第34話 黄金の草原 - 17
今イネちゃんの前でルスカ少年とロイが向かい合う形でお互い構えを取っている。
今後イネちゃんが村を離れるときにこの2人のどちらかでも自警団長の横でまともに戦えるレベルに到達していないと対魔獣の人員どころか対人トラブル対応にすら怪しくなってしまう。
2人への育成方針はロイが動的なものをメインに、ルスカ少年を静的なものをメインに教えてはいたものの、大きな違いとしては技術の部分。
ロイにはシステマベースのコンバットアクションに古武術、能動的に相手を倒しに行くタイプの中国武術を破綻しないように混ぜた上で決め手となるものには静的寄りの空手の究極奥義である一撃必殺……と言ったように技術偏重。
ルスカ少年はロイとは逆で精神面の強化にもなるようにジークンドーをベースとして合気術に硬気功を含む受動的な中国武術を含みつつ、攻撃に切り替えられるように動的になる部分はルスカ少年の元々のスタイルに合っているであろうボクシングの技術を中心に教えてきた。
最もボクシングと言っても足運びや重心移動、ジャブの牽制に決定打になるカウンター技術なので基礎が固まっていない間は本当に攻撃に移ることは難しいけど。
そんな真逆の技術を持った2人がどう立ち回り、どういった戦術を持って相手からダウンを取れるかの勝負……なのだけれど2人の技術がイネちゃんから見ても似通っていたことからお互い動き出さない。
「おいルスカ、来ないのか?」
「ロイこそ。お前のスタイルはぐいぐい突っ込むスタイルだろ」
お互い煽るもののやはり動けない。
イネちゃんが動きやすいように介入するのは決闘をさせている目的を考えるとやりたくないので見守るしかないけれど……このまま膠着状態が続くようなら仕切り直しも考えないとだね。
イネちゃんがそんなことを考えている間も膠着状態は続いており、能力こそ違うものの技術の違いが均衡状態を生み出してしまっていて仕切り直しをしようと1歩前に踏み出した瞬間、意外なことにルスカ少年から動き出した。
ボクシングのステップのリズムを刻みながら直線ではなく、ロイから狙いがつけにくい形での接近。
本人が基礎練習を集中してやっていることもありスタミナでゴリ押すつもりのようだけれど、修練を始める以前の基礎値が違っていることが思考から抜けているのか……そこはロイの方が全体的に土台が出来ていたからこそ、多少のサボりをしていたとしてもロイはメニューを最低限はこなせていた。
それに初手で切り札になるであろうスタイルを見せてしまうと、独自スタイルが搦め手に偏っているロイにしてみれば対処しやすい。
「そう焦んな……って!」
発声しながらもロイは姿勢を極端に低くしてルスカ少年に向かい距離を詰める。
ちなみにだけど戦闘中会話を織り交ぜるのはブラフ効果を狙えるのであれば積極的に使っていっていいとイネちゃんが教えたので……むしろもっと話していいくらい。
地球の現代戦のような索敵と一撃必殺で決まるような戦場なら逆の教えをしていたものの、この世界の水準を鑑みると名乗りからの決闘文化が存在している上にどうにも口上舌戦の類に誇りを持つ種族もいるらしいので弁の訓練も兼ねておいて損はない。
これもイネちゃんが村で活動の土台固めをしている間にもリリアがパラススさんから聞き取り調査を進めていてくれているおかげで大まかな文明水準もある程度把握出来たおかげではあるのだけれど、最近はやることが多くて資料の読み込みがあまり出来ていない分知識面での不安が増してきている。
最もただの旅人傭兵の類がやたら世界の情勢に詳しすぎるのは不必要な火種を抱えかねないのである種問題にはならない……はずではあるのだけれどね。
「お前なら、そうだよっな!」
イネちゃんが自分の事を考えている間にも2人の組手は進んで、ルスカ少年が地面を軽くつま先で蹴り姿勢を低くしたロイの顔面に土をぶつけつつ、重心が整わないものの高所からの振り下ろしで攻撃していた。
当然ながら重心の乗っていない攻撃なんてものに当たるような教え方なんて2人にしていないので回避されるか防御されることが大前提の攻撃とは思うけれど……重心が整っていない状態で連撃を行うにしてもルスカ少年の直前の体勢からするとイネちゃんの教えた技術では出来て浴びせ蹴り、余程自己修練を裏で頑張っていても以前イネちゃんが見せたことのある空中腕十字固めや頭部を足で挟んでの投げ技しか持っていけない。
