メッセンジャー

あきのりんご

短編

 少年は山道を歩いていた。

 見覚えのない道。自分がどこから来たのか、どこへ向かっているのかもわからない。ほかに人がいる気配もない。

 綺麗に舗装された道ではないが、けもの道でもない。

 ハイキングコースのような道がずっと続いている。

 景色はよかった。

 少し霧がかかっているが緑が多く、遠くには山々が見える。

 むしろ緑しかないと言ってもいいかもしれない。

 空気もきれいだ。

 少年が普段通学路として使っている道は車の通行が多く、排気ガスで空気が淀んで見えるほどだった。

 この山がどこかはわからないが、木々の香りを運んでくる風が気持ちいい。

 しばらく歩き進めると、ゴツゴツとした大きな岩がたくさん連なる道に出た。

 あたりを見渡すが、やはり誰もいない。

 ほかに道もないようだし、結局ここを進むほかないようだ。

 頂上にたどり着けば誰かいるかもしれないし、誰もいなくても頂上から見下ろせば、ここがどこかわかるかもしれない。

 そう思った少年は岩の隙間に足を取られぬよう気を付けながら、そのまま進むことにした。

 慎重に足を運び、進み続けていく。

 どれほど時間が経っただろうか。

 傾斜がどんどんきつくなり、岩と岩の隙間に足をかけ、登っていく。


(なんだかロッククライミングみたいになってきたぞ)


 そんなことを思うが、もうすぐ頂上に到着できそうだ。

 あと一息。

 一番上の岩に手を伸ばす。


「あっ」


 掴んだ岩がボロリと崩れ落ち、少年はバランスを崩した。


(落ちる!)


 万事休す。と思ったそのとき、パシッと大きな手に手首を掴まれた。

 そのまま岩山の上へ引き上げられる。


「はーっ」


 頂上で座り込んだ少年は大きく息を吐いた。

 そして自分を引き上げてくれた人物を見上げる。

 四十代後半から五十代といったところか。

 少し粗野な雰囲気のある中年男性だ。

 幼い頃からずっと会っていない父親と近い年代だなと思った。


「助けていただいてありがとうございます」


 少年は中年男性に頭を下げた。


「礼には及ばないよ。誰もいないのかと思ってぼーっとしていたら、崖の方から登ってくる人がいたものだから」


 中年男性はニカッと歯を見せて笑う。

 ちょうどいい岩が二つあったので、向かい合って腰かけた。


「崖の方からって……ほかに道があったんですか?」

「俺はあっちの道から来たからなあ」


 男性はサムズアップした手で自分の背後を指す。

 つまり、少年とは逆方向から来たらしい。

 誰とも会わなかったということは、ここには少年と中年男性の二人しかいないのだろうか。

 それもそれでどうかと思うが、誰もいないよりはマシだ。

 少年は名乗ることにした。


「そうですか。でも、人がいてよかったです。あ、俺、ミツルって言います」

「俺は田中だよ。高校生かい?」

「そうです」

「T高等学校か。頭がいいんだねえ」


 田中と名乗った中年男性に言われて少年――ミツルは気づいた。自分が高校の制服を着ていることに。

 岩山を上ってきたせいか、あちこち汚れている。


(母さんにきれいに洗ってもらったばかりだったのにな)


『しっかり勉強しておいで』


 女手一つで育ててくれた母だ。

 帰ってこない自分を案じているのではないか。


(なんで俺はこんなところにいるんだろう)


