第7話 深緑の場所 - 7

 通信を終えて昨日調理したかまどの所に戻ると、子供が目を覚まして外に出てきていた。

「そこに昨日と同じものを入れておいたから、食べていいよ」

 子供にそう伝えながらバラック小屋の扉横にかけておいた小袋を指す。

「なんで……」

 不安そうな声で子供が聞いてくるも、疑問の言葉だけ。

 ふとここで思い返すと口頭言語で意味が同じに通じていることを考えるともしかしたら言語の、特に単語関係と文脈関係に関しては共通的なもので認識できるのかもしれない。

 ただ文字文化が違う以上研究は続けるべきだし、イネちゃんとしてもこの世界の文字について多少学習しないとまともな旅なんてできないのでそちらに関してはちゃんとやるけど。

 そんなことを刹那思考によぎったもののすぐに子供の疑問に関して思考を戻す。

「なんでって、何が?」

「名前も知らない、全く関係のない人間に……なんでここまで……攫いもしなかったし……」

「旅人だと自己紹介はしたっけか、旅人ってのは出来る限り身軽な方がいろいろと都合がいいんだよ。その上で君を助けたっていうのはあくまでこちらの自己満足かな」

「自己……満足?」

 まだ納得できないといった顔を見せる。

 そりゃ当然、旅人で身軽の方がいいと言っておきながら確実に負担になるだろう人助けなんて行為は理解できない人の方が多い。

 比較的世界情勢が安定していて物質的に飽和状態の先進国って奴が複数ある世界なら、その先進国の人間が他国を旅する分には事件に巻き込まれないようにという警戒はするものの、明らかに社会的弱者に定義されるであろう貧困層の子供が1人でバラック小屋に隠れているところを見る場合概ね二通りのパターンが考えられる。

 1つは無視すること、圧倒的大多数はこちらになる。

 しかしながらもう1つは救いの手を差し伸べる行動をとる人が少ないながらも存在しているのも事実なのだ。

 その上でイネちゃんの生まれた世界である大陸ではむしろ助ける行動の方が標準的なもので、打算的な思考だけではなくそれが根底にある道徳心からくる行動規範なのでもはや動物の本能に近いようなものである。

 そういう意味でもイネちゃんの行動は普通の行動ではあるものの他の世界、特にこの世界のように貧困が日常になってしまっている世界にとっては特別なことであり裏があると思われても仕方のない行動。

 この子の疑問はそう言った背景から必然だった。

 ただその疑問に対してイネちゃんがこたえられる内容は間違いなく、この個人的感情って内容でしか表現できないし伝えることが出来ない。

 リリアならもっとうまく伝える言葉選びとかもできるのだろうけど……やっぱりイネちゃんはこういった方面での経験とか知識とかがいろいろ足りてなさすぎるな。

「ま、いろいろ不思議かもしれないけれどお姉ちゃんの故郷では普通のことだよ。だから遠慮しないで食べな」

 イネちゃんが促したタイミングで周囲の気配に異質なものが混じっていることに気が付いた。

 距離自体はまだかなりあるし、ここは半分獣道に近いようなものはあるもののほんの少し離れたと定義できそうな辺りに材木所というか製材所というか……少なくとも木こり小屋と言えるような建物を含めて複数存在していることから人の出入りは少なからず発生している地域になるものと考えられる。

 その上で今感じた違和感のある気配は人とも動物とも感じるにはちょっと困るような気配が少しづつではあるけれどこちらに近づいてきている。

「ちょっと中に入ってて、もしかしたら熊とかが近づいてきてるかもだから」

「えっ……お姉ちゃんは?」

「大丈夫、旅していればこのくらいは日常だから」

 まぁ実際旅をしているこの世界の人間ならこういった場合危機回避でこの子を連れてさっさと近くにある製材所らしき木こり小屋に駆け込むのが正解ではあると思うが、イネちゃんの場合街道や産業道路になっている地域で何かしらの襲撃が発生する可能性があるのであればその危険性と言ったものの内容も確認しておかないといけない。

 となればここで逃亡は本来の目的に反するものであって、現段階の情報ではイネちゃんに選択肢は実質存在していない。

 この子も何かの気配を感じ取ったのか表情をこわばらしてバラック小屋へと入り。

「お姉ちゃんも隠れて!」

「誰かが戦わないと、こんな小屋は簡単に崩されちゃうと思うからね。むしろ離れる形で誘導させるからずっと隠れているか、様子を見て万が一の時には街の方へと逃げること」

 先ほどまでの言動を考えたらここでイネちゃんも一緒にという感じで会話が続くものと思ったのだけど、どうやらそんな余裕も吹き飛ぶレベルの相手が近づいてきているのか子供はイネちゃんの指示に従って小屋のできる限り外から気配をうかがえなくなる場所へと体を潜り込ませた。

