第45話 鉄の森、蒸気の霧 - 10
宿を出るとき他の宿泊客から少し笑われたものの、商人ギルド管轄運営の宿である事から金さえあれば宿泊可能で、その宿泊客についていたコンシェルジュがイネちゃんの証明証と部屋をリザーブした日数を聞いたのか驚いた顔に変わっていたのが横目で見えた。
それだけ宿の格式ってのも手伝って金額も高く、それを数日分とはいえ満額即金で出せる傭兵ともなれば実力は間違いなく、素行が悪ければそもそも受付を通れないので背伸びをして無理をした宿泊じゃないことが分かっただけで貴族からの視線も変わる辺り……イネちゃんとしてはちょっと早まったかもという心境になる。
いや目立ちたくないのにこの世界に来てから目立ってしまう流れになるのはイネちゃんの日頃の行いが原因とか言われそうな気になってくる。
そんなこともあったけど、敢えて治安が悪くなりそうな馬車通にある大き目の飲食店を利用することにし、ルスカと一緒に道を歩くも……。
「なんというか……わっかりやすいなぁ」
「師匠?」
「ルスカはもう少し気配を察する訓練しようねぇ」
気配どころか視線を誤魔化すこともなくこちらを睨みつけてきている男が数人、10mくらい離れた距離を維持しながら追跡してきている。
ここまで露骨だとわざと気配を消さずに動いて正確な人数の確認をさせない作戦なんじゃないかと疑いたくなるけれど……警戒しておいた方がいいかなぁ、ルスカ以外にも一般人を巻き込む可能性を考えたら人数を正確に把握しておきたいのは間違いないし。
最もそれを実行する前に空腹を刺激する匂いがあちらこちらから漂ってきて、それどころではなくなってしまう。
最近は毎食食べていたので身体が空腹を覚え、美味しそうな匂いに集中力を途切れさせてくれちゃうのはイネちゃんも修行が足りないというかなんというか。
食べ歩きの形にして把握を優先するのもいいけれど……ここはいっそのこと人が暴れること前提になってそうなお店に入るのがイネちゃん的にもすごく楽だし、そういうお店なら大抵の場合量が多く安価なことも多いので今のイネちゃんも満足できるはず。
「それじゃあそこに入ろうか」
そうしてイネちゃんがルスカに言った店は明らかに大衆酒場と言った風貌で、酒が飲めない人間お断りな雰囲気を見せている。
ルスカはその様子に少し躊躇いを見せたものの、イネちゃんが気にせず入店したことですぐについてきたものの……中で酒の入ったガラの悪い方々の視線が明らかにイネちゃんに集中する。
「ここは子供の来る場所じゃねぇぞ!」
この一言で店内は笑いに包まれる。
イネちゃんの見た目から考えれば当然飛んでくる定型文なので気にせず、適当に空いている席に移動するも。
「お嬢ちゃん、危ないから帰んな」
ホール仕事の少し露出が目立つ服装をした女性が心配そうにそう言うも。
「あ、お気遣いなく。むしろこれからこっちが迷惑かけるかもしれないですから前もって謝罪しておきます」
「え?」
女性に金貨を1枚渡しつつ、謝罪しながら傭兵の証明証を提示。
「え、ちょ……えぇ!?これ、本物!?」
「本物ですよ。それととりあえずこのお店で1番人気の食べ物で……お酒は無し、湯冷ましの水が欲しいですけどなければミルクでも構いませんのでお願いします」
証明証を見て驚く女性に対して注文をしながらお財布から銀貨を3枚出し。
「足りなかったら言ってください」
余分があればチップにとは言わない。
むしろ心配すべきは料金の不足だからね、多少多めに支払ったとしても従業員が上機嫌になるのでかなり配慮して貰えるようになるし、何もなくてもイネちゃんの容姿を見て心配してくれるような人であれば悪い方向には転ばない。
「いや多すぎだけど……とりあえず大丈夫?……なのよね?」
「はい。……あぁ後今入ってきた男性3人組にこれでこのお店で1番強いお酒を」
そう言って金貨を追加で1枚。
お財布的にはそろそろ稼がないといけない程度には細くなってはいるものの、最悪イネちゃんがこの世界の金貨を偽造……はしないにしても金インゴットを勇者の力で生成してパラススさんの名前を使って売りさばけば完全な無一文になることは避けられるので気にせず使う。
「何、知り合い?」
