第44話 鉄の森、蒸気の霧 - 9

 サラマンダー工房で今後の予定をある程度固め、ルスカの装備の見繕いも工房見習いの子が専属になってくれることになったので翌日改めて色んなことを決めたり試作品を試験したりと忙しくなるため今日はギルドで聞いた商人ギルド付近にある高級宿に泊まることにし、チェックインして部屋で荷物を下していた。

「師匠、同室なのはやっぱ高いからですよね……」

「それもあるけれど、昼にルスカが張り倒した連中が襲撃してくる前提で一緒の部屋の方が都合がいいし。そもそも野宿中に散々寝食共にしたのに今更恥ずかしがる?」

「いや、そういうわけじゃ!でも襲撃って言ってもこの宿にチンピラ連中が入れるんです?」

 ルスカの慌てた様子はちょっと面白かったが、その疑問も最もである。

 イネちゃん自身羽休め出来るように割と奮発した高級宿で、傭兵で利用できる人間はほぼいないレベルの箔がついている宿である。

 当然ながら利用客は貴族や商人ギルドでも豪商と呼ばれるようなレベルの階級ばかりで、そのお値段はイネちゃんの手持ち的にも半分消費する程……とは言え治安の悪い地域で安全を買えるのであれば間違いなく安いと断言できる絶妙な値段設定だったし、イネちゃんだって発行されている証明証が貴族や商人ギルド、宗教の偉いさんの証明印が押されていなかったら締め出されていただろう宿なのだからルスカが居心地悪く感じるのも当然なのだ。

 イネちゃんだってこのレベルの宿の利用はヌーリエ教会本部やアングロサンでVIP待遇の滞在期間くらいなもので、自分から選択してこのランクの宿を利用しようと思ったのは初めてなくらい。

 正直に言ってしまえばルスカに言った方が建前で、本音の所は入浴施設が確実にあるだろう宿がここくらいしか存在しなかったというのがかなり大きかったりもする。

 一応今日話した感じでの出費予定を踏まえた上でこの宿も3日分リザーブしてもおつりが出る計算だし、何だったらギルドでチンピラ鎮圧なんかの依頼を受ければ小銭は稼げるし、何人かの職人が試作兵器の運用実験データを取るための依頼なんかもいくつか横目で確認出来ていたので傭兵にしてみれば相手を選べばくいっぱぐれることは無い街なのを感じる。

 だからこそあの職人ドヤ街にわざわざギルドを併設して尚あの盛況なわけである。

「とりあえず……食堂に行くのはやめとこっか。少なくともテーブルマナー辺りでルスカは確実に引っかかるし、ドレスコード的にイネちゃんも引っかかりそうだから」

「すみません……」

「ちょっと割高のルームサービスか、外に出てレストランを利用か……絶対レストランも高いんだよなぁ、ギルド付近で済ませてくればよかったかも」

 結局食べ歩きは出来なかったので空腹なのだが、部屋の確保も時間的なもので結構ギリギリだったこともありこの街に来てから一度も食事をしていない。

 このランクならお忍び貴族なんかの訳あり用のルームサービスもあるし、ホテルとしてもイネちゃんの証明証の内容で特別に容認してくれたわけで……格を落とさないようになのかボーイの人からルームサービスの利用をこれでもかと推奨されたので選択肢はかなり少ない。

 問題はこの手のホテルの場合食事はホテルの格を示す場合も少なくなく、質は保証出来るが量がない場合が殆どで……今眺めている厚紙4枚程度で用意されたメニュー表を眺めていてもイネちゃんの予想が概ね当たりであることを理解させられるような表記の物ばかりである。

 敢えて量というか食べたという実感を得られるものと言えば肉料理なのだろうけれど……フィレという単語が地球のフィレと同じなのであれば量は期待できないのでちょっと困った状態。

「俺は師匠の財布が心配ですけど……」

「一応予算範囲内だよ、この部屋だって数日分もう支払い済みでも滞在中の食事全部この辺の高級店で済ませても大丈夫だから」

「でも余裕は……」

「実際にやった場合はまぁ、仕事しないと路銀が無くなるけどね。仕事の当てはもうあるし心配することは無いよ」

「新しい武器のテストでしたっけ」

「それもあるけど、治安活動補助とかもあったからね」

「治安ですか?」

「チンピラが報復を考えていたとしてもこちらから出向いてやれるし、そこで解決できれば安宿に移ることも出来るから一石二鳥」

 イネちゃん単独ならむしろさっさと乗り込んでもいいくらいだけど……まぁルスカの成長を考えて少し回りくどい形になっているだけで、余計な被害が出そうになるようならイネちゃんが動けばいい……とは思うけれど、状況次第では最初から対応しなきゃいけないかなぁ、この街のチンピラは数が多いってのは昼の会話で聞いた内容だったわけだし警戒しておく必要はあるかな。

