第2話 黒づくめのお見合い相手

 ━━噂は真実だと……血のように赤い目と老人のように白い髪を本当にお持ちだと……六年前に王都で起きたあの殺人事件の犯人に似ていると、聞きました。


 ソフィーは見合い会場であるオブライエン公爵家へ向かう車中で、イザベラの言葉を反芻した。


 幸い相手が有名人なので、どれほど情報が出てこない人物かは体感で分かっている。確かに、見合い相手であるオブライエン公爵家の若き当主は、社交界どころか外出しただけで噂になるほどの、筋金入りの引きこもりである。それでいて容貌に関する情報はなかなか出てこないという状況。


 であるからして、ソフィーはくだんの当主が容姿にコンプレックスを抱えているのだろうと予想していた。流石に殺人者などという噂を鵜呑みにしてはいない。


 だがイザベラがもたらした情報は、ソフィーの予想と異なっていた。今も尚、噂はオブライエン公爵にまとわりついている。


「辛いでしょうね」


 呟くと余計に重みを感じた。もちろん、情報が正しく、かつ濡れ衣であればの話である。だが、その男に同情せずにはいられなかった。


「ソフィー。良く分かっているだろうが」


 何度目かの小言の始まりを悟り、ソフィーは窓の外から声の主へと、さっと視線を移した。


「失神したご令嬢のお家は酷いことにでもなったの?」


 しつこい小言に辟易して、ソフィーは父親であるオルドリッチ伯ジェラードに問いかけた。自分と同じ栗色の目を見つめる。厚いカーテンをほとんど閉め切っている車内で、限りなく黒に近く見えるほどに深い栗色であるところまで、ソフィーと同じだ。そんなところには親しみをおぼえるが、ジェラードが気弱なのもまた事実である。息子でありソフィーの兄であるフロレンス子爵ヒューバートの方が、頼りになるくらいだ。


「いや……しかし」

「きっと理不尽なことはなさらないでしょう」


 出がけに、どうか、と言いかけて口をつぐんだイザベラの顔が思い出される。ソフィーはイザベラが敢えて口にしなかった言葉の続きが何となく分かる気がした。どうか━━お気を付けて。言えば公爵家に対して不敬になるので匂わせるに留めたのだろう。


「寒くはないか、ソフィー。今日は冷える」

「大丈夫よ、膝かけもあるもの」


 ジェラードがソフィーを気遣う。質問も答えも同じ、何度目かになるやり取りだった。しかしジェラードはそれでも気になるのか熱い紅茶の魔法瓶を取り出すので、ソフィーは慌てて止めた。利尿作用の恐ろしさは良く知っている。


 小窓のカーテンを少しよけて、ソフィーは外を眺めた。雨粒が硝子を叩いている。指先で触れると、つるりとした硝子がひんやりと冷えているのが分かった。窓の外では、春先の冷たい雨に、すべてが濡らされている。オルドリッチ伯爵領より開発が進んでいるので、オブライエン公爵領は石畳が多い。濡れて光っている。


 六年前になるのに未だ癒えぬ王都の傷に、ソフィーは思いを馳せた。イザベラがもたらした事件の話だ。


 ある伯爵夫妻が惨殺されたおぞましい事件。その犯人の唯一の目撃情報。


 ━━白髪に血のような赤い目の少年。


 魔法で記憶を封じられる前に、一人の下僕が死を覚悟して書いたメモに、そう書かれていたらしいのは誰もが知っている。だが封じられた記憶は取り戻されず、生きた目撃情報はなし。犯人は六年経った今も逃亡中だ。殺人鬼が野放しだと、今でも時折、新聞に載ることがある。


「ついたようだよ、ソフィー」


 ジェラードの言葉にソフィーは頷きを返した。僅かな反動と共に馬車が停車する。


 馬車を降りて嘆息する。吐いた息が薄ら白く広がって消えるが、幸いにして雨は止んでいた。ソフィーは大きな邸宅を眺めた。この、公爵家本邸から更に馬車を走らせた場所にある公爵家別邸が、見合いの会場であった。本邸でないとは信じ難い規模である。


