第2話お化け屋敷へようこそ

さて、ここは病院の駐車場である。

 そこに案内された俺はまず目が点になり、辺りをきょろきょろ見回した。

 もちろん駐車場には様々な車が停められていたが、その中にあっても、その高級車だけは格別の異彩を放ち、呆れるほど目立っていた。

 まさかこれじゃないよね? アラブの石油王じゃあるまいし。と、そんな不安に首を傾げながらも問いたげな視線を向けるとマリリンが畏まった様子で、その車のドアを開けてくれた。やっぱりこれなのか……。ドアは観音開きになっていた。ピカピカのボンネット。目にも鮮やかな純白の車体。そして芸術家が悩みに悩んで導き出したかのような完璧な形状。ともすれば、いささか四角張った印象を受けるが全体的には丸みもあってそれほど威圧的ではない。どちらかというと落ち着いた雰囲気を感じさせる。最も印象的なのはフロントのラジエーターグリルだろう。その頂点には今にも羽ばたかんとする女性像のマスコットが鎮座していた。いくら庶民な俺でも、さすがにこの車の名前くらいは知ってるぞ。

「えっと、確かロール、ロール……ロールケーキ! あれ、ちがったか?」

 バチンと頭をはたかれた。

「あ痛っ! なにすんねん。なにも叩くことないやろ……」

「すみません。あまりにも馬鹿な発言を耳にして驚き、思わず手が出てしまいました。と、言いますか……どこまで食い意地が張っているのです? ロールスロイスですよ……」

「あ、そうそう……今そう言おうとしてたところやん。……っていうか、こんな高級車、どっから調達してきたん? 自慢やないけど、うちの車は中古のハイエースやったで。しかも商業用のバン。どう転んでも俺、こんな車に乗れるような身分やないんやけどな。まさか盗んできたんとちゃうやろな?」

「失敬な。ちがいますよ。まちがいなく、これはあなた様のお車です。ご主人様はもう的場貴史ではございません。大黒摩耶様でございますよ」

「あぁそうだった。でも、ほんまに、こんな車に乗ってもええのん?」

「もちろんですとも、ご主人様」

「ふーん。なんやシートがフカフカやな。車内もピカピカに光ってて、いい匂いもする」 俺は、なんとも落ち着かない心地で座席に収まった。その隣にマリリンも行儀よく乗車し、パタンとドアが閉じられる。なんかドアの閉まる音までちがうような気がする。うちの車はガラガラガシャンだった。そんな騒音も今となってはどこか懐かしく感じられるのが少しばかり悲しい。

 と次の瞬間である。車内の運転席に青い炎が立ち上り、そこに一人の男が現れた。

「おう、遅かったじゃねぇか。待ちくたびれたぜ」

 紺色の背広に白いワイシャツ。それと臙脂色のネクタイに帽子。どこから見ても運転手にしか見えない服装は二十代くらいの若者だ。その男が運転席からこちをふり向き、ニヤニヤとした笑みを浮かべていた。ものすごく細長い顔だ。目も異様に細長く、おまけに、どことなく人間離れした愛嬌がある。まさに狐顔とはこれいかに――である。

「ゴン、口を慎みなさい。ご主人様の御前であるぞ」

「ゴン?」

「おぼっちゃま。はじめましてぇ。おいら疾風の権蔵って、けちな狐でして」

「き、狐?」

「ゴンは妖狐なのです。つまり『妖怪変化』の一種です。つい最近まで地獄で火車を運転する任務に就いておりましたが、この度、ご主人様の運転手を務めることになりました。こやつめも私と同じくあなた様にお仕えする捜査補佐官の一人です」

