第49話 鉄の森、蒸気の霧 - 14
再びシャワーで身体を温めたイネちゃんは、今度はしっかり着替えてから浴室を改めて状況を確認する。
割れている窓は1枚、接敵してやり合った部分以外は特別損傷らしい損傷がないことを考えると相手はやはりプロだったんだろう。
「師匠、別の部屋を用意するらしいですけど!」
「んー……正直変わっても同じだとは思うけどね。どうにも専業みたいだし、仕留めずに引いたってことは別に可能ならやれってことで、無理せず引いた以上は情報収集最優先で漏洩阻止がしたかったわけだろうから」
「えっと、つまり今日はもう来ないと?」
「可能性の高さで言えばそうだね。ルスカだけはやれる判断された場合はその限りじゃないけれど、数的有利を活かしてそれをやらなかった時点で殺すのが目的じゃないだろうってことだよ」
つまりかなり面倒になってるということでもあるけれど、相手が専業、高級宿でもお構いなしに襲撃してきたってことは警告も含めてのことだろう。
どこにいても同じことなのは間違いないのでイネちゃんとしては部屋を移動するのは手間が増えるだけで安心という点において変わらないから別に移動する必要性を感じない。
「窓の処理もしなきゃいけないと小声で言ってましたけど」
「イネちゃんにしたらそっちの方が動機になるねぇ、宿の格を担保する意味合いでも宿泊客が襲撃された上に窓の割れた部屋にそのまま泊まらせるわけにはいかないって正直に言ってくれれば素直に受け入れるのにねぇ」
「そういうの、言わないんじゃないですかね普通は」
ルスカの言葉も最もだ。
「それで宿の人ってまだいる?」
「俺じゃ判断できなかったから待ってもらってます」
イネちゃんが浴室から出てきたから待ってもらって呼びに来たところだった。
それもルスカに判断させるような指示はしていなかったし、訓練も何もしていなかったので上の人間に頼るのは仕方ない。
「仕方ないか……ルスカは荷物とか確認しといて」
「はい」
うーん、これは指示がなくても動ける訓練を考えておかないとだなぁ。
ルスカが部屋で荷物整理し始めたのを確認してから廊下へと向かうとルスカは入室に対してすら言及していなかったようでボーイさんと現場管理者らしき身なりのいい初老の男性が部屋の前で待機していた。
「お待たせしましたか?」
「いえ、それよりもご無事で?」
「相手は黒衣を纏った3人組でしたが、引いてくれましたので。それよりも破損に関してこちらに請求とかあったりしますか?」
「それを含めての宿泊料金となっております」
成程、敵が多いだろう貴族や商人も利用するからこそあらかじめ割り増しの料金設定になっていて、保険含めてのお値段だから金貨を要求されているわけだ。
コーイチお父さんに聞いたことがあるけれど、稀にそういうホテルも存在しているらしいこと今思い出して、ここがそういうシステムを導入していたことを始めて知って少し安堵する。
犯人が悪いとは言え、その犯人がいない上にこのランクの宿に襲撃をするような相手であるのならバックの連中には資金力はあったとしても実行犯に支払い能力が期待できないわけで……そうなれば確実に最低限の支払い能力があることがわかっている宿泊客に負担をしてもらうのは商売としては正しい。
最もそれに納得できるかどうかは別問題ではあるものの、ひとまずイネちゃんは概ね理解するし、今そのシステムに助けられているので文句は言わない。
「しかし黒衣で3人ですか……」
現場責任者らしき男性が表情を曇らせる。
「心当たりが?」
「失礼ですがこの街のパワーバランスについての知識はお持ちでしょうか」
「職人、傭兵両ギルドと裏社会と商人ギルドの3つ程度であれば」
「裏社会……というにはいささか表しのぎでの経営が中心ですので、商人ギルドの末端、もしくは所属していないもぐりと言った方が実情に近いものです」
「となると昼の通行料を要求してきた連中はもぐり、さっき食事中に絡んできたのはギルドの末端かな」
「成程、そちらも襲われる心当たりがおありでしたか」
「なので高級宿を選択したんですがね、結局襲撃されちゃいましたから……となると黒衣の3人はもぐり側です?」
「いえ、フリーランスの仕事人。暗殺はかなりの高額でリスクが高い場合はクライアントに情報を渡して料金は1割のことが多いと聞きますが……」
なんかやたらと詳しい上に、この話の流れでフリーランスという単語を選んで使ったということは……。
「あの3人自体は傭兵か商人ギルドの所属ですか」
「フリーランスです」
これは商人ギルドだな。
となるとイネちゃんたちが襲撃された理由も概ね想像ながらわかってくる。