 オルドリッチ伯爵父娘は、下僕に案内されるまま美しい庭園を抜けた。


 口さがない者が嫌な噂を流す公爵家を彩る花々は、存外に柔らかな色で統一されていた。今年は暖かくなるのが早かったためだろうか、花々は盛りでもないだろうに咲き誇っている。もっと明るい日ならさぞ美しかろうと思われた。邸宅の壁もまた、柔らかな色彩の庭園に似つかわしい、柔らかな象牙色に塗られている。


「応接間へご案内いたします」


 案内されるまま、従僕に従ってオルドリッチ伯爵親子は邸宅内を進んだ。絵画や壺があちこちに飾られているのに狭苦しくは見えないことが、ソフィーには不思議だった。それにしても、領地にあるオルドリッチ伯爵家の本邸があっさりと収まりそうに広い。


「素敵なお屋敷ね」

「そうだな。もう少しカーテンを開けても良さそうだが」

「光に灼けてしまうより良いわ」


 絨毯の敷かれていない部分から覗くマホガニーが艶やかで、ソフィーは目を細めた。広間から二階へ続く階段もそうだったが、この邸宅に使われているマホガニーは、何処で見るより美しい気がした。


 オルドリッチ伯爵父娘は程なくして応接間へ通された。ドアを開けてすぐ、長身の男が目に入る。男もまた伯爵父娘を見ていた、


「オルドリッチ伯爵、お久しぶりです」


 ジェラードが挨拶に応じているのを良いことに、ソフィーは男を眺めた。


 淡々とした挨拶をしたその男は、サングラスと呼ぶのが憚られるようなレンズの真っ黒な眼鏡をかけていて━━視力検査でしか使われなさそうな無骨でやや滑稽なデザインの眼鏡である━━、屋内だというのにマントを羽織り、そのフードを目深に被っていた。髪色すら定かでない。際立った白皙のせいか余計に黒い眼鏡が目立っている。


 だが意外にも、挨拶に応じるジェラードには驚いた様子がない。以前からこの格好でいたことが窺えた。


「ご令嬢にお会いするのは初めてですね。私はオブライエン公ルシアン・カーライルです。良く来てくださいました」


 紹介を待たず名乗り、近付いてこようとはしないオブライエン公爵を、ソフィーは微笑みを崩さず見つめた。歓迎されているようには思えない。おそらく、親戚からせっつかれてやむなく見合いをしているのだろう。そう考えると不思議と公爵に親近感が湧いてくる。所詮しがらみからは逃れられないのだ。


「お名前をお聞きしても?」


 そう尋ねる唇の色までも、色素が薄かった。桜の花びらの色をしている。


「ソフィー・フロレンスと申します。オブライエン公爵閣下」


 笑顔で挨拶してまずいことはないだろう。そうは思っていたものの、明るい声が出た自分にソフィーは驚いた。どうやら本心から笑うだけの余裕があるらしい。ジェラードに紹介を促さなかったオブライエン公爵の選択が、仮にソフィーへの試験だったとしたら、悪くはない結果だろうと思われた。





「ご令嬢は、私の噂をご存知ないのですか」


 二人になってすぐオブライエン公爵が切り込んだ。随分率直である。ソフィーは、魔力の残滓ざんしの有無の検分を終え、今まさに飲もうと傾けたティーカップを元に戻した。唇から薄い陶器が離れる。


 緊張感が漂っている。平静を装ってソフィーは微笑んだ。


「あまり外出なさらないと、伺ってはおりますけれど」

「何も知らされずにいらしたんですね」


 その声音に、ソフィーは微かながら嘲る響きを見つけた。


「何が知らされるべきことがございますの?」


 オブライエン公爵が口を開くより一瞬早く言葉を滑り込ませる。


「最低限知るべきことは、お見合いで、深く知るとすれば、それはご縁があればのお話かと思っておりました。誰かを通して知るのでは、限界も誤解もございますから」


 口角を上げたまま言い切り、ソフィーは今度こそ紅茶にありついた。公爵の態度はさておき、良い紅茶を振る舞われているのに冷ましてしまうというのは主義に反する。それに、庭園を抜ける間にソフィーの体は冷えていた。