「――火車って?」

「生前に悪事を働いた亡者を地獄へ導く護送車のことです」

「いやぁ、おぼっちゃまのおかげで、おいら極卒から補佐官への大出世でやんす」

「そう……。それはよかったね。よろしくゴンさん」

「いやいや、こちらこそでやんす」

 そして俺はゴンさんと呼ばれる狐の妖怪と握手をかわした。

「――ってことは、マリリンも狐なの?」

 気になったので訊いてみた。

「いえ、私はヴァンパイアです」

「ヴァンパイア? つまり吸血鬼ってこと?」

「そうです。でも心配はご無用。地獄の職員になった折に人の血を吸う業からは解放されております。今じゃすっかり銀のアクセサリーもニンニク入りラーメンもへっちゃらです」

「なにそれ? ゴンさんが狐の妖怪ってのはまだしも、ヴァンパイアつったら西洋のモンスターやん。なのに閻魔大王様の下で働いてるのはどうかと思うんやけど?」

「……まぁ確かに遺憾ながら私も微妙と思わざるをえませんが、ただし訪日してしばらくしてから、私はちゃんと仏教に改宗しております。おかげで、さる高名な僧侶の紹介により閻魔様の部下として雇ってもらえるようになったのでございますよ」

「まぁ積もる話はそこまでにして。そろそろ出発するぜ」

 とゴンさんがハンドルを握るや車は流れるように発進し、静かに駐車場から抜け出した。

 茜色に染まる市街に白い高級車が紛れ込んでいく。

 十三年暮らした町の風景が虚しく視界を流れていった。

 私鉄の駅前は今日も混雑しており、その駅ビルの後に大きな建物が見える。

 その名もダイコクモール。

 商店街を破滅させた商業施設だ。あれさえなければ俺は今も親父やお袋と平和に暮らせていただろうか。俺の育った商店街は昨夜の火事で全焼し、跡形もなく焼失してしまったそうだ。病院の廊下に置いてあったテレビがそんな報道を伝えていた。

 さても一方が栄えれば、もう一方が衰退する。それが世の道理だと言えばそうなんだろうけど、そんな理屈だけでは納得しきれないものもある。

 俺にとってあの商業施設は理不尽な力を一方的にふるう許せない存在だ。商店街に住む人たちの未来を容赦なく奪っておきながら、今も平然と大勢の客を出迎えている。

 確かに町が栄えるのはいいことだ。でも、そのために犠牲になる人がいることなど誰も気に止めない。沈む夕日がまるで世界の終わりを告げているかのように思えてならなかった。今日、俺は町を出ていく。帰る家もなく、他に行くべき道もないからだ。

 ふと、今度こそ深い悲しみに襲われ、とめどなく涙があふれてきた。

 親父もお袋も、もうこの世にはいない。以前の俺も存在しない。昨日と何も変わらないはずなのに、まったくちがう世界に思えて仕方がない。そんな俺をそっと抱きしめてくれたマリリンの温もりが少しだけありがたく感じられた。


 陽も落ち、すっかり空も闇に染まりだした頃、三人を乗せた純白のロールスロイスは太平洋側の海へと抜ける国道を走っていた。道にそって流れる川や、鬱蒼としげる木々、その合間に点在する田圃。見知らぬ田舎の風景に少しばかり心が癒された。

 そんな風景を窓ごしに眺めていると、マリリンがなにやらゴソゴソとやりだした。

「えっと、どこへ、しまいこんでしまいましたかね。あっ、ありました。これです。これです。これをお渡しするのを忘れていました」

 例の黒コートの内側から何やらどす黒いものを取り出すマリリンである。

「――えっと、これ何?」

 いったん受け取ろうとした手を思わず引っ込めた。なんとも不気味な雰囲気の分厚い書物である。憤怒の顔をした鬼火のデザインが奇抜すぎて、なんだか呪われそうだ。

「これは閻魔大王様の力を封印している書で、通称、閻魔帳といいます」

「ふーん。閻魔帳。いかにも恐ろしげな名前やね。つまり魔法書みたいなもん?」

「いえ、魔法ではなく、『霊験』でございます。そこは区別していただかないと困ります。まったく最近の日本は洋の東西がぐちゃぐちゃで嘆かわしいことでございますよ」

「あのさ、ちょっと気になったんやけど。なんか西洋の文化に思うところでもあるわけ?」

「マリリンは吸血鬼ざんしょ。ヨーロッパじゃ、キリスト教徒どもに、さんざん虐められたみたいでずぜ。それが来日していらい、すっかりこっちの文化にはまっちまいましてね。今じゃすっかり日本贔屓の西洋嫌いになっちまったという次第で……」