「心当たりのどちらかが大金積んで襲撃させたわけだ。この宿が保険があることはそういう仕事をしているのなら把握しているでしょうし、方々に負担が増えないように窓1枚の損壊とベッドの布に壁紙だけで済ませているのは……プロの仕事だって伝えてあげてください」
「私にはできません。あくまでそういう輩がこの街でそういった仕事をしているという情報を持っているだけですので」
今その辺の情報を並べるのは宿の不手際の部分はあったってことだろう。
心当たりから襲撃の速度を考えればもぐり側の依頼だろうことは予測できるし、食堂の男に関しては商人ギルドの末端に席がある以上は面子のことを鑑みてもお膝元で失態を犯す方がリスクとして大きすぎるので、そちらの襲撃がある場合は商人ギルドの地区以外でやるだろう……早期に解決しないとどこまでも面倒だな、これ。
ともあれ本来なら守秘義務がありそうな部分まで喋ってくれたこの人は詫びも含んでいるだろうことを除いてもかなりの不利益だろうことは想像できる。
最も事実であるという裏付けが必要ではあるけれど、このタイミングで偽情報を掴ませる理由は商人ギルド側にはないので現段階では信じておいていいだろうね。
「こちらの部屋に関しましては修繕と防犯強化を行いたく……代わりとなる部屋も用意させていただいております」
「ランクは上がる?下がる?」
「申し訳ございませんが……」
「いや、別に下がることは仕方ないと思うから大丈夫。むしろ上がった場合連れが今以上に田舎者丸出しになってまともに眠れなくなるかもしれないから丁度いいかな」
「それでは、こちらがその部屋の鍵となります」
「用意がいいんですね」
「想定されているトラブルの1つでしたので」
治安の悪さを示す言葉だよなぁと感じながらも鍵を受け取り。
「ありがとうございます」
イネちゃんがお礼の言葉を告げると管理者の人は深く一礼し、部屋の損害状況を確認するため。
「それでは入ってもよろしいでしょうか」
「どうぞ、鍵を受け取った以上こちらの拒否権は消失していると思いますし……忘れ物があれば後でひと声かけていただければそれで構いません」
「わかりました」
宿のスタッフは再び一礼し、ようやく部屋に足を踏み入れ交代する形でルスカが廊下に出てきた。
「どうなりましたか師匠」
「部屋のランクは落ちるけど移動だね」
「むしろランクが落ちた方が俺はありがたいですけど」
「ルスカはそわそわしてたから丸わかりだったからね、とりあえず移動するよ」
鍵についている鉄製のキーホルダーに刻印されている内容からすると新しい部屋は下の階にあるようなのでルスカの状態を確認しつつ移動する。
騒動はやはりと言うべきか聞こえていたようで移動中に貴族は睨んでくるし、商人は……商売っ気を出している表情をしているのと、迷惑そうにしている人で半々くらい。
下層に降りると急いでベッドメイクをしていたのか宿のスタッフが部屋から出てきてこちらの姿を確認すると。
「失礼ですが、宿泊客の方以外は……」
「客ですが」
さっき受け取った鍵を見せるとスタッフは驚きつつ慌てて。
「す、すみませんでした!」
「いや風貌判断なら正しい気はするし別にいいけれど……この鍵の部屋はそこでいいかな?」
「失礼します」
イネちゃんに近づいてきたスタッフが鍵のキーホルダーに刻印されている文字を確認し。
「問題ありません。こちらの不手際を重ねてしまい本当に申し訳ございませんでした」
スタッフの人は謝罪の一礼をし、道を開けてくれた。
「こちらも代わりの部屋の用意、急な仕事だったでしょう?」
「仕事ですので」
職員教育が行き渡っているのを実感していい気分になりつつも、新しい部屋に入るとほぼ同時に架空金属粒子を展開して部屋の構造と万が一を想定しつつ部屋の雰囲気を確かめる。
上の階はリゾートという印象ではあったものの、この部屋はビジネスホテルと言った印象になるもの。
窓もなく架空金属粒子で確認した範囲ではおかしなものもなく、侵入経路もドアと換気用の通気口くらいなものでセキュリティに関してはむしろ向上している。
浴室も完備しているのはこの宿の標準サービスの範囲のようで、ここには最低限のアメニティグッズなんかもあり……何というか地球の低価格から中価格帯のビジネスホテルと同程度の印象。
「……こっちで入ればよかったかな」
「どこにです?」
「お風呂、シャワーだけじゃなく浴槽まであるし」
そんな軽い後悔をしつつも、手際のよすぎる宿側の動きも含めてイネちゃんは警戒レベルをこの世界に来る以前のものに引き上げつつベッドにダイブした。
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