その辺は達人クラスが相手でもない限り対処できるようにロイには教えてあるので当然ながら。
「その手の曲芸への対策は叩き込まれてるっての!」
ロイが叫ぶと同時に後頭部への攻撃を回避しながら次に来る身体全体での攻撃を大きく前転することで回避している。
全身を使った攻撃が回避されたことで大きな隙を見せたルスカ少年に対し、顔に土をかけられたものの能動的に回避行動を行ったロイであれば状況の優位性は圧倒的にロイの方が上ではあるけれど……次のロイの行動次第でいくらでもその状況はひっくり返るだけのアレコレは2人に対してそれとなし程度ではあるが教えてあるので、イネちゃんの言葉への理解度が試される場面。
ロイは回避してからの行動は立ち上がろうとし、ルスカ少年は寝転がったままながら自身の体の状態を確認。
ルスカ少年の初動を含めここまでは2人ともいつも通りを外れた内容では正しい。
お互い相手の癖などを周知している状態でいつも通りの行動を取ろうとした結果が最初の膠着なのだからどちらかが状況変化をさせなければいけなかった所、最初に動いたのは普段の組手では受けをしていたルスカ少年なのは必然で、攻撃の応酬に関してもお互いそこまで修練を積み重ねていない行動だったのだから次の動作が遅れたり、身体が戦闘継続できる状態かを確認することは……ルスカ少年は時間をかけすぎではあるけれど必要。
イネちゃんだって普段と違う戦術を取った時は効果の確認に思考を割くし、普段使わない筋肉への負担を確認もする……むしろ熟練者程そこは怠らないのでルスカ少年の無駄に見えてしまう確認は次への布石でなければ単純に経験が足りていないだけ。
そして先に動きを見せたのはロイ。
「もらい!」
ロイはルスカ少年の上に馬乗りとなり勝ちを確信した表情を見せる。
だけどイネちゃんの見立てでは状況はむしろルスカ少年の方がいいとみる。
2人の状態は傍目に見ればマウントポジションという、上側の方が有利なポジションに見えるもののルスカ少年はロイが馬乗りをする際に手足を隙間に入れたり襟首を掴んでいる。
こうなった場合ロイは身体を完全に抑えることが出来ない上に襟首という部分に対して効果的に力を加えられる部分を掴まれているためルスカ少年が少し力を加えるだけでロイの攻撃をそらすことが出来るし、ロイは重心を定めにくくなるためその攻撃を受けたとしても本来のダメージは出せない。
ディフェンスポジション。
出来るかできないかで言えば現実的ではないものの可能。
ルスカ少年に叩き込んだ技術を総合的に運用すれば出来なくはないし、状況の流れでそれが偶然上手くいったパターンだとは思うものの……この状態ならルスカ少年が少し有利か。
ただ……実戦経験が少ないルスカ少年がどれくらいイネちゃんの課した修練の意図を理解していたのかが問われる状況でもある。
相手の重心制御に特化した合気術だけではあの体勢からの完全制御は難しく、ある程度別の技術からの応用が必要で、基礎的な部分はイネちゃんからの評価でも最低限は履修出来ていると言える範囲で実行できるのかは少し難しい。
そして案の定というべきかお互いが自分のやりたいことを阻害されるような状態になり消耗戦の形での泥試合の様相になりつつある。
「お前……」
「やらせたら一方的に殴られるだけ……だろうが!」
うん、こうなったらどちらかが自身へのダメージをある程度許容して動かないといけないがどちらも意地になっていて……どちらが先に覚悟を決められるか。
ここからまた長くなるかとちょっと座ろうと土木作業の休憩時に使えるからと端材で作っておいたベンチへと移動を始めた時、ロイが頭突きをする形で全体重をルスカ少年に向かって突っ込んだことであっさり決着した。
2人の勝負は、ロイの勝ち。
この辺の思い切りは命のやり取りをちゃんと覚悟を決めたタイミングで参加したことがあるかどうかが大きく出たか……。
2人への修練メニューへの今後に色々と考えることが出てきたが……その後の展開はイネちゃんが想定していた中でも割と面倒な方へと進むとは、この時点ではあまり考えていなかった。
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