 ゴンさんがハンドルを切りながらニタニタ顔を向けてくる。

 危ないから前を向いて運転してくれ。

「――コラッ、余計なことはくっちゃべらず、あなたはしっかり運転なさい。さて話をもどしましょう。閻魔帳とは、地獄の捜査官に支給される仏具なのでございますよ」

「あいかわらず、なに言ってんのかさっぱりだけど。ありがたく、ちょうだいしとくよ」

「いまひとつ真剣さが感じられませんが……」

「――って言われても、まだピンとけーへんのやけど。そもそも俺の役目って何なの?」

「まずはそこからですか、ハァァ……」

 なんか腹立つなぁ。

「では説明します。さても地獄の捜査官とは極卒や補佐官の上に立ち、彼らを率いて人間界を調査する任務を与えられた者のことです。その役目は、人界を騒がす怪奇現象を解決し、そこに潜む闇を取りのぞき、悪を打ち祓うことを使命とします」

「つまり悪いものから人々を守れってことだよね。簡単に言うとさ」

「まぁ、そうなんですけどね……」

 でも、そんな簡単な事じゃないのですよ。とマリリンは少し溜息をつき、そして続けた。

「さても闇を敵視したり悪そのものを滅ぼそうとしてはいけません。そのような行為はやがて驕りや不遜を招き、いかに天籍者であろうとも天界から追放されます。それに、そのようなことは不可能です。そのような力があるのは如来様や菩薩様の無限なる慈悲の力のみ。いかに『霊験』を駆使しても無理でございます。問題はそのような闇に引きずられ、本来は善良な心を持ち得ながらも悪行に堕ちてしまった不運な魂です。そのような者に対する救済は許されております。そして悲しきことに地獄へ墜ちる大半が今はそのような哀れな魂なのです。例えば、ご主人様のご両親のような……。我らに課せられた使命は光と闇の均衡を保ちながら、できるだけ多くの魂を救済することでございます」

「うん分かった。そうやね。そんな不運な人がいたら、できる限りのことはしてあげたい。生前の俺には何もできへんかったし……」

「それは無理もございません。あなた様はただの中学生だったのですから。でも今はちがいます。今のご主人様には仏の加護が備わっております。ただし、その力を正しく扱えるかは今後の努力次第でしょう。この閻魔帳は仏の力を引き出す一方、その書面を通じて悪行や善行など、関わった者の全てが地獄に報告される仕組みにもなっております。とにかく長い道のりではございますが、気長に取り組んでいきましょう」

 俺は頷きながら神妙な心持ちで、その閻魔帳とやらを受け取った。

 やがて車は国道から少し離れた集落にたどり着いた。


「それにしても、なんや観光地っぽいとこやけど、ここどこやろ? もう大坂やないな」 見るからにそこは寂れた温泉街だった。なぜ温泉街だと分かるのかというと、あちこちに湯煙たなびく旅館が点在しているからだ。

「ここはもう和歌山県内です。その名も弁天温泉と申しまして、知る人ぞ知る秘湯でございます。肌にとてもよく、冷え性にも効果抜群。ほかにも神経痛、腰痛、リウマチや糖尿病なんかにも効きめがあると言われており……」

「――て言われてもなぁ。あいにく俺は神経痛や腰痛は患ってへんし、ましてや糖尿病でもないんやけどな。……せやけど、いくら秘湯や言うたかて、あまりにも静かすぎへんか?だいたい温泉街つったら、もっと、にぎやかなもんとちゃうやろか?」

