第54話 鉄の森、蒸気の霧 - 19

 あちらさんの代表とルスカの戦いはあまり見所になりそうなものがない流れで進行していた。

 ルスカは肩の防具を外せばいいのにつけたまま始めたものだから動きが鈍いしその動きの鈍さでもまともに攻撃を合わせることが出来ない相手という形で、何とも言えないスローな組手にしか見えない。

 とはいえ重りをつけての1対1の対人戦という貴重な体験をやらせることが出来たのはラッキー、ルスカの修行という1点においてはこの流れは大変ありがたい。

 とはいえ相手もまだこちらの排除を諦めていないようで所々から鋭い殺気を向けられているのはルスカのカバーをすることも含めて少々よろしくないのも事実。

 黒衣の女も中立は崩さないだろうしイネちゃんが改めて雇うにしても懐事情から難しいので選択肢には入れられなく、土魔法と認識させた勇者の力も万能具合をどこまで発露させていいのか決めあぐねているためイネちゃん自身の問題ではあるものの現時点でのこの場の状況は割と困った事態なわけだ。

『いっそセーブするのやめる?』

「流石にそれはない」

『ならどこまで使っていいか決めないとだけど……』

 イーアとの会話でも決めあぐねる程度にはこの世界のというものに対しての知識が少なすぎる。

 こういう事態はいつか訪れることを想定していなかったわけではないものの先に文字や口頭言語を習得することにリソースを使っていたこともあって、リリアがパラススさんから聞いてくれている情報の範囲にもまだ魔法というジャンルは含まれていない。

『今はパラススさんが隠居するまでの間に起きていた世界情勢ってところだから魔法に関してはちらほら出始めてきた程度だし……』

「存在自体はあるのは分かっていたにも関わらずだから自分の落ち度なのは間違いないけれど、ここまで悪手になるかなぁ」

 魔法、それも土魔法の領域がどの範囲なのか、知識や応用の範囲でイネちゃんがいつもやっていることをどこまでやれるのか……少なくとも現状でレールガンにおける電磁加速部分がかなり強引に誤魔化した感じになっているのは間違いなく、あちらのリーダー格の男が発した別の魔法種から理解できるわけで。

 ただ収穫がなかったわけでもなく土魔法が出来る範囲はそれなりに広いことも分かった。

 ルーインさんとの会話と合わせれば構造変化や物質操作、身体強化は土魔法の範疇で問題ない。

 電磁加速構造に関しても電気という文明を享受しているこの街だったために土魔法の範囲でも可能であるという認識をしてくれたのであちらは納得をしてくれたわけだ……手回し発電とかそっち方向の原理で作り出すとかその程度の納得ではあるだろうけれどそれはそれで大変ありがたい。

 但し現状では鉱物同士の電位差や固形電池なんかの生成を使った電力はこの場では見せない方がいい気がしている、主にあの黒衣の女に見られたら大変面倒なことになるのが目に見えてるから仕方ない……けれど。

「状況次第では躊躇ったらダメだよなぁ」

 目の前の決闘の状況はあまり芳しくない。

 ルスカは反応が遅れるのならその分速く強くとして動いてはいるけれど、意識をそれに集中しすぎているために相手のフェイントを全て貰っている。

 イネちゃんがルスカに課していた訓練メニューと今までのルスカの努力を見ていたから相手の攻撃の重さ的にダメージ自体はあまりないとは思うけれど、流石に貰い過ぎていて周囲を囲んでいる連中の中から感じている殺気への対応は今のルスカには難しいのは確実。

 イネちゃんが始める前にこれは1対1であると強調して黒衣の女にそれを確認させたことである程度の抑止にはなっているとは思うものの、この傍目から見ればルスカのサンドバック状態での持久戦というのはあちらさんのような連中からすれば退屈になるのはそろそろと言ったところ。