「今から迷惑になりそうな原因」
「え!?」
「あの3人以外にもいそうだから、本当この件は迷惑かけちゃいそうだからごめんね」
このお店に入る前にも感じていた気配は明確にあの人たちのもの。
仕掛けてくるなら店で食事をしている間か宿に戻る最中になるだろうし、いっそ強い酒を飲ませて追跡している人間を酔わせて前後不覚に出来れば少なくともこの店でのドンパチの確率は下げることが出来る……はず。
正直裏路地に入る入口で通行料をせしめていたチンピラ連中がそこまで考えてくれるかわからないし、この街の裏社会で組織を形成している連中がいくら下っ端の末端とは言え手も足も出せずに潰されたということで面子に重きを置く連中ならリスクを天秤にかけた上でこの店舗なら戦場にしても構わないという人間である可能性は否定できない以上あまり意味は無いかもしれない。
「と、とりあえず注文されたもの、持ってくるわね……」
「お願いします」
状況を飲み込み切れていないだろう店員さんはそう言って厨房があるだろう場所に急ぎ足で向かっていき、ルスカはようやく追跡されていたことに気づいたようで。
「昼間の連中じゃないですよ」
「ただの悪ガキじゃなかったってだけだね。衛兵がやるべき治安活動の範疇だからギルドも能動的に動く義理はないし、衛兵が動かなければあぁやって野放しになるわけ」
「衛兵が動かないってどうしてです」
「さぁ?理由はいくつか考えられるけれど、薄給がすぎて賄賂をもらっていたり、そもそもこの街の統治を任されている貴族の子飼いだったり……そもそも反社会勢力組織の規模が大きすぎて貴族や衛兵が手を出せない相手だったり」
「そんな……!」
「声が少し大きいねぇ。気づいているってのはお酒を奢ってやったことで伝わるだろうからいいとしても少し警戒しようね」
ルスカは慌てるけれど、正直言えばもう盛大にばれてもいいという思考になっているし、なんだったら食事が来る前にさっさと襲撃して欲しいまである。
あちらが組織である場合は面子の為に傭兵2人を何とかするために稼ぎを減らすような行為や他の組織の庭で暴れるようなリスクは取りにくいだろうことはわかるけれど、それすら気にしないような程度の低いチンピラがそれなりにいるのは昼間のグレイさんの反応的に確実だろうから……さっさと来てくれないかなぁ。
「お待たせ」
来ることを望んでいたら注文した料理の方が先に姿を現した。
「水は時間がかかりそうだったから、冷やしたミルクだけど」
「冷蔵装置があるので?」
「この街ならではの、ある意味特産品。電力で冷やしたものや蒸気管を利用して冷やすものがあるけどね、うちでは電力のを使ってるの。安定して冷やせるから味は保証するよ」
電力ラジエーター冷却と原始的な熱交換器冷却のどちらもあるのか。
消費電力と世界の文明レベルを考えると冷蔵庫を利用できるくらいに流行って儲かっている証明だろう。
そして料理の方はと言うと……チーズたっぷりのサラダと恐らく牛肉と思われるステーキ、そこまで硬くないパンで工業都市の大衆食堂と考えるとかなり良さそうなラインナップで空腹を刺激する匂いを漂わせている。
「ありがとう、美味しそう」
そう言いながら財布を取り出そうとすると女性が。
「いやもうチップはたっぷり貰い過ぎてるから。それ全部合わせても料金が銀貨1枚でお釣りが出るくらいなんだから」
随分多めにチップを出したようだ。
「そう、そっちがいいって言うなら」
「これ以上貰ったら夢見が悪くなる。お嬢ちゃんの言うようにこれから迷惑が掛かるって言ってもいつもの事だからねぇ」
「いつものってことは喧嘩も名物?」
「ま、そんなとこ。ちなみに店員に手を出したらルール違反でどんな立場でも衛兵のところで一晩過ごすことになる」
「頭に入れとく」
店員の女性はイネちゃんの答えを聞いてウインクをして厨房へと歩いて行った。
「じゃあ、食べようか」
イネちゃんがそう言って木のフォークをサラダに刺したところで……酒のコップだろう大き目の木のコップが飛んできて机の上の料理が軒並み床にぶちまけられた。
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