第5話 令嬢たちは噂好き
普段はイザベラを呼ぶところを、今日はジョイスを伴って、午後、ソフィーは図書室にいた。公爵家から例の手紙が届いて以来、美人のメイドから期待も信頼も失っていて何となく居心地が悪いためである。件の手紙が届いてからもう一週間が経っていた。ちなみに、家族からも呆れられたので外出は自粛している。
無為に過ごしても仕方がないので、オブライエン公爵家について調査中だ。尤も、それほど情報はないが。
「ねえ、イザベラは怒っていて?」
「まさか。そんな筈はないじゃございませんか」
朗らかに答えて微笑んでみせるジョイスの顔には、困ったような色が見える。そうよねと言う他なく、ソフィーは諦めて
「やっぱり図書室じゃ限界ね」
「現代史をお調べですから……仕方のないことでございます」
「そうね。明日は外に出るわ。図書館に行かなくちゃ」
ジョイスが首を傾げた。
「明日はバルドー侯爵家のお茶会に出席なさる筈では?」
「あー……嫌だわ、何も聞かれないと良いけれど」
忘れていた外出の予定とはどうしてこうも人を億劫にさせるのか。出不精のソフィーは遠い目をした。行きたくなくて仕方がない。
友人と会うので、行けばそれなりに楽しめるのは分かっているのだが、それにしても気がかりなことが二つあった。一つは、ソフィーが婚活市場における優良物件のクリスをキープしている情報が、知られているかもしれないということ。そしてもう一つは、公爵家との見合いがどうなったか聞かれるかもしれないということ。
友人相手なだけに、はぐらかさねばならない局面となるのが憂鬱だった。
「そういえば皆様ご存知かしら。あのオブライエン公爵閣下が最近外出なさってるそうよ。一昨日、観劇にいらしてたんですって。目と髪は隠しておいでだったそうですけれど」
初耳だ。ソフィーは口の中の分の紅茶を飲んでしまってから、ティーカップをそっとソーサーに戻した。これだから人付き合いを完全にやめるわけにはいかない。
「まあ、あの公爵閣下がですか?」
「どういう心境の変化なんでしょう」
ソフィーを除く二人の令嬢が相槌を打つ。アイリーンとオリヴィアだ。
今回の茶会はごく親しい者だけが集まる気取らないものなので、参加者全員が表情も声もリラックス気味だ。場所も、主催であるバルドー侯爵令嬢セシリアお気に入りの庭園なので、打ち解けて━━言ってしまえば俗なことも話すことができる。とはいえ、花々に囲まれて四人の令嬢が上品ぶって話しているので、姦しくはならず、
「とうとう結婚を意識なさったんじゃないかしら。以前にも縁談の噂はございましたが、そのときには外出なさったとのお話は聞きませんでしたから。社交を全て夫人に任せるだなんて、婚約に差し障りますものね」
オリヴィアが意見を提示する。ソフィーを含む三人の令嬢たちが納得の頷きをした。場の空気はもう、公爵の行動の理由は結論づいたものとして進んでいく。
「セシリア嬢も公爵閣下にお会いになったのですか?」
「いいえ、私には既に婚約者がおりますのでお断りいたしましたの」
セシリアがはにかむ。幸い、婚約者探しが切羽詰まっていない令嬢だけのため、空気が悪くなることはなかった。
「皆さんは?」
セシリアに話を振られて、残る三人は顔を見合わせた。ややあってアイリーンが応じる。
「私はお会いしました。ただ……」
綺麗に化粧を施された顔が曇った。
「その時の記憶がございませんの」
「まあ」
驚いたソフィーはアイリーンを見つめた。失神した令嬢は一人しか知らないが、だからといって一人とは限らないことに今更気がつく。倒れて頭を打ったのだろうか。そう想像してみる。そうでないと流石に公爵が哀れ過ぎる。視覚的ショックで倒れるどころか記憶障害なんて、あまりに惨い話である。
それにソフィーには、眼鏡の下がそれほど刺激的な容貌だとは思えなかった。
「でも倒れたわけではないのでしょう?」
