第2話 深緑の場所 - 2
熊を解体、血抜きの作業中にずっと周囲からの見られている視線を感じながらもこちらに接触することも攻撃することもせず熊を吊るして天日干しにするほどの時間を観察だけに費やすのはよほどのバカか、イネちゃんと熊のやり合いを見て実力的にどうするのか決めかねているか……正直前者だとすごく面倒で厄介すぎる。
何せそういうことをするのは男性があちらに行く前に話していた犯罪者とかそういった類の人間の可能性が高く、実力差を理解せずに寝込みを襲えば何とかなるとか勘違いするからだ。
早朝に出発したとは言ってもあの男性との会話と案内、熊との戦闘に後処理をして既にイネちゃんの持っている時計は既に地球の日本標準時で14時を回っているので流石に活動拠点として雨風防げる拠点を作っておかなければ原生林を調査するにしても野生動物に襲撃されない寝床というのはかなり優先順位が高くなる。
何だったらあの男性の寝床にしていたところを使わせてもらえたらいいんだけど、あの前のめりの少年のような瞳の輝きを見ては断れなかったし、情報をもらうという意味ではこちらの差し出せるものは移住権が1番有効で重いものだったから結局のところこうなることがわかっていたのだけど、そのタイミングはもう少し落ち着いて冷静に考えるべきだった。
後悔先経たずというのはよく言ったことわざと思いつつ、いっそのことここにログハウスかツリーハウスを建築してしまおうかと考えたところで通信機からコール音が聞こえてきた。
一応こちらを監視している視線から隠れるようにして洞窟、干してある熊の影に隠れる場所まで移動して通信機のスイッチを入れる。
<<今大丈夫だったか>>
「大丈夫じゃなかったら出ませんので」
<<それもそうやな、とりあえずこっちの状況だがイネ嬢ちゃんが送ってきた奴、移住許可出したんよ>>
「ということは情報はもういくつか?」
<<概要だけな、後はまとまり次第そっちの端末に送信するんで文書で確認してもらっていいか?>>
「構わないですけど、こっちからも1つ2ついいですか」
<<ええよ、できる範囲だが>>
「その男性、もうこっちの世界に戻ってこないのであれば活動拠点として暮らしていた場所を借りたいのと、文字関係の情報だけは優先してもらっていいですか。通貨に関しては最悪イネちゃんの勇者の力を使って金のインゴットなり純度そこそこの鉄鉱石で何とかなるとは思うので」
<<了解、文字関係を最優先にするな。それと……こいつの住居だが、野宿同然だったみたいなんよ>>
「……となるとログハウスかツリーハウスを今から作らないといけないのか」
<<いや、森に入る前に使っていたバラックがあるらしいんで今からそっちに移動を始めれば日が落ちる前につくらしいんでそっちで頼むんよ>>
「晩御飯の熊が血抜き中ですけど……」
<<皮だけ残して可食部を背負っていくしかないな、イネ嬢ちゃんなら移動速度落とさずに行けるやろ>>
「行けますけど、どうにも複数の視線を感じてるので重量物を背負った人間を見逃してくれるかが心配ですね。後そいつらがイネちゃんが離れた瞬間ここに入り込んだ場合そちらの負担になりますけど大丈夫です?」
<<戦闘要員は士気が高いのがもう数名到着してるんで大丈夫よ。後襲撃された場合生死は気にしないでええと思うで、どうにも犯罪者が基本みたいやしな>>
「犯罪者となると、場合によってはお金になりますからね。生きてることが条件だった場合後々面倒になるので……」
<<なるほど……文字と同時並行で聞いておくんよ>>
「そっちにはあまり期待しないでおきます。おそらくここの住人は隣人に対して過度の干渉はしたくないってのも多いと期待して移動した方が無難ですし」
実際襲撃するならさっさとして欲しいくらいなのだ。
襲撃者をしっかりと撃退できる実力を証明して見せるのが裏社会とか犯罪者集団に対しての抑止という観点からは間違いなく有効なので、対熊相手に素手で勝ったっていうのはそれほど有効な抑止力になりえない。
何せ遠距離攻撃で鶴瓶撃ちするなり寝ているところを放火したりすればどんな達人だろうが熟睡中にそんなことをされればどうということはないと考えるのは徒党を組むだけの知能があればできることなのでされないと考える方が無理だし、この森に居る殆どが犯罪者とは言うが、言ってみれば国家社会から逃げおおせた人間で知恵が回るかよほど運のいい人間というのもイネちゃんが警戒している点でもある。
それにイネちゃんが倒したこの熊のように野生動物も相当数存在しているだろうこの原生林において生きていられるという時点で相応に頭がいいか戦闘能力があるかのどちらかなので無駄に自信過剰である可能性も低くない。
