第6話 深緑の場所 - 6

 夜更けの時間にいくつかの気配を感じることはあったものの、こちらの学習と仮眠を阻害することはなかったので問題なく朝を迎えることができた。

 交渉のテーブルに関してもこちらが提案しただけであちらがどう動くのかがまだわからないし、何より時間制限も決めていなかったのでもしかすると議会を開いて決めるまで返答すらないという事態になるかもしれない。

 しかしながらこの考えは幸い杞憂でバラック小屋から顔を出すと1枚の羊皮紙が置かれていた。

 正直夜中の間に基本的な文字や文を学んでいなかったら読めなかったから危なかったものの幸い旅人が文盲である可能性も考えてか簡単ながら街の地図らしきものも描かれていて最悪今からそこに移動して待機し続ければいい流れなのは助かる。

 しかし相手が文盲を想定しているということはこの世界、少なくともこの領地における識字率はそれほど高くないと推測できる。

 まぁその識字率の低さって奴がこちらにとっては非常に好都合に動いてくれているわけなので現時点では感謝することになっているわけだけど。

『それでも1度リリアたちに知らせた方がいいと思う』

 手紙を見ているともうひとりのイネちゃんであるイーアが提案した。

「現場判断だけで大丈夫そうではあるけれど、文字の判読が確実ではない分そっちの方がいいか」

『状況離脱は出来るとしても、最悪を引いたら穏便は不可能になるだろうし』

「それは確かに。交代で24時間待機してるだろうし返事を待ってから動くのが無難だね」

 最悪を想定しておきながらそれを全部踏み抜くというのは、単独ではなくちゃんと後ろをカバーしてくれる誰かがいる時限定。

 単独で旅をする以上想定できる最悪に対しては可能な限り回避策を講じた上で踏む必要がないのであれば踏み抜くことなく遠回りすることを優先したいからね、ちょっと前までならイネちゃんにヘイトを集めて全部真正面から各種兵器を使って強引に叩き潰していけばよかったけれど、今はそういう動きで思考が固定しているイネちゃん自身を見直すための旅ともなる調査なのでイーアに制止役を務めてもらう形で慎重に動くのに越したことはない。

 羊皮紙を端末で撮影して送信ボタンを押し、最優先解読依頼と追記したものも送信しておく。

 どれだけ時間がかかるかわからない不安を抱きながら送信したものの、あちらも暇を持て余していたのかすぐに返事が返ってきた。

 内容としてはイネちゃんが認識した内容とほぼ同じではあったものの、しっかりと時刻が記載されていたらしく今日の正午頃に現地、文字が読めない場合を想定して1時間経って姿を見せなければ迎えを出すとのことだった。

 なんというか至れり尽くせりに感じるものの、あちらとしては元々ゲートのあった世界である他の世界を略奪することで生存していた世界と認識している可能性が低くなく、その世界とつながるゲートから出てきた相手がどうにも認識と異なっていることから接触して情報を引き出すことを最優先に従っている……と受け取れるような文面になっているとパラススさんが断言したらしい。

 時間の進み方としてはイネちゃんが体感している感じではどの世界でも1日の長さは地球と同じ感じながら1週間の長さが違ったりうるう秒やうるう年が違っているらしく、この世界のものはうるう年が存在しておらずひと月の日数を少なくして月を増やしているらしい。

 つまるところイネちゃんとしてはあまり気にする必要は無いとも言えるけれど、1年12か月ではないことを留意していないとどこかで怪しまれる危険があるということでもある。

『そこは今日の対話次第だね、こちらの事情を少なからず把握している人たちとの対話になるから……』

「後ろ盾になってもらえればそれがベストだね、特に商人の後ろ盾が個人的には1番動きやすそうだけど……どう転ぶかはイネちゃん自身の立ち回り次第か」

 無論あちらの思惑という要因の方が強いものの、少なからずイネちゃんの言動という要因の影響も出てくるだろうし注意しないといけない。

 万が一の時にはバックアップ組にお願いすることになるだろうし、送られてきた文面の特徴的に今対応しているのはロロさんだと思うのでリリアは日中に動けるようにシフトを組んでくれたのかもしれない。

 ともあれ現時点でイネちゃん自身が出来ることはほぼ無い。

 しっかりと朝食を摂って送られてきた資料を読み込んでこの世界の知識を頭に入れ込むことくらい……それも子供が起きるまでの間にしかできないのでまずは勉強をしておき、子供が起きてきてから朝食を作り始めればいい。

 この領地は大半が森であるため他の地域からは深緑領と呼ばれている。

 そのため基幹産業は材木と木材を利用した木工細工、他の地域の産業を支える重要なもの……工具なり燃料なり船のパーツなりと多種多様な初期加工と木材加工に使う工具も最高水準の物でこの領地の資金源の柱であり、守らなければいけない産業でもある。

 逆にこの深緑領において足りないものは穀物類、魚介類を始めとした食料、鉱物資源全般、衛生保護のための石鹸が足りていない。

 油に関しては油分を多く含んだ樹木が多いため何とでもなるらしいが、この辺りの物が完全に外交貿易に頼っている状態で安全保障という点では致命的。

 そのため3勢力議会とは言っても現時点で最も力を持っているのは商人勢力であり、貴族は外交的パイプで、教会は同じ宗派の宗教ネットワークでその席を守っているパワーバランスとのことで、このうち1番弱いと言わざるを得ないのは残念なことに貴族である。

