイネちゃんの了承の確認を聞いた黒衣の女は即座に動き、目立った痣等はないもののお互い肩で息をしていた2人をあっさり鳩尾に一撃を入れて決闘を止めてから。

「千日手と判断いたしました、決闘は別の人間が代替することとなります」

「代……わり……?」

 ルスカが昨晩ほどには空気が抜かれなかったのか疑問を漏らす。

「このままだと周囲の連中が暴発して決闘の意味が完全になくなりそうだったから苦肉の策」

「そりゃこっちのセリフなんだが、まぁいいか」

 チンピラ代表だった男は今の鳩尾への一撃で気を失ったようで動きはないが、ルスカはイネちゃんとリーダー格の男、それに立会人だった黒衣の女の姿を確認して悔しそうな顔をしながら呼吸を整えようと深めに呼吸をしようとする。

「こちらでお預かりします、立ち合いは必要でしょうか?」

「そりゃ必要だ、実力差で言えばいらないと思うのも仕方ねぇとは思うが決闘の体は整えないといけねぇからな」

「了解しました……そちらも構いませんか?」

「いいよ」

「了承をいただきました……正直今のように止めろと言われても止められないと思いますので」

「わぁってるよ。こっちはそれなりに本気で行くがそっちは雑に手を抜いてくれればとは思うがな」

 本当この2人はイネちゃんのことを何だと思っているのか。

 イネちゃん自身も負けるつもりも実力的に負ける要素はないと自信を持って言えるものの……重傷ではないものの動けないルスカに意識を少しは割かないといけないし、魔法を使うなという制限をかけられた以上は勇者の力を運用を考えないでやることになる。

 元々イネちゃん自身勇者の力抜きで自分の体格の倍以上の相手を複数倒すことを想定した訓練をしていたので不安はないがどれだけ消耗させられるかが読めない部分に怖さを感じながらもお互い向き合う形で立ち。

「それでは、始め!」

 号令がかかり、新しい決闘が始まった。

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