第5話 深緑の場所 - 5

 尾行監視していた人物が街の方角へと遠ざかり、子供も水を飲んだ後空腹が満たされたことで眠気が強まったためかバラック小屋の中で小さな寝息を立てた頃、イネちゃんはまずPDAを確認しつつ骨伝導型の通信機のスイッチを入れた。

「状況報告、ゲート付近から尾行監視していた人物と接触してこちらは対話を要求、あちらは飼い主の判断を確認のため移動して現在この場にはいない」

<<了解、ばあちゃんから引き継いだ内容で現時点で確定した情報はもう送信してあるから確認してね>>

 通信機から聞こえてきた声はムーンラビットさんではなく、その孫でイネちゃんの親友でもあるリリアの声だった。

 どうやら既に業務引継ぎを終えて本来予定していたシフトに移行しているようで、リリアの言ったようにこちらのPDAにはこの世界の文字言語関連と判明している意味の違っている単語一覧、この周辺の文化と貴族社会における世情についての情報が簡単にまとめられたデータファイルが表示されている。

 文字言語に関してはアルファベットを象形文字に近づけて文字数をいくつか増やしたようなものらしいが、文章にすると日本語的な感覚での表記が多くみられるものとなっているようで……正直に言えばこれを習得するには時間がかかりそうに思えた。

 そして文字が使えない状況である現在かなり重要になるだろう情報として意味の違っている単語一覧は通貨単位やメートル法が成立しておらず人体尺での運用が基本であると記されていた。

「これは単語の意味の違いじゃないよね」

<<私もそう思ったんだけどね、文化で統一して表記するよりも現状意味の違う単語が見当たらないから重要になるだろう項目を目立つように書いておいたんだって>>

「理解はしたけど……後々面倒くさくなりそう」

 まぁ検索機能は有効なので必要があれば利用すればいいだけなのであまりこだわらなかったのかもしれない。

 次にこの周辺の文明、文化に関して。

 これは貴族階級社会ではあるものの商会、つまり商人の地位が社会的にそこそこ高い文化で形成されてはいるが、自然崇拝的な宗教勢力も同様に強く貴族、商人、宗教家における3勢力からなる議会制度で深緑の原生林を中心とした領地は統治されているとのことで、転移ゲートがどれほど前から存在していたか不明な以上この議会はゲートの事を把握しており、監視していただろうことはほぼ確実であると男性が証言したとのこと。

 となるとイネちゃんが接触したあの尾行監視していた人はその議会の子飼いだったと考えるのが妥当か。

<<今回は状況の流れからして仕方なかったとは思うけど……対話のテーブルに座ったとしてイネはどう説明するの?>>

「正直に話すしかないと思うよ。少なくともイネちゃんがあのゲートを通ってこちらに来たことは事実だし、1名既にそっちに移住するために通ったのだから人を使って確認させればいいだけの話だしね」

<<あぁそっか、全部イネが1人で証明する必要はないんだね>>

「そういうこと、その上でこちらの意図はお互い不干渉になれるのであればそれで問題ないし、何かしらの繋がりを持ちたいのであれば交渉はイネちゃんではなくリリアたちに任せる流れにするよ。そもそもそれを判断するための調査の旅なのだからそうするしか選択肢はないとも言えるけど」

 それにイネちゃんとしては技術格差が数十世紀単位で開いている相手に対して戦争をしたくはない。

 それなら多少の拘留をされたとしても問題ないと考えているし、そうでなく拷問なりの非人道手段に出てこられた場合は強引な逃亡も選択肢から消さずにどう立ち回るのかを今も考えてプランをいくつか練ってはいる。

 相手が3勢力における議会制であるのであれば、相応に時間はかかるだろうし商人がその議会に対して発言権を持っている以上満場一致での拷問手段という選択はありえないと考えているので、この最悪の流れは発生しないとも思っているけどね。

<<まぁイネが送ってきたおじいちゃんが言うには交渉のテーブルさえ用意できればむしろ勝ちとまで言ってるし大丈夫だとは思うけどね。もし不利になりそうならパラススの名前を出せとも言ってたよ>>

「パラスス?」

<<おじいちゃんの名前みたい>>

 なるほど、元々貴族にパイプを持っていた賢人の名前を使えと。

 仕えていた貴族に嫌気がさして移住を希望していたことを考えるとどれだけ有効なのか疑問になる部分もあるにはあるが、逆を言えば自主出奔をした賢人が信用した人間であることを知らせるには手っ取り早い手段なのは間違いない。

 まぁ、貴族の不正関係とかまで暴露しようとしていた辺り貴族からしてみればたまったものではないだろうけど、政治的な駆け引きで商人は確実にこちらの後ろ盾になってくれる確率は相当なものになるか。

 そうなると動きが読めないのは宗教派閥になるけれど……全力でイネちゃんは熊を倒して尚且つ食肉してるわけだから教義に反する行いだと言われたら否定できる材料が皆無である。

 今バラック小屋で眠っている子供はどうやらこの宗教の信者ではあるようだけど、そもそもセーフティネットになる可能性が高い宗教家たちが取りこぼした信者の言動をどこまで信じてくれるのかも不安だし、子供をそんな政治の場に連れていくのは流石にやりたくないので判断しかねるところ。

<<最悪こっちの技術を見せる形で私も対話に参加する?>>

「リリアの思考読みは通話を挟んでたら使えないからなぁ」

<<そこはまぁばあちゃんにもいろいろと教えられてるから>>

「そういうことなら……」

 交渉事を前線兵士的に思考してしまうイネちゃんよりは外交や商取引の考えで対話可能だし少ないながらも実績はしっかりしているので頼りにできる。

<<それに今回に関しては転移ゲートが存在している地域で相手も把握しているのであればこちらとしても誠意を示しつつ活動黙認まではこぎつけないといけないから交渉役はこっちの仕事内容にもなるよ。今後の細かいこととか全部決める場合はイネだけだと決めかねる部分の方が多くなるだろうしね>>

「政治的な内容は無理だから助かる」

<<じゃあ、こっちもまた文字解析を進めるね>>

「次は文明レベルとか隣接領土の勢力とか……そういった面倒になりそうな政治的な注意事項についても調べてくれるとありがたいかな」

<<わかった、じゃあ気を付けてね>>

 そう言ってリリアとの通信は切れる。

 黙って出発したことを怒られるかとも思ったものの、声色的には気にしていないようだったのは不思議ながらもちょっと安心した。

 ともあれこれで交渉とかそう言った政治的な面に関してはカバーできる体制になったわけで、この子の今後に関してもその場で聞くべきか。

 議会側が孤児なり家出なりわからないものの子供を積極的に保護をしようとするかどうかっていうのもこちらからすれば立派な判断材料になるし、この子の今後を考えても戻った方がいいのか、孤児としてこちらが引き取ってあの賢人……パラススさんと一緒に暮らす形で保護するのがいいのかを判断することになる。

 まぁあちらは貴族を中心にして宗教派閥と商人派閥で三方それぞれの意見があるだろうし、意思決定自体は時間がかかるものの各々の勢力でイネちゃんの活動を黙認なり容認なり積極的な後ろ盾になるなりの思惑が飛び交うことだろうし……面倒にならなければいいなと思いつつも絶対面倒になるだろうことを覚悟しながら判明している分だけでも文字の学習を始めるのだった。

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