第9話 深緑の場所 - 9

 炙った干し肉だけの朝食を済ませて、残りの干し肉も虫などがついていないかを確認してから出発前に準備しておいた食料袋にしまってから怪物の死骸へと視線を向ける。

 イネちゃんが最後に岩を投げた時と比べるといくつか弾痕のようなものが増えているように見えるものの、銃声はしなかったしそう言った気配もなかった。

 むしろ考えられるのであれば吹き矢や高速移動による一突きのような攻撃ではあるものの、どうやらイネちゃんを監視している連中からしてもあの怪物のトドメという意味ではイネちゃんの監視と同レベルかそれ以上に優先順位が高い事項だったようで安心した。

 少なくとも議会ってのは1人の不審者を監視するために民間人や産業道路の安全確保をおろそかにするような組織ではないことの証明なので今日の対話もある程度こちらの安心って面では担保された……までは言わないにしても楽観できるだけの要素が1つ増えたことは気持ち的に大変ありがたい。

 最も監視している連中が3勢力のどこか所属でその勢力だけがまともという可能性もあるため油断はできないけど、3勢力全部が足元を見ることが出来ない組織という可能性が低くなっただけでも実際に相対する人間としてみれば楽観材料の1つとしては十分。

「さて……」

 端末を堂々と開くのはしないまでも時計機能で時刻を確認し、約束の時間まではそう余裕がないのを確認してから次のイネちゃんの動きを考える。

 パラススさんが言うには今も隠れている子供も連れて行った方がいいとのことだったけど……本人が嫌がっているところを無理やり連行するのは監視者への心象に影響するし、そうなった場合は流石に監視をしてる連中に保護するかどうか本人の意思を尊重して動いてもらうように叫んでから単独で待ち合わせの目的地に向かうしかない。

 そこは流石に直接聞いてからではないと判断できないし、行動してから考えるか。

「アレは倒したからもう出てきて大丈夫だよ。ただ森の方は見ない方がいいけどね」

 イネちゃんの声を聴いて子供が恐る恐る顔を見せたので要件を簡潔に伝える。

「ところでお姉ちゃんはこれから街に行くけど、君もついてくるかい?」

 時間的余裕があまりないとはいっても流石に突然すぎたかなと思いつつも子供の表情はあまり変わらないどころか真剣な表情で少し考えてから。

「迷惑……じゃないの」

「迷惑だったら最初からこんな提案しないよ」

「…………だったら、うん」

 そう言いながら子供はイネちゃんのマントをぎゅっとつかんだ。

 ここでイネちゃんはとあることに気づく。

「そういえば名前、まだ聞いてなかったね。お姉ちゃんはイネ、君は?」

 苗字まで名乗らないのはこの世界の名前関係の文化を把握していないので苗字と名前を逆に捉えられないための工夫である。

 しかしイネちゃんのそんな思考とは別に子供は首を大きく横に振ってきた。

 これは……。

「名前、ないかわからない?」

 今度は首を縦に振る。

 こんなバラック小屋に1人ボロを着て住み着いていた時点である程度は想定してはいたけれど、こうして直接確認してみると感情に来るところはある。

 ただ街に行くかを聞いてこちらに迷惑じゃないかだけの心配でそれ以上の不安を見せていない辺りそれなりに街で優しくしてくれている人がいるのだろうと予想は出来るし、そうでなければ自分の名前すらわかっていない子供が1人で浮浪孤児で生き延びることなんてできないだろうからそう驚くこともないが行政が子とした子供に対して民間の善意が存在する程度には治世が安定気味であることの証明なので突然チンピラやマフィアに襲撃される危険は低くなったのはかなり好意的に見れる情報かな。

 正直に言えばそういう環境があるのであればこういう子供をちゃんと保護しろよと思いもしたが、子供を1人迎え入れて養うということに少し思考を巡らせてから民間では法的なリスクも当然ながら金銭面の要素が重すぎて個人で人を1人引き取ることは相応の覚悟が必要と思い至り、やはり行政か公的な色合いが強い組織がやらなければ難しい領域か。