 町中の道は幅が狭く、ロールスロイスのような車が走り抜けるには難儀しそうだ。なのに車は法定速度を守りながらもスイスイと駆け抜けていく。なぜなら、まったく人が歩いていないからだ。温泉街ではよく見かける浴衣姿の観光客もまるで見かけない。車道脇には小さな川が流れ、よく見れば柳の並木なんかもなかなかの風情に満ちている。

 きっとライトアップとかすれば夜の景観はまた格別なものになるだろう。なのに、そんな気の利いた演出はなく、そのせいか逆に怪しげな雰囲気に包まれていた。

「まぁ温泉マニアの間では有名な秘湯ですが、最近、隣町に新資源の工場ができましてね。なんて言いましたっけ、確か、大王様は『メンタンピンドラドラ』とか言ってましたが」

「それ全然ちがうよね。それきっと、メタンハイドレートのことやと思うんだけど」

 俺だってニュース番組くらいは見ていたので、そのくらいの知識はある。なんでも日本の近海には凍りついたメタンの塊が豊富に存在し、それを新たな資源として活用できないかと長年の研究が進められてきたそうな。それが近年ようやく実り、その採掘技術も進歩の兆しを見せ、すでに日本海側で行われている開発を太平洋側でも試験的に行うようになり、その海底に眠るお宝に日本中が大いに期待をよせているという話である。

「そう、それです。そのせいで未来に希望を抱く若者のほとんどがそちらへ移り住み、この町は時代の流れに取り残されそうになっているのです。そこへ持ち上がってきたのが、これまた大規模な再開発による温泉リゾート化計画でしてね。そのホテルの建設予定地を確保するために、ある不動産会社が裏で暴力団と繋がり、この辺りの旅館にさまざまな嫌がらせを行っていると、まぁ、そんな噂さえございます。おまけに……」

「え、まだあるの?」

「最近、この辺りは知る人ぞ知る心霊スポットになっているそうです」

「心霊スポット?」

 そらきた。やっぱりそうなる予感はしてたんだ。

「はい、怨霊が出るという噂が広まり、さらに客足が遠のいているのです」

「ふーん。――で、手始めに何から始めりゃいいんだ?」

「そうですね。まずは閻魔帳を開いてみてはいかがですか?」

「ん、まぁ、そうしてみるか」

 俺はその提案に従い閻魔帳を開いてみた。そして思わず目が点になる。なにしろ、そこにあるのはただの闇だったからだ。どの頁をめくっても全てが闇に包まれている。その闇の中に地獄で見たあの奇妙な文字が浮かび上がり、現れては消えと揺蕩っているのだ。

「うわ、何これ……」

「これは梵字です。サンスクリット語の文字です」

「ぼんじ? さんすくりっとご?」

「古代インドの文字です。これはまだ形が定まっていないようですね。でも心配いりません。きっと使い込んでいくうちに、あなた様にぴったりのお経が熟成されることでしょう」

「お経が熟成される? なんか、よう分からんけど、そうなるとどうなるんや?」

「ご主人様の霊格……つまり天籍者としての力が向上するかと思います。ただし閻魔帳を通じて、ご主人様の行動も地獄に報告されることになっております」

 俺は訊くんじゃなかったと顔をしかめた。と、次の瞬間、思わず悲鳴をあげそうになった。おもむろに開いた頁からいきなり生白い腕がはえてきたからだ。

 その手は数枚の紙束を握りしめていた。それを俺に向けて投げつけるや、まるでついでのように手をあわせて挨拶し、そして再び闇の中へと消えてしまう。

「くそぅ、乱暴なことをしやがる。いったい、どうなってんだ?」

 なんのことはない。ただの新聞紙である。それぞれ日づけがちがう朝刊が二誌である。

「なになにダイコクグループ社長、大黒宗佑氏、妻の幸恵夫人に殺害される? 日付は半月ほど前か……ん、ダイコクグループって、確かあの巨大商業施設ダイコクモールを経営している大企業やないか。えぇ、社長が殺されたって? えぇぇ!」