無論イネちゃんはその手の相手どころか対軍でも負ける気はしないし、そういったものに対して対処できる何らかの実力、実績がなければそもそも異世界の調査なんてものは遂行する能力があるとは言えないので大丈夫なのだが……常に最悪を想定することは悪くない状況なのでアレコレ足りない頭を回転させているわけである。
<<バラックの見た目を変えなきゃ中身をある程度リフォームしてもええよ>>
「となると地下作ってそっちで寝た方がいいですね」
<<その辺の判断は現場判断でしてくれればええんよ。睡眠取らずに1週間脳を疲れさせずに動けるココロならまだしもイネ嬢ちゃんはそうもいかんやろうしな>>
「むしろココロさんならそれが可能という事実に驚きました……いやできないと考える方がどうかとも思い直しましたけど」
<<なんであくまで隠匿する形での能力使用は自由にしてもらってええからな>>
「人里離れた地域ではそうします」
そうなると放火されたところで問題はなくなるか。
むしろイネちゃんを排除したいと思っている連中からは骨すら焼けたと思わせられるし案外悪くはない。
その後生存がばれたところで脱出したと言い訳すればいいだけだし人里離れた場所ではシェルターのような形でイネちゃんだけが利用できる居住空間を点在させておくというスタイルが取れそうだ。
<<とりあえずそっちの世界における概要程度の情報は端末に送っておいたんで、移動して落ち着いたら確認してな>>
ムーンラビットさんはそう言って通信を切った。
ちなみに端末というのはこの世界の住人からしてみれば石板なり鉄板にしか見えないPDAのことである。
宇宙文明世界との交流があるからこその装備ではあるけれど、どうせならもう少し隠匿性の高い装備品にした方が良かったんじゃないだろうかとも思ったのだが装備としての性能を把握されにくいという点では原始的な構造の端末の方が無難という結論に至ったため宇宙文明の技術を地球の製造過程で作って大陸のような魔法世界による通信能力向上と魔法探査からの防護を付与したという多世界キメラのようなPDAが作られたのだ。
「移動後に、それでは移動します」
<<了解よー、こっちも文字関係の翻訳は進めておくかんな。犯罪者連中の襲撃は……>>
「当面回避の方向で動きますが、相手から来た場合は反撃で死なない程度に留めます」
<<わかったが、あまり派手にならんようにな。じゃ任せたんよ>>
その言葉が終わると通信特有のノイズが消える。
長々と通信をしていたにも関わらず視線の気配は消えておらず、距離も詰められていない。
中途半端ながらも血抜きをある程度済ませた熊の可食部を今日の晩御飯分と数日分の保存食に加工する分だけを手早く切り取り、毛皮を剥いで内臓を洞窟の入口付近に捨ててからまだ血のついている毛皮を被るような形で洞窟から外に出る。
一応これは野生動物向けの回避、警戒用で視線を向けてきている連中向けではないもののこの場から離れるために野生動物とのエンカウントを減らす意図をもっての行動である。
ちなみに熊の毛皮というものはその大きさにもよるが数十kg以上の重量があるのでこれでも十分に重いものとなる。
イネちゃんが倒して解体した熊は幸いそれほどの大きさではなかったものの、それでもイネちゃんがこちらに来る以前にしていた標準装備をフルで身に着けたとき程度の重量がある上に被る形というのは持ち運びに不便で、しかも原生林なのでところどころ枝をひっかけながら移動することになるため速度はかなり落ちるのだ。
まぁ……結果から言えばある程度洞窟から離れたら視線の気配はいくつか消えてくれたのでただの縄張り警戒の中立地域か、あのポイントが丁度男性のテリトリー範囲でどういういきさつになるのかを監視していただけなのかもしれないが、気配の2、3程がこちらを追跡してきているのを感じるため警戒を解くわけにはいかない。
単純に縄張りを突っ切っているから警告を兼ねての威圧行動なのか、それともこちらの動きを観察してみぐるみを剥ぐことが出来る人間なのかを見定めているのかまでは殺気を感じ取れないので判断するのがとても難しい。
もしかしたら普段はこの森に隠れていて外に出れば暗殺をして日銭を稼いでいる手合いの可能性だってあり得るので、その場合は最悪こちらが確実に死んだことを判断できるまで高確率で付け狙ってくる。
それはこちらとしても活動に支障が発生するので流石に排除せざるを得ないが……あくまで今はこちらの頭の中だけの考えなので全ては事が発生してから考えればいいことでもあるし、現状ではそういった場当たり的な選択しかできないので毛皮の下でPDAを確認しつつ森から急いで出るため急ぐのであった。
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