 少し思い出した。

 普段より早い時間に家を出たこと。

 幼馴染のタカシと一緒に駅に向かって歩いていたこと。


「タカシはどこに行ったんだろう」

「タカシ?」


 田中がミツルの顔を覗き込んだ。


「友達です。見ませんでしたか?」

「いやあ、さっきも言ったとおり、俺以外誰もいないと思っていたぐらいだから」

「ですよねえ」


 ミツルはため息を吐いた。

 どこなのかわからない場所で見ず知らずの中年男性と二人きりなのだ。

 どうやってこの山にやってきたのかも思い出せない。

 田中も大きくため息を吐く。


「本当にここ、どこなんだろうなあ」

「ですよね。どこなんでしょう。誰もいないし」

「ひょっとしてあの世だったりして」

「えーっ。あの世って、俺たちが死んだってことですかあ?」

「わからん」

「ひょっとしてタカシがよく読んでた異世界転生ってやつかな」

「異世界転生?」

「よくあるパターンはトラックに轢かれて死んだ主人公が、異世界に生まれ変わってチート能力を使うってやつ」


 田中の眉が片方、ぴくりと動いた。そして考え込む。


「うーん、なんか娘がそんな漫画を読んでいたような気がするけど、そんなこと現実にありえないしなあ」

「娘さんいるんすか」

「いるよ。中学生にもなると全然会話してくれないけど」

「ははは。俺のクラスの女子もそんな感じっすね」


 そんな他愛もない話をしていると、どこからかチリンチリンと自転車の音が聞こえてくる。

 ミツルの登った崖の方からだ。

 田中とミツルは顔を見合わせて、同時に振り向いた。


「ああ、二人ともこんなところにいらしたんですね」


 いつの間にか目の前に自転車に乗った男がいた。

 男はショルダーバッグを斜めに架けキャップを目深に被っていて、見えるのは顔の下半分だけだ。

 格好だけ見たら、郵便配達員のようだ。やってきた場所がおかしいが。


「えーっと。斎藤ミツルくんと、田中一郎さん?」


 いきなり現れた男に名前を呼ばれ、戸惑いながらミツルは返事をした。


「はい、俺が斎藤ミツルです」


 田中も返事をする。


「俺が田中一郎だけど……あんた誰? ていうかここがどこか知ってるのか?」


 男は質問には答えず、自転車を降りて倒れないように後輪についているスタンドを立てた。


「メッセージを届けに来ました」


 そう言って男はショルダーバッグから白い封筒を取り出し、ミツルに差し出す。


「えっ。なんすかこれ」


 わけがわからず、ミツルは二、三歩後ずさった。

 その分、男が前進して距離を詰める。


「だからあの、なんすかこれ」

「メッセージを届けるのが私の仕事なので。受け取ってくれないと困るんですが」


 男の仕事はメッセンジャーというわけだ。

 拒否しようとしても男がぐぐっと封筒を押し付けてくるので、仕方なくミツルはそれを受け取った。

 封筒は糊付けが弱いらしく、簡単に開けることが出来た。


「わっ!」


 開けた途端に、ミツルのまわりは七色の光に包まれた。


「まぶし……っ」


 ミツルは眩しさのあまり両手で顔を覆い、強く目を閉じた。

 光はそのまま空へと上がっていき雲を突き破った。

 そして突き破られた雲の間から、白く光る雪のようなものがふわふわと降ってくる。

 それはとても優しく、柔らかく、暖かかった。

 くすぐったい感触に、ミツルはゆっくりと目を開ける。

 切れ間なく降りそそぐたくさんの光は、ふわふわと浮遊しながらミツルの体を包み込むようにまとわりつく。

 それと同時に、優しい歌のようなものが聞こえてきた。


(この歌、聞いたことあるような気が)


 その歌はミツルの体を包み込む光の中から聞こえてくるようだ。

 なんと歌っているのかはわからないが、小さな子供たちの合唱のような心地よい歌声だった。昔、母に連れられて行った教会で聞いた歌に似ている気がした。

 ミツルが持っていた封筒は一枚の手紙に変わっていた。


『助けてくれて、ありがとう』


 そんな一文が書いてあった。

 手書きの字に見覚えがある。


「タカシ?」


 間違いない。幼馴染のタカシの文字だ。

 この山に来る前のことが瞬時に思い出された。

 いつもより早く出てタカシと一緒に駅に向かって歩いていた。

 交差点で信号を待っていると、大型トラックが突っ込んでくるのが見えた。咄嗟にタカシを押し出すと、ミツルはトラックに轢かれたのだった。

 自分を呼ぶタカシの声。


(ああ、タカシは助かったんだな。よかった)


 けたたましいサイレンの音。

 救急隊員が話しかけてくる声。

 処置するために制服を切ると言っていた気がする。


(やめてくれ、制服は切らないで)


 答えようにも、声を出すことが出来なかった。


(制服を切られちゃったかなあ。母さんになんて言おう)