「そうです。ダイコクグループはショッピングモールや百貨店。ホテルやコンビニなどを全世界に展開している大企業です。大黒宗佑氏は国内にチェーン展開しているにすぎなかったスーパーダイコクを世界に冠たる大企業にまで成長させた三代目の社長です。それだけにこの事件はけっこう世間を騒がせたんですけどね」

「いや、そう言われても。うちの家、色々あってからは新聞も取ってなかったし、誰もテレビなんて見てなかったし、もう完全に時代の流れから取り残されてたっていうか……」

 でも、そうだったんだ。そんな事実を知っていたら少しは親父も溜飲を下げ、あそこまで酒に溺れることはなかったかもしれない。――いや、今さらそんな事を考えるのも馬鹿馬鹿しい話だ。そこに不幸の捌け口を求めるのも何かまちがっているような気がする。

 馬鹿なことをした大学生に対しても、今となってはもうなんの恨みもない。これが俺の運命だったのだと諦めるしかない。でも、それが現実だからといって、なかなかすんなり納得できないのも辛いところで、どうにも釈然としない気分に苛まれた。

「で、その社長の奥さんが夫の大黒宗佑氏を殺害して自らも命を断ったと書いてあるんやけど原因はなんやったん? この新聞にはそこまで詳しい話は書かれてへんのやけど?」 さらに紙面を確かめてみたが、それ以上の情報はついに得られなかった。

「ずいぶん色んな噂や憶測が語られたようですが、その真相はどのマスコミも公表できておりません。おそらく、その闇に閉ざされた真相は今後も公表される事はないでしょう」

「……ちょっと待てよ。もしかして今の俺って、その大黒宗佑さんの家族に関係してんのとちゃうやろか?」

「はい正解。今のあなた様は大黒宗佑氏の長男という立場です。本当は一人娘だったのですが、その体を借りて復活しましたから仕方がありません。現実を歪めませんと」

「言ってる意味がますます分からん。その娘はどうなっちまったんだ?」

「その娘も錯乱した母の手にかかり、危篤状態でした。屋敷のお手伝いさんがすぐにかけつけ、救急車を呼びましたが、その近辺には大きな病院がありませんので、一時間以上もかかる遠くの病院まで運ぶしかなく、医者も手を尽くしましたが……」

「なるほど。火事で死んだ俺があの病院にいたのはそういう訳やったんや。ま、それは納得した。でも、その子の体を借りてよみがえったのに、俺はなんで男のままなんだろ?」

「魂の性質が男ですから、その体を男に改造せざるをえませんでした。しかも幸か不幸か年齢も同じ十三歳でしたので実に都合がよかったのです。ですが現実とのギャップが出ちゃいますので、そこは地獄のスタッフ総動員で全世界的に現実を歪めてもらおうと――」

「――もらおうと?」

「世界の秩序を見守る阿弥陀如来様に全力で頭を下げてお願いしました」

「努力の方向が全力でまちがってるような気もするんやけど。もう、どうでもええわ……」

 そして溜息まじりに、また別の朝刊へと目をうつす。

 んっ、この顔は知ってるぞ。なにしろ今の俺の顔だもの。

「なになに……大黒宗佑氏の長男、摩耶君(十三歳)アメリカから帰国。亡父に代わり残務処理を行い、グループの新オーナーに就任。新たな代表取締役に長年功績のあった茶釜三朗氏を起用。その英断に他の役員ならびに株主総会も大絶賛。今後、摩耶君はグループの総帥として経営顧問に従事。若干、十三歳にしてアメリカの名門大学で修士課程を収めた天才少年の手腕が今後期待される。しかしながら両親の不幸や急な環境変化に体調を崩し、大坂府内の総合病院に緊急入院……って、どうなってんだこれ?」