「それで。ルスカは食べたいもの決まった?」

「食べたいものってそんな急に……いや急ではないんですけど」

 話題の変更が急だったということならルスカは正論である。

「正直、メニューの文字だけじゃ何がなんだかわからなくて……」

「わからなくはない。お腹に溜めるって目的だけならスープが一番安全かなぁ」

「これなら外に食べに出た方がよくないです?」

 ルスカの言うことは一理ある……のだけれど、高級宿に宿泊する意味を考えたら少なくとも初日に関しては出ない方がいい。

 ルスカに対処させる予定である以上は相手の規模と組織力の調査はしておきたいので高級宿の客室まで侵入出来る規模ではないとわからないと任せきりにするのは時期尚早。

 街の有力者にも無理無茶を押し通せるか、証拠隠滅が出来る組織力があるとなった場合はギルドと情報共有しつつイネちゃんが相手の頭を処理しておかないとルスカだけでなく一般市民にまで被害が及びかねないからね。

 貴族や豪商レベルが宿泊するランクの宿であるのならある程度そういった事態への対処マニュアルはあるだろうし……いやまぁその組織が運営しているとかいう流れだとここまでフリー確定だからそれはそれで更に困ったことにはなるけれど、それはそれでイネちゃんの証明証の肩書が盾になるわけで。

「んー……初日は様子見で出る予定はなかったけどどうするかなぁ」

「昼のあいつらですか?」

「白昼堂々と通行料請求するチンピラはモグリか組織のどっちかだろうから、前者ならルスカに対処させようかなとは思ってるんだよねぇ」

 ルスカが露骨に嫌な顔をしたものの、組織という単語が気になったようで。

「その組織ってどこからの発想ですか……」

「受付さんとグレイさんとの雑談から。治安が悪いって話題の時に複数の心当たりがある程度には何かしらが存在してるってことだよ」

「それって俺のせいですよね」

「いやぁイネちゃんがルスカに経験積ませるために放置したから共犯ってところ。休みたいってのも本音だから敢えて今日釣りしなくてもいいかなぁと思ってルームサービスで済ませたいのが本音だけど、さっさと済ませて後日完全な安全状態で羽を伸ばしたいって気持ちもある」

「つまり……?」

「ルスカが決めな、食事を外にするか中にするか」

 実際イネちゃんとしては部屋に備え付けられてるバスルームを確認してあるし、蒸気を動力としている街だからか蛇口からしっかりとお湯が出るのも真っ先に確認してあるので疲れを一気に流せるのが判っているからこその提案である。

「……先に面倒ごとを片付けたいです」

「つまりは外ね、了解。貴重品は手持ちにして漁られてもいい物だけ部屋に残していくよ」

「なんでです?」

「高級宿でも治安が悪い地域だからね、ボーイへの教育はされていても握らせて仕事する連中が居てもおかしくない。普段ならやらなくてもイネちゃんたちは後ろ盾が今この場にいない一介の傭兵に過ぎないから魔が差すかもしれないしね」

 この手の宿でもそういうことは起こり得るって言うのはお父さんたちに聞いたことがあるし、実際警戒しておいて損することの方が少ない。

「そういうものなんですか……こんな場所でも起きるのか」

 ルスカにとっては完全に人生で初めての出来事満載だから色々追い付いてきていない声量ながらも準備を始める。

 まぁルスカは元々財布以外殆ど大切な荷物は持ち合わせていなかったので、実際準備が必要なのはイネちゃんだけ……なのだけど、大半がマントに収納出来ているので最悪PDAや銃を置き忘れたりしなければ大丈夫。

 鍵も閉じ込め……オートロックではないけれど一応確認した上で。

「それじゃあ行こうか」

「はい」

 ルスカに現状確認が出来ただけ先に宿に来ただけのメリットはあったかなと思いつつ、部屋を出て鍵を閉めて食事をしに出掛けたのだった。

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