 しかしパラススさんの思惑がよくわからない。

 対話の場に現地の浮浪孤児を連れていく理由が、この子供のため以外にはあまり思いつかないし、そもそも連れて行ったところで議会の方々が浮浪孤児を純粋な善意で保護するのかわからないので不安要素にはなる。

 まぁ保護しないような政治権力者連中ならこちらから見限るだけの要因にはなるし、何かしらの思惑を持って道具扱いするのであればそれはそれでムーンラビットさんやリリアが今後の付き合いで対応することになるだろうし現場のイネちゃんがそこまで心配することもないか。

 むしろイネちゃんが今心配して準備をしておかなければいけないのは、万が一の場合にこの子を背負うか小脇に抱えてゲートまで逃亡するルートと、そのために利用できそうな地形や建造物を把握しておくことか。

 バラック小屋から森の反対側となる方向は殆ど舗装もされていない、人が踏み固めて作られた自然道に近い産業道路になっていて、木こり小屋の近くにまで移動して気づいたことだが製材施設とかの設備は揃っているにも関わらず事務所になりそうな建物が見当たらない。

 それどころか森の近くにあるバラック小屋と同じようなものは点在してはいるものの、数に関しては何故ここまで点在させるのかという疑問が生まれるような建て方がされており、日雇い労働者や貧困層が生活するのであればあまりにも効率が悪いし生活インフラ面においても井戸が近くにないし河川も1本ある程度、薪に関しては何とかなるので飲み水は確保できるとは考えられるが食品に関しては森に入らざるを得なく、視界内には田畑が見当たらないので相応の金銭的な稼ぎがない限りは食つなぐのも難しい……と思いつつバラック小屋からは気配を感じなかったのでここに住んでいる人間は今はいないようである。

 しかしすぐにそのあたりの認識が間違えていたことに気づく。

 夜の間にある程度覚えた文字と単語だけで理解できる範囲ではあるものの、製材所の出入口と思われる場所に注意を訴える看板があり、そこには。

『魔獣出没につき一時閉鎖』

 といったものが掲示されていた。

 魔獣……というのが厳密にはどういう生物を指すのかはまではわからないもののイネちゃんが戦ったあの怪物が広義でその魔獣に含まれるだろう想像は出来る。

 地球の進化論から外れているし、大陸の基準から考えてもあの生物はむしろいろんな生物を融合させて弱点を意識して補強されていたので自然発生的にあのような怪物がいるということはイネちゃんからするとあまり想像できないけれど、このような看板があるということは魔獣という生命体がこの世界では地球や大陸では合成獣キメラと呼ぶにふさわしい進化をした存在がいることの証明にしていいか。

 実際に戦っていなければ疑問に持つ程度だったんだけどね、戦うことになっていたこともあってイネちゃん自身がそれを否定できない。

 しかしそうなるとこの子供はあんな怪物が徘徊する場所で寝泊まりしていたことになる……イネちゃんを監視してきていた連中に対してちょっとした怒りの感情が沸いてきたものの、イネちゃんの戦闘能力を把握する必要があちらにはあって子供を見捨てるかどうかを確認するのが監視していた連中の仕事だったのか、そう思うものの遺体確認と処理までやらせたのだからいろいろとあちらとしても思い通りに出来ていないか。

 となるとこの人が踏み固めた産業道路と思わしきものは魔獣出没の影響で今はあまり利用されていないものの設備点検は行われているようで看板が掲示されている場所の門は異端ではいるものの人の手入れが入っているのがよくわかるようだし金具の部分もいくつか新しい釘で打たれている箇所も確認できるので人の出入り自体はなくなっていないことが目視確認できた。

 とりあえず街にまで行かないとその他詳しい文明レベルなどは把握できないし、この子の安全を守りつつ街まで移動するのに長い時間をかけてもいられないのでイネちゃんのマントをぎゅっとつかんでいる子供の歩幅に合わせながらゆっくりとした速度で街へと向かった……手紙に添えられていた地図が正しいと良いんだけど。

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