第48話 鉄の森、蒸気の霧 - 13

 宿の部屋に戻り、すぐに鍵を閉めてから一応ドアノブに椅子を立てかける形でロックを複数にしてからイネちゃんも部屋の中に入る。

「師匠、ドアのアレってどういう意味なんです?」

「ドアノブを下げる必要があるドアならアレで簡易ロックになるんだよ」

「へぇ、そうなんですね」

「まぁ破壊して襲撃なんて相手にはあまり効果がないけどね、時間稼ぎ程度にしかならないし」

 まぁその時間で最低限の準備は可能になるから無駄ではないのだけど、最悪逃亡時間にもなるし。

 ルスカに説明しながら窓も確認するが……。

「うーん、これはこっちの警戒防護難しかな」

 窓は数と大きさがそこそこある部屋だったこともあり、防犯という一点にでこの部屋はこの宿で比較的安価であることがわかる。

 人から恨みを抱かれやすい商人や貴族も利用するとなると窓がない部屋というものが割と人気になる。

 これは襲撃者の侵入経路をドアのみに限定する意味合いがあるためだけれども、恐らくこの部屋は大きさの規模を考えても護衛を常駐するのが難しい広さで窓も多いとなれば元々従者の宿泊部屋なのかもしれない。

 それでもシャワー室があったりするのは従者に清潔さを求める人が少なからず存在していて、お湯が潤沢に使えるこの街の特徴、売りとして清潔にできる入浴施設の有無は十二分にステータスになり得る。

 高級宿を利用できるだけ稼いでいるとは言っても所詮は傭兵かなぁ、自衛できるだろうってことでこの部屋をあてがわれたのが色々確認しているとよくわかる。

 でもまぁ……考えようによっては窓からの侵入を中心に警戒しておけばいいだけなのでイネちゃんは楽ができるか、ルスカはまだ訓練し始めたところだから疲労するだろうけれど。

「まぁ襲撃があるにしてもすぐには来ないだろうし、先にシャワー浴びてきちゃっていいかな?」

「え!?」

 今の驚きは自分がいるのに入浴という裸になるのはいいのかっていう驚きだろうなぁ。

「別にルスカが先でもいいけど……ルスカはまだ緊張のオンオフを瞬時にできないからお湯で流しちゃう前に襲撃警戒して欲しいんだけど」

「え、あ、あぁ……そ、そうですね!」

 明らかな動揺ながら理屈の上では理解出来たようで……ただこれイネちゃんのシャワーの音とかに意識向けて周辺警戒が疎かになるパターンだなぁ、正直これに関しては後か先かのラインじゃなくどちらでも同じことになるだろうから当初の予定通りイネちゃんから先にシャワーを浴びよう。

「じゃあお願いね。……あぁそれと別に見ても気にはしないしそういう年頃だから怒らないけどさ、手を出そうとしたり警戒疎かにして襲撃者に先手取られた場合は相応の対応はするからね」

 笑顔でそう伝えてから浴室に移動する。

 浴室は宿のランクにしては広さはそれほどでもなく、先ほどイネちゃんが想像したように貴族や商人の世話人が宿泊する目的で作られた部屋で間違いなさそう。

 とは言えそういった世話人の人数や質がそのままステータスになるのもそういった界隈なので宿としてのランクに影響するような雑な仕事になることもなく、この部屋も一般的な宿から考えれば十二分以上に豪華な部類になる。

「時間かけても碌なことにはならないだろうし、さっさとやるか」

 正直状況が許せば勇者の力で湯舟生成してのんびり肩まで浸かりたいところではあるけれど、未熟なルスカに警戒を任せているし、思春期のルスカにとっては割と大変な状況だろうからさっさと済ませて交代の方が無難。

 あまり機会はなかったけれど、こういう状況の想定はヨシュアさんたちと組んだ時にある程度考えていたので早脱ぎ早着替えは何気に練習していてよかった、活用できる時が来るとは本気で思ってなかったけど。

 手早く服を脱いで裸になり、シャワーのコックをひねると水ではなくむしろ少し熱いくらいのお湯がシャワーヘッドから勢いよくイネちゃんの肌を打ち付ける。

 この世界に来てからお湯でのシャワーすら久しぶりだったこともあってかなり気持ちがいい……のはいいけれど、手早く済ませるためにこの勇者の力を利用して肌表面と髪についていた汚れを架空金属粒子に付着させる形で一気に洗い流し、イネちゃん個人が使う用として持ち込んでおいたコンディショナー入りのシャンプーで髪の毛を丁寧に洗う。

 欲を言えばボディソープ辺りも持ち込んで洗いたかったけれど、シャンプーですら持ち込みは色々と支障が出る可能性があったので勇者の力である程度の清潔さを保てるように工夫してできるようにしていたけれど……。