 それが最後の記憶だった。

 そして暗転。

 気が付けばこの山にいた。

 ということは。

 ミツルはメッセンジャーの男を見る。


「異世界転生?」

「違います」


 即答された。


「違うか~」


 苦笑するミツルの目に涙が浮かぶ。

 ぽたりと一滴、大粒の涙が手紙に落ちると、手紙はすうっと消えた。


「なんだよ、俺はただ死んだだけってことかよ」


 ぼろぼろと涙が止まらず、しゃくりあげていると、ミツルの体を包み込む光が強く輝きだした。

 浮遊する感覚に包まれ、これからどこへ向かうのか、ミツルはなんとなく理解した。


「現世の人に届けたいメッセージ、何かありますか」


 男が言う。

 そんなことを言われると思っていなかったミツルは、誰に何を言うか焦って考えた末、こんな言葉しか出てこなかった。


「あ、えーっと、母さんに制服、切られちゃってごめんって言っといて。緊急事態で仕方なかったって」


 言いたかったことは、本当はたくさんある。

 タカシに俺の分まで長生きしろよとか、クラスのみんなに元気でなとか、気になっていたコンビニの女性店員に好きですと言いたかったとか。

 母親にだって制服のこと以外にも言いたいことはいくらでもあったが、喉がつかえて言葉が出なかった。


「かしこまりました。伝えておきます」


 男は懐から手帳を取り出し、さっと書き込む。

 そうやって話している間にも、ミツルの身体はどんどん上昇していった。


「あ、田中さーん! 超短い間だったけどありがとうございました」


 その声が聞こえたときには、もうミツルの姿はほとんど見えなくなっていた。

 ミツルが消えていくのを、田中は呆然と見送った。


「……制服を切られたことを謝るって。最後の言葉はそれでいいのかな」


 光の消えた空を見上げながら、ぽつりと呟く田中の言葉に、メッセンジャーの男が返事する。


「母子家庭で、勉強を頑張ってレベルが上の高校に入ったからいろいろとお金がかかるので、母親が仕事を増やして頑張っていたらしいですよ」

「……それで彼はどこに行ったんですか?」

「転生です」

「異世界?」

「違います」

「じゃあどこに?」

「空の上で少し休憩してから、普通に現世のどこかに生まれ変わります」


 空の上とは、天国ということだろうか。


「ああ、そうなんですね。じゃあ俺もどこかに転生するのかな」


 田中の問いに対して、自転車の男の答えは。


「あなたは転生しません」

「え?」


 戸惑う田中に、男は黒い封筒を差し出す。


「こちらがあなた宛てのメッセージです」


 ミツルが受け取ったのは白い封筒だった。

 自分は何故黒い封筒なのか。

 田中は恐る恐る封を切った。

 何も出てこない。


「おや?」


 田中は封筒を覗き込んだ。

 すると、中で生き物の目のようなものが光り、同時に、封筒からありえない質量の黒い影が出てきた。

 影はまたたく間に、辺りをすべて闇に閉ざした。


「うわあああああああっ」


 突然の闇に田中の悲鳴が響く。

 真っ暗闇で何も見えない。


「あああっああっあ……」


 田中は泣きながら蹲った。

 暗所恐怖症なのだ。

 暗闇にいると恐怖のあまり呼吸困難になり、体は震え、心臓はバクバクと脈打ち、吐き気も伴う。

 暗闇から何かが現れ、自分を食い尽くすような気がして仕方がない。

 手にしていた封筒は手紙に変わっていた。


『絶対に、許さない』


 血のような赤い色でこう書いてあった。

 見た瞬間、田中の全身の皮膚が粟立つのを感じた。

 赤い文字はそのまま血のように滲み広がり、小さく燃えた。


「あつっ」


 田中が手を離すと、手紙はそのまま燃えながら、空へと舞い上がり、消えた。

 再び真っ暗闇になったと思ったら、空から何か光るものが降ってくる。

 一瞬救われたと思った田中だったが、降ってくるそれを間近に見て絶望する。

 それは無数の小さな矢。つまようじほどの小さな矢が無数に降りそそぎ、田中の体にぷすぷすと穴を開けていく。


「うわあああっ」


 体のあちこちに刺さる矢を手で振り払おうとするが、雨のように次々と大量に降ってくるので、防ぎようがない。


「痛い痛い痛い痛い痛い痛いいいいいい」


 せめてと、両手で頭を抱えて蹲る。


「なんで、なんで……」


 涙を流しながら叫ぶ田中に、メッセンジャーの男は傘を開きながら一瞥した。


「そのメッセージは、あなたが殺した斎藤ミツルくんの母親からのものです」


 田中はすべて思い出した。

 自分が運転していたトラックで高校生を轢いてしまったことを。昨夜の酒が残った状態で運転していたことを。トラックは高校生を轢き、そのまま近くの電柱に突っ込んだことを。

 救急隊や警察の話しかける声も聞こえていた。

 さっきまでここにいた彼に、謝らなくてはならなかった。

 このまま自分はこの暗闇の中で矢に降られながら長い時を過ごすのだろうか。

 それが自分に下された罰だというのか。


「ここは、地獄なのか」


 呟く田中の耳に、男の声が静かに響く。


「違います」


 矢は絶え間なく降り続く。

 メッセンジャーの男は傘のおかげで矢の雨をしのいでいるようだ。

 傘に入れてほしい。田中は男に近づこうとするが、とにかく矢がものすごい勢いで降ってくるので動くことが出来ない。


「あなたは転生しませんし、ここは地獄ではありません。私はメッセージを届けに来ただけです」


 仕掛け付きの電報みたいなものですよ。

 ずっとキャップの影で見えなかった男の顔が何故かはっきり見えた。男は微笑んでいた。

 田中の意識はそのまま暗闇に飲まれていった。



 田中は病室のベッドで目を覚ました。

 起き上がろうとしたが、全身が痛くて動かすことが出来ない。

 よく見たら体中に管が繋がっている。

 重傷だったようだ。ひどい夢を見た気がする。

 体は汗でびっしょりと濡れていた。

 ふと、ベッドの隣にある袖机の上に置かれた封筒が視界の隅に入った。

 動かない手を必死に伸ばし、封筒を取る。

 中にある手紙を広げると、このように書いてあった。


『絶対に、許さない』

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メッセンジャー あきのりんご @autumn-moonlight

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