「どうやら現実の改竄が巧くいってるようですね」

 マリリンはそう言ってほくそ笑むが、もちろん俺にとっては笑い話ですむ問題ではない。「いやいや天才少年って、そんなアホな設定、勝手に偽造してんじゃねぇよ!」

「ご主人様は十歳でアメリカの名門大学に飛び級入学し、たった三年で大学院までいった天才という設定でいこうと大王様が言いだしましてね……」

「おい、誰か止めろよ! 無理、無理、無理……なにしろ俺はしがない洋食屋の息子だぞ。どこにでもいるちょっと不幸な十三歳だぞ。こんな大役なんて絶対に無理やろ」

「大丈夫です。そのための高度な知識はすでにご主人様の頭にインストールずみですから、ご安心を。おや、そろそろ到着してもいい頃なんですけどね? すでに目的の敷地内には入っているはずなんですよ」

 走る自動車はいつしか温泉街の集落を離れ、深い山の中に入っていた。

「はてさて驚くなかれ。実はこの山のほぼ全てが大黒宗佑氏所有の土地なのです。ちなみに、すでに遺産相続に関するもろもろの手続きは終えております。その受け継いだ総資産ざっと二兆四千億円でございます」

「あぁぁ……もう、これ以上、無茶苦茶な設定は聞きたくねぇ……」

「まぁ、そのうち慣れますよ。それより問題はもうお気づきでしょう?」

「だよね。さっきからどんどん辺りが心霊スポットらしく怪しくなってきてるよね……」

 すでに日は暮れており、鬱蒼としげる木々が山を包む闇をいっそうと濃くしていた。

 山の中を走っているのに道はまっすぐ平坦で、しだいに前も見えないほどの深い霧にも包まれだした。おまけに、その霧の中から不気味な人影がゾロゾロとはい出してくる。

「どう見たって生きてへんよな。車と同じスピードで追いかけてくる人間やなんて……」

 恐る恐る後ろをふりかえり、思わず背筋が凍りついた。そこにある窓ガラスは大人ほどもある手の痕で隙間なくおおわれていた。しかも血痕まで付着させる念の入りようだ。

 ゴンさんが言った。

「こいつは俺の憶測だが、ちょいと危険な臭いがするぜ。この状況は、どう見ても不自然だ。まるで同じ所をぐるぐる走り回されてるみてぇだ。しかも怨念たっぷりの生き霊がお出迎えとはな。おそらく人界に霊道を造りだし、そこに高度な術をし込んでやがるな」

「つまり、ここは術者が造った異界の中。しかも、そいつは恨みの心を操る力を持っている。さて困りましたね。しかし、このような霊能犯罪を取りしまるのも捜査官の務めです。ご主人様、閻魔帳を開き、意識を集中してみてください。道が開けるかもしれませんぞ」

 マリリンがそう言うのなら、そうしたほうがいいのだろう。なので言うとおりにしようと思った。すると、どうしたことか脳裏に炎の幻影が立ちのぼるや、それと同時に言葉がスラスラと飛びだしたのだ。

「なうまくさんまんだ~、ばさらだんかん!」――って、なに言ってんだ俺? だが、その瞬間である。驚いたことに、この異界の中がまっ赤に燃えあがったのだ。それはまさに炎のトンネルと言うべきか、その燃えさかる空洞の先に大きな穴が開いているのが見えた。

「よっしゃあ、異界に穴が開きやしたぜ。しっかり掴まってておくんなせぇよ!」

 そして勢いよく飛びだし、そのままの猛スピードで群がる怨霊どもをふり切るや、いきなり森の開けた場所へと出現したのである。ロールスロイスはタイヤを軋ませて走行し、危うく門扉にぶつかるギリギリの所で停車した。門の向こう側に山のように大きな影が見える。それは闇の中でもはっきり見えるほどの、とても大きな屋敷だった。

 マリリンが先に車から降り立ち、持ち上げた腕を屋敷の方へと誘いながら待ちかまえる。

「さすがは、ご主人様です。初めて閻魔帳を使ったというのに不動明王様の『霊験』を成功させるとは、このマリリン、感服いたしましたぞ」

 大袈裟に頭を低くするマリリン。俺はさすがに情けない顔をしていただろう。

 そんな俺の気持ちを察する気配も見せず、やがてマリリンは長い金髪を夜風になびかせ、その美貌にうっすらと笑みを浮かべるや、とんでもないことを口にした。

「さて、大黒家の別荘、大黒邸へようこそ。今日からここが、あなた様のご自宅です」

 そして俺たちの到着を待っていたかのように屋敷の明かりが一斉に灯るのだった。

 