「やっぱ、洗いたいよなぁ……」

(それ自体が旅では贅沢だから……)

 イーアの言う通り未知の世界を身一つで旅をする時点で入浴自体が贅沢品。

 むしろこの状況はかなり恵まれている方なので贅沢なのはわかっているものの、こういう状況になったらそれはそれで欲が出てくるものである。

 とはいえ仕方ないのでイネちゃんの肌の頑丈さを前提に泡立てたシャンプーで身体も全体的に薄く油分を落とすだけしてシャワーで一気に洗い流……したタイミングで部屋の方からガラスの割れる音が聞こえてきた。

「速攻してきたか」

 一応は上層階に当たる5階であることを考えれば襲撃してきた相手は気の抜けているルスカでは少々心もとなく、早着替えをするにしても全身びしょ濡れ状態では下着すら気持ち悪くなって個人的な感情で却下したい……それらの内容からイネちゃんはそのままの状態で浴室から部屋へと飛び出した。

 飛び出す瞬間に察知した気配は4つ、1つは認識しなれているルスカのものであったけれど、他3つは明らかな害意だったので最速最短で1番ルスカの近くにまで迫っていた気配に対して鳩尾に掌底を叩き込む。

 奇襲を仕掛けたつもりの相手は浴室から唐突に表れた裸の女が即応で攻撃してくるのには流石に対応できなかったようでうめき声をあげながら倒れ……はせずにイネちゃんを踏み台にする形で後ろに飛んだ。

 成程、今のタイミングの掌底でダメージを受けながらも後退できる程度には実力があるのが今のやり取りで分かった。

 となると武器を浴室に置いてきたのは少々辛いことになりそうだし、何よりガラスが割れる音というのはシャワー音が響いていた浴室にすら聞こえていたことから外や廊下にも響いているわけで騒動に対して宿の即応力を考えると襲撃者に逃げられるのは大変いただけない状況になるので捕縛前提で戦わないといけない。

 それを踏まえた上で襲撃者を観察する。

 相手は3人共黒衣を身にまとった人間で、イネちゃんを前にしてあちらもこっちの実力を値踏みしているのはすぐにわかったものの……明確な構えがないことから潜入暗殺の類に特化した連中かなと推測するくらいしかできない。

 正直に言ってしまえばイネちゃん単独なら負ける要素はほぼ存在しないだろう自信はあるし、最悪自分に課している制限を少し取り払うだけで無傷での無力化も視野に入れられる。

 最大の問題はイネちゃんはその制限を外すつもりはこれっぽっちもないことと、イネちゃんは1人ではないという点。

「ルスカ、生き残ることだけ考えて自衛。援護とか一切考えないでいい」

 イネちゃんがこの指示を出す時はルスカの実力では明確に負けるどころでは済まないタイミングだったこともあり、ルスカの思考はすぐに自衛にスイッチしたのを確認して目の前の相手に集中。

 イネちゃんが掌底を叩き込んだ相手は肉質や骨の抵抗から女性だとは思うけれど……そういった情報がないと男女の判別がつきにくい体つきをしていて、この手の仕事を専門に担当するように文字通り影のような骨格の人間を集めて訓練でもしたのだろうね。

(架空金属粒子の展開はしておく、場合によっては……)

「流石にそれは避けたいかな」

 イーアとの脳内会議で最悪を想定しておきながらも相手の隙を探るが、暗殺の道のプロがそれを見せるようなことをするはずもなく初動で1人も仕留められなかったイネちゃんが未熟すぎたか。

 相手も実力を図るのは当然できるようで動き出せないように見える……まぁイネちゃんが最悪想定で確実に仕留める気配を出しているし、初動の動きから視界がなくてもイネちゃんは攻撃できることは実績として示していたことでイネちゃんが警戒していること自体を抑止力としているからではあるけれど、相手がルスカだけに狙いを絞ってきた場合少々守るのは難しくなる。

 お互い動き出せない状態で場の空気が固まる寸前のところで。

「……ここは引く」

 相手の1人がその言葉を出すと同時に煙幕を展開して突入してきた窓から逃げ出していった。

 こちらとしても引いてくれて助かったものの……捕縛できなかったことで宿への説明が面倒になったことと、せっかくあったまった身体がすっかり冷えてしまったことでテンションが下がってしまう。

「……はぁ。ルスカ、宿への説明は任せた。イネちゃんはもう一度あったまってくるわ」

 襲撃者の実力から考えて襲撃者はただのチンピラではないことが確定したことにため息をつきながらイネちゃんは改めて浴室にシャワーを浴びに行くのであった。

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