少し面白がるようにオリヴィアが聞いた。ソフィーははたと耳をすませた。
「ええ……ただ、何だか恐ろしかったような気がいたします」
魔法だ。ソフィーは直感した。
人の口に戸は建てられない。記憶の操作や封印はかなり難しい魔法だが、その分、
だが気になる点が一つ。ソフィーの脳には公爵の容姿の記憶が遠目ながら残っている。記憶の操作も封印も施されていないということだ。手紙にも情報漏洩を禁じる旨はなかった。婚約が結べるか定かでないのに、何故この状態を放置できるのだろうか。
「ソフィー嬢?」
名を呼ばれて、はっと我に返る。セシリアの榛色の目が、真っ直ぐにソフィーを見ていた。美しい光景だと思った。セシリアのふわふわとした濃い金髪が光に照らされて、輝いているように見える。
「どうかして?」
「あまりお美しいものだから見惚れておりました」
「もう、誤魔化さないでちょうだい」
「本心でございます。私の席からですと、黄金色の
セシリアが目を細める。信じていない目付きだ。
「貴女が殿方なら、きっと女泣かせね」
「まさか。それに私は女性には笑っていて欲しい方です」
もし男なら、得体の知れない令嬢は嫌だと突っぱねることができたのだろうか。ふと、考えるまでもない疑問が浮かんだ。ソフィーが令息で、公爵が令嬢だったとしたら。
セシリアが皮肉る。
「ええ。何の気なく女性を喜ばせて誤解させるのよ。誠実そうな分、始末が悪いわ」
きっとできただろう。ソフィーは内心の疑問に答えを下した。
「そんな風に言っていただけるとは光栄ですね」
男の拒絶は許容される傾向にある。女は拒絶するにも、我が儘と断じられないだけの説得力のある理由を用意しなければならないし、相手を刺激しないように、だが巧く逃げられるように心がけなければならないことが多い。そこまで考えて、ソフィーは辟易した。二つの世界では、こんなことは共通している。
「光栄? 何故かしら」
セシリアが聞き返す。考え事はよさなくては。そう言い聞かせたが、前世とも関わる議題にソフィーは弱かった。そして眼前の令嬢への興味より、理不尽への怒りの方が、強かった。
頭がいうことを聞かないのですっとぼけて時間を稼ぐ。
「あら。本当はお分かりでは?」
被害者は、拒絶して暴力を振るわれれば、刺激したと非難されることがある。それでいて、刺激しない物言いを心がければ、誤解━━誘っていたとかいう世迷言である━━を招く行動だったと、これもまた非難される。もちろん必ずしも女性が被害者とは限らないが、とはいえ、いやそもそも、被害者に責任を求める愚かな姿勢には、なまじ二つの世界を知る分、失望が大きかった。
ソフィーは溜め息を堪え切れたのは奇跡だと思った。
「ソフィー。
セシリアが聞き返す。ソフィーは微笑を返した。目の前の相手に集中しなければならないともう一度自分に言い聞かせる。公爵をはねつけられないソフィーの葛藤など、セシリアは知る由もない。
「私の言葉で喜んでくださっている、ということでしょう?」
セシリアが微かに目を見開く。それから無邪気に笑った。この、親しい同年代の同性ゆえにできる、揶揄い合いのぬるさがソフィーは好きだ。家格が違えど、異性を前にして時折おぼえる嫌な緊張は微塵もない。
ソフィーはまた物思いに沈み込んだ。
友人である令嬢たちと違い、格上の男であり、他人と隔絶されている公爵。一体どう対処すれば良いのか。ソフィーには答えが出せなかった。
可哀想だとは思う。だが、面倒事はごめんだとも思う。自分が引き受けるとなれば、そうそう哀れんでもいられない。そんな風に保身を考える自分をソフィーは嫌悪した。知りもしないで、とまで思ってから、帰りに図書館に寄ることを決めた。
どちらの世界でも、知らないことは調べるほかないのに変わりない。
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