「絶対に嫌だ。こんな家に住めるかよ!」

「なにを駄々をこねているのです?」

 かたくなに拒絶する俺にマリリンが溜息をついた。俺はぶんぶんと首をふる。

「そりゃもう立派なお屋敷だってことは認めるよ……」

 あんな豪邸に住めるなんて、そりゃぁ身にあまる光栄だ。でも問題なのは勝手に屋敷の明かりが灯ったり、あまつさえ屋内に不気味な人影がチラホラ見えたりすることだ。

「おかしいですね。ここには誰もいないはずですが。さては不法侵入者でございますね」「おい、なに寝ぼけたこと言うとんねん。さっきの恐怖体験を、もう忘れたのかよ?」

 ところが依然と慌てる様子もないマリリンは、なんの動揺も見せずに首をひねったり本気で憤慨したりしている。その横でゴンさんも、なに食わぬ顔で指に狐火を灯していた。

「他にも鍵を持ってる奴がいたんじゃね?」

「そんなはずはありません。鍵は一組。しかもここにあります」

 そのみごとなナイスバディーを包む黒い毛皮のコートからマリリンは重そうな鍵束を取り出した。いったいどうなってんだ、あのコートの中身は?

「じゃ、なんで明かりが灯ってんだ?」

 とゴンさんは狐火で火を付けた煙草を暢気に燻らせている。

「おいこら、屋敷の周囲をよく見ろよ。不気味な人魂が飛びかい、屋敷じたいが、まるで生きてるみたいに蠢めいとるやないか! ここまできたら、もうまちがいないやろ!」

 きっと、お日様のもとでは優雅に映えるバルコニー付きの窓も、俺の目の錯覚じゃなきゃドラゴンの口のように閉じたり開いたりしている。とにかく凶暴な牙を剥き出しにして威嚇しているようにしか見えない。どう見ても歓迎されてるとは思えない。

「こんなお化け屋敷をマイホームと豪語するやなんて、いったいどこの勇者様や。このまま入っていったら酷い目に遭うのは目に見えとる。とりあえず目的地には到着できたんやから今日はここまでにしよう。あそこにいるのは絶対に不法侵入者でも泥棒でもない」

「どうして、そう言い切れるんです?」

「だって、あんなに煌々と明かりをつけて仕事する泥棒なんているわけないやろ。それに何人いるんや。ぱっと見ただけでも十人以上の影が見える。不法侵入するにも度が過ぎる」

「ネット上で知り合った心霊マニアが楽しいオフ会を開いているのかもしれませんよ」

「この状況で、よくもそんなアホな設定を思いつくものやな。ありえへんやろ!」

「うーん。やはり怪奇現象ですか。私もうすうすそう思ってたんですけど……。まぁ仕方ありませんね。今夜はここまでにしましょう。今回の懸案に術者が関わっていると分かっただけでもよしとしますか――」

「じゃ山を下りるか?」

 とゴンさんが吸い殻を足で揉み消す。決してよい子は真似しちゃいけませんよ。

 ゴミのポイ捨てはいけません。それに煙草は大人になってから所定の場所で。

「ええ、そうしましょう。ですので今夜は予定どおり、町の宿に宿泊して温泉を堪能するといたしましょう」

 となれば、まったく現金なもので、やたらと御機嫌になるマリリンである。

 道中に説明してくれた温泉の知識も半端じゃなかったし、しかも今その手に持ってる本は近畿圏内の秘湯を紹介するガイドブックだよね。

「まぁ、うまい飯でも食って元気をだしましょうよ、おぼっちゃま」

「だったら、最初からそういう予定だと言ってくれればいいだろ!」

 俺は苛立ちを滲ませた絶叫を闇に響かせ、再びロールスロイスに乗り込むのだった。

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