 何せ外交的パイプとは言ってもそれは商人としても同様に貴族との伝手は持ち合わせていることだろうし、欲しいものの把握は得意で袖の下も簡単にできる都合上政治的に敵対している相手であっても商人はパイプが繋がっているなんてことはあり得ること。

 そうなると貴族としては外的要因のワイルドカードになり得るイネちゃんというカードを確保したがるだろうし、商人としてはそう言った貴族が自由に出きる不確定要素は大変面白くない。

 宗教勢力がどう動くか次第ではあるものの現時点でイネちゃんが把握している情報だけで判断するとしたらこちらの思惑とは真逆に貴族の後ろ盾で商人組合が嫌がらせをしてくる流れが可能性としては極めて高い。

 最もこの考えはあくまであちらがこちらの力や立場を正しく判断してくれるという前提での話であるため確実にそうなるというものではない。

 ただそれ相応にこちらもカードを切らざるを得ないだろうし、継続的に利益を提供できなければそもそも排除する方向であちらは動くだろう。

 そうなった場合が最悪なのは言うまでもないけれど、イネちゃんのバックアップをしてくれている皆がいる場所は元々侵略世界の首都であり基本的なインフラが整っていてくれたおかげで簡易的な一次産業の体制を整え、更に異世界との外交で武器として使える製造業も各種世界から職人やエンジニアを募集して既に小さな街の様相になっていたので、交渉の際にある程度現場裁量で約束を取り付ける権限もある。

 とは言えイネちゃんはどの程度の匙加減でその外交取引を武器として運用すべきかの知識も経験も少ないのでこればかりはリリアが起きていて対応可能な状態になっていることを祈るしかない。

 するとそのお祈りが通じたのか通信機に通信が入る。

 通話するために今子供が起きてきても大丈夫なようにバラック小屋の裏に回って耳を抑え、骨伝導型の通信機のスイッチを入れると。

<<イネ、おはよう>>

 通信機からはリリアの声が聞こえてきた。

「おはよう」

<<今日のお昼に場所指定の待ち合わせがあるって聞いたよ>>

「うん、その時に政治的な交渉になった時はそっちにお願いするよ」

<<それは問題ないけれど、パラススさんがバラック小屋に居る子供の風貌とか気にしてたんだけど、わかる?>>

「わかるけど……擦り切れて薄汚れている服装で髪は手入れしていない状態であまり目を見れない状態だったから。あぁでも声は結構澄んでた印象」

 昨日の調理をしていた時に聞いた声を思い出しつつ、他に特徴として目立っていた部分がないか思い出そうとするも、そんなものがあれば真っ先に思いつくので持っていたとしても服の下で隠れているか、本人が隠しているかのどちらかだろうし気づきようがない。

 いや厳密に言えばそういった隠されているものが金属や陶器であればイネちゃんなら気づくことはできるのだけれど、そのようなものを持っている感覚はなかったのでもし持っていたとしても純粋な魔法物質とか、純粋なエネルギー体、もしくは植物のような自然物であると考えられるのでどのみち気づくのは難しい。

 一応パラススさんの言動から魔術とか魔法と言った類に準ずる技術学問が存在していることはわかっているので、もしかしたらイネちゃんが気づけないように隠ぺいされているだけかもしれないけれど……それならそれでやっぱり気づきようがないのでどうしようもない。

<<何というか……もしかしたらその子も交渉の場に連れていった方がいいかもって言ってるんだよね、パラススさんが>>

「んー……まぁ子供1人なら守り抜く自信はあるけど、結構派手ないざこざになりやすくなるよ」

 リスク回避の意味では、正直断りたい。

 ただこの世界で賢人として生きてきたパラススさんが何かしら感じてそういう提言をしてきたということは少なからずメリットに繋がる要素を認識している、もしくは持ち合わせている知識から有利な流れを作り出せるだけの何かを経験則と合わせて計算出来ているのか……どちらにしろイネちゃんとしても無視できないだけの提言であることは間違いない。

「考慮はするけど、あくまであの子の個人意思を尊重する形にするよ」

<<うん、それでいいと思う。だけど万が一も考えてバックアップは整えておくよ>>

「内容は決まってる?」

<<潜入潜伏が得意な人が援護できるように……かな>>

「あぁうん、イネちゃんの知ってる人でその条件に適合している人が1人思い浮かんだ。正直そのまま交渉の場に出てきてもらいたいくらいだけど」

<<こっちも準備はしておくから、イネは安心して待ち合わせの場所に向かって大丈夫。ゲート周辺の地理に関してはパラススさんのおかげで機材投入前だけどある程度まとまってるし、地図も送るよ>>

「……いや、地図はまだいいかな。何だったら通信で案内してくれればうれしい」

<<わかったけど、なんで?>>

「地図って戦略物資だからね」

 詳細な地図とかそれこそ侵略を企むスパイだとか言われかねないので断りつつ、バックアップ体制の万全さに安心しながら通信を切った。

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