 沈黙に耐えかねて付け足す。


「まあ綺麗事ですけれど……」

「率直ですね」


 ソフィーは思わずまじまじと相手を見つめそうになって、慌てて紅茶に視線を落とした。自己紹介なら先ほど聞いた。そんな皮肉を心の中に留めておく。


「知るべきこと、と仰ったのはその装いのことでしょうか? そこまで黒い眼鏡を拝見したのは初めてです」


 率直、を拾うと話題が自分のことになってしまうので、ソフィーは強引に話を戻した。掘り下げられても面白くない。


「そうであるともそうでないとも言えますね。しかし……そう仰る割に、貴女は私のこの格好を見ても動揺されなかったようでしたが」

「驚いたので却って顔に出なかっただけのことでございますわ」


 出されたお茶菓子に手を伸ばす。公爵家の食べ物にありつけるのはこれが最初で最後に違いない。そう思うと、何だか惜しい気がして食べずにはいられなかった。それに実際美味である。自然とソフィーの口元は綻んだ。


「そうですか。随分と落ち着いてらっしゃると思っていたのですが」

「過分な評価ですわ。今だって緊張しております」


 黒いレンズの向こうから公爵が見ているのを感じたが、微笑み返すことで流す。結婚はあり得ないだろうが、とはいえ今のソフィーは伯爵家の印象さえ左右しかねない。ならば、あの家の娘は愛想が良いという印象を残しておきたかった。レンズの向こうの眼が赤だろうが何だろうが、関係はない。礼を失する理由になどならない。


 それにしても━━、とソフィーはオブライエン公爵を改めて観察した。アーモンドプードルをふんだんに使っている焼き菓子を堪能しながら。━━それにしても、洗練とはかけ離れた不粋な眼鏡なのに、高い鼻や締まった輪郭のためか、公爵には妙に似合っている。素顔は美形なのだろう。見せてくれる素振りもないのが、少しばかり残念に思われた。





 まあ及第点でしょう? と安心してソフィーはジェラードを見た。今世の父は行きの焦燥しょうそう感が嘘のように安堵している。もうオブライエン公爵家を発つということで気が抜けているのが見て取れた。穏便に断られたのだろう。もうここに来ることはあるまい。見納めにと、馬車に乗り込む直前にソフィーは公爵家の邸を見上げた。


 不意に、目が合った。


 窓の一つから白い髪の男がこちらを見ている。顔の造作は良く見えないが、白いおもてをしている。それが公爵だと理解するより早く反射的に、だが控えめに━━━殆ど軽く挙げているだけのように━━ソフィーは手を振った。振ってから公爵だと気付いた。しかし向こうは気付かなかったようで、さっさと奥へ引っ込んでしまった。


 ソフィーは一瞬だけ見た公爵の姿を思い起こした。髪色がイザベラのもたらした情報と合致しているし、窓の位置からいって書斎か寝室からこちらを見ていたのだから、やはり間違いないだろう。しかし意外なことに、目の色は良く分からなかった。本当に血のような赤ならば、分かったに違いないのに。


「私、粗相そそうはしてないわよね……?」


 物思いを振り切って、馬車に乗り込んですぐソフィーはジェラードに囁いた。ジェラードが軽く頷く。少しして馬車が走り出す。未練がましくもう一度と小窓の外に目を凝らしてみるが、既に邸そのものが遠く小さくなっていた。


「いや良くやったよ。印象は良いが即決できないと仰っていた。他所と同じ文言だ。お断りと見て良いだろう」


 ジェラードが機嫌良く言った。


「そうね」

「まあ、お前が失神するとは流石に思っていなかったよ、私は」

「閣下は眼鏡もマントもお召しになったままだったもの。お互い見合いをしたという名目が欲しかっただけの場だったわ」


 ジェラードが微苦笑した。


「そういえば体調に問題はないか?」

「ないわ。出していただいた紅茶もお菓子も、残留魔力がないのは確認したもの」


 なら良い、と頷いたジェラードが黙り込む。何か考え込んでいる顔つきだった。恐らく次の見合いについてだろう。今夜は貴族名鑑と睨めっこをするに違いない。公爵も同じようなものだろう、と考え、ソフィーは生々しい哀れみをおぼえた。


 乗り気でないと分かっている娘を呼び寄せて会うというのは、一体どんな気分がするのだろう。

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