 となると何かしら動きがあるとすれば退屈になった下っ端が白熱を装って暴発するか、あちらのリーダー格が水を差すか。

 とりあえずこちらから能動的に動くのは悪手なので選択肢には入れないけれど、流れ次第では選択肢に浮上させるくらいはしないといけない。

 アドバイスも協力と認識される可能性があるし、他の連中と会話しようとしても妨害と認識されたらダメなので、自分で言い出したこととは言えルスカの勝利を待つしかできないこの時間はかなり暇ではある。

 警戒自体はいつもやっていることなので疲れはするけどそこまで苦に感じるものでもない……だからこそ何か起きた場合の対応やら魔法がどういう範囲で行われるかとかを無駄に考えてしまう。

 正直に言ってしまえば。

「イネちゃんが1番退屈してるんじゃないか……」

 あちらのチンピラ連中はあちらの代表とルスカのやり合いでルスカが防戦の形になっていることから白熱しているのも一部とは言え存在しているし、飽きてきているだろう連中も賭けを始めているのが確認できる。

 遠方にいた人間も昨日感じた気配が近くに増えたことからプロが立会人という依頼を遂行するための行動を起こしてくれたことで少なくともイネちゃんが即時対応せざるを得ない距離には懸念事項が消えたことにもなる。

 この場でこの戦いを娯楽認識せず仕事でもないのはイネちゃんとルスカだけで、ルスカは今自身の力量と判断力からくる劣勢に必死になっているので暇という感情を抱くことはまずない。

 となればルスカが少し気づくだけで勝つだろうと楽観しているイネちゃんが現時点で1番暇しているということになる。

 あちらのリーダー格は1度ルスカとあちらの代表が殴り合いになると決めた以上終わるまで動かないだろうからイネちゃんもラッパ銃を構え続ける必要もないし、索敵範囲外からの狙撃がある可能性は捨てきれないにしてもこの世界の銃の精度を前提に考えた場合魔法による補助がなければそれほど脅威にはならない。

 ハンドガンは高い精度で作られているとは言ってもライフル形状のものは基礎構造自体はあるものの自動装置部分が不完全、長距離への単発射撃なら可能だろうけれどそれを補助するためのスコープは未開発でやはり魔法を頼らないといけないし、その長距離狙撃に関しても地球で言うところの第一次大戦付近のマスケットから改良する段階のものとなる。

 となれば弾速的に亜音速にすら到達はしていないはず。

 イネちゃんが狙われる分にはいくらでも対処は出来るわけで……それこそルスカを狙ったのであれば立会人をしているプロまで敵に回す状況でそれをするほどあちらのリーダー格は愚かじゃない。

『ただあくまでこっちの希望的観測が多分に含まれていることを留意すること』

「わかってるけど、さっきのトンデモ銃の試射があまりに面白過ぎたから落差が……」

 ルスカはまだ防戦の形だけれど、周囲の状況は立会人のおかげもあってかなり安定してきてしまっているのは本来いいはずなのにイネちゃんのやること、やれることを極端に減ってしまい退屈が加速してしまっているのがいけない。

 イネちゃんとしてはもうルスカが覚悟決めて後詰をイネちゃんに任せる前提で戦ってくれないかなと思ってしまう。

 その割り切りが出来ないのが今のルスカの限界なんだろうけれど、魔獣相手への挫折が大きすぎてイネちゃんが課題として提示し続けてきた成功体験ではまだ自信につながっていないのは明確にイネちゃんの指導力不足が要因なんだろう。

 こればかりはイネちゃんとしてもルスカ相手にやっている訓練始動は初めて……は言い訳にしかならないか、ルスカがしっかりと自信を持てるように色々とイネちゃんも勉強していかないといけないか。

 今後の方針を決めたところで狙ったわけではないだろう綺麗なカウンターをルスカが決め、相手は意識が飛んだようでこれが格闘技の試合であるのであれば倒れ方を見た時点で判定を言い渡すレベルの倒れ方をした辺りこれで決着かな。

「そこまで」

 黒衣の女がそう告げて近寄ろうとすると……イネちゃんの索敵範囲外からの銃声が街に響いた。

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