 熊とかの野生動物でも同じ感じになるだろうけれど、まだ肉眼での確認が取りにくいような距離で子供の直観力であってもこうなるような手合いとなるとこの世界においては人類の天敵とかそういう定義をされてそうな相手が近づいてきている可能性も考えられる。

 天敵と表現したのは人類が繁栄するために必要な天敵を察知するだけの直観、第六感に該当するような能力が遺伝子レベルで刻み込まれていると考えるとイネちゃんの気配察知並の察知を戦闘能力がない子供が有している理由として説明が出来る。

「ま、その辺は実際に調査したり今日の対話でそういう事実が存在するのかを確認すればいいだけのことか」

 とは言え現在イネちゃんの手持ちで使える武器は己の肉体を除けば左腕の仕込み籠手の展開シールドとコンバットナイフ、セラミック製の手斧くらいなものなのでよほど硬い相手だった場合はシールドバッシュで強引に押し切るか発勁で押し切るかの強引な戦術しか取れなくなる。

 ムーンラビットさんから万が一の状態であるのなら銃器だけではなく、イネちゃんの持ってる能力全てを使ってでも対応しろとは言われているものの、それは相手がイネちゃんを全力スルーして子供に向かっていった場合で考えておくだけで、イネちゃん本人に対して襲ってくる分には使わない方向にしておきたい。

 とはいえどのように状況が転ぶのかはその時にならないとわからない為、現時点で取れる対応を進めておく。

 まずはかまどに火を入れて熱による牽制用の木をいくつか作っておく。

 これに関しては野生動物にも使える手法ではあるし、そのまま襲い掛かってきたとしても押し付けるだけでしっかりとダメージを期待することが出来るからだ。

 次に仕込み籠手のシールドを展開しておく。

 これに関しては戦闘中に展開使用する前提で設計開発してもらった経緯があるため別に今展開しておかなければいけないわけではないものの、今も感じている恐らく議会側の監視の目に対して事前に危険察知をして準備ができる能力を持ち合わせているということを知らせるパフォーマンスの意味合いが強い。

 こういう細かい動作1つ1つを入れることで議会の人間からのイネちゃんの評価をある程度こちらの理想に近づけることが出来るからね、今回は下手に異常な戦闘能力を持ち合わせていると思われると子飼いの傭兵とかに組み込むような政略を計画されないためにあくまで長旅をする上で必要な早期警戒能力程度に認識を収めておきたい。

 最も既に議会の方々はイネちゃんが異世界からの来訪者であることは認識しているだろうし、単独で調査に来ている時点で相応の実力者であるという査定は住んでいるだろうからあまり意味はないのかもしれないけどね。

 そんなことを考えている間に異質な気配の元凶である存在が肉眼で確認できる距離まで近づいてきていたのでその正体を改めて確認する。

 外見は狼に近いが、4本足と顔のパーツが似た位置にあるというだけでそのほかの部位は、特に尻尾は狼の物であるとは決して言うことが出来ない程の異形な形をしていた。

 尻尾の先はまるで鋭利な刃物のようで、よく見ると胴体に狼のような動物であれば必要ないだろう器官が備わっているのも確認できる。

「四足動物が翼を生やす進化をする理由ってなんだろうね」

『まともな進化体系でないだけじゃないかな。ここまでくればこの世界の住人でない私たちでも認識できるよ、これ』

 イーアの言葉にもあるように、イネちゃんも今近づいてきている動物から発せられている気配の小隊が、パラススさんと出会ったときに少し感じた気配……恐らくは魔力とかそう言った類のものであることは理解できた。

 ほんの少量であるのなら視線を向けてきている監視者やバラック小屋に隠れている子供、それに昨日仕留めた熊からも感じることが出来ていたので、この世界の生物には多かれ少なかれそう言った魔力に該当する力が含まれているとは思うものの、近づいてきている異形の動物からはイネちゃんがこの世界を訪れてから今まで出会った中でパラススさんを除いて最も強いものなので異質な存在であるのは子供の反応を見る限り間違いないのだろう。

 あくまでイネちゃんの憶測ではあるものの、恐らくこの世界の人類や動物は目の前の異形の存在から命を守るためにいろいろな形でアレを察知する能力を遺伝子レベルで獲得しているほどに生活を脅かす存在であることは疑う必要はないと思う。

 少なくとも……目の前にいる今すぐにでも速度を上げてイネちゃんを襲うかもしれない程の殺気を出す異形の怪物とは戦うしかないことは確実なので、かまどから火のついた木材を右手に持ち、左手で刀身が盾に隠れるような形でナイフを逆手に持って右半身を半歩後ろに下げた構えで今すぐ戦闘開